異譚53 優しい人
葬儀場のロビーでアリスは独りでベンチに座って白奈を待つ。
朱里は空気を読んだのか、義理は果たしたからなのか、一人で帰ってしまった。
「あ、今度ステーキ奢りね。勿論アンタ持ちで」
それだけ言い残したのだけれど、朱里が何故急にステーキを奢れと言ったのかアリスは分からない。しかし、朱里がアリスに集るのはいつもの事なので特に気にはしていない。
アリスが珍しいのか視線を感じはするけれど、誰も話しかけては来ない。そういう場面ではないという事はその場に居る全員が分かってる事である。
暫く待っていると、制服姿の白奈がアリスの元へやって来る。
「お待たせ」
「別に……」
白奈はアリスの隣に座る。
表には出していないけれど、アリスは内心で冷や汗をかいていた。
だって、白奈がこの場に居て、親族席に居るという事は、つまりそう言う事なのだから。
「今日は、来てくれてありがとう、アリス」
「……」
喉から全ての水分が抜けたように、カラカラに乾いて声が出ない。
「あっ、別に含みが在って言った訳じゃ無いからね?」
「…………」
何も言えない。白奈に含みが在ったとしても、アリスはそれを受け入れなければいけない。それだけの事をアリスはしてしまったのだ。
「……お母さんも、きっと怒って無いわ」
白奈のその言葉を聞いて、アリスの危惧していた事が確定となる。
白奈と美奈は姉妹であり、そして、自身を魔法少女にしてくれた人の娘なのだ。
冷や汗が止まらない。胃がきゅうきゅうと締め付けられる。
「自分のお葬式に来ないくらいで怒る人じゃないもの。あ、でも、美奈のお葬式には来て欲しいって言うかもしれないわ。あれでも母親だからね」
そう、アリスは白奈の母親のお葬式に行っていない。
自分のせいで死なせたようなものだ。きっと家族から恨まれてる。そう思うと、怖くて行けなかった。何より、白奈の母親を死なせてしまった事への罪悪感や責任感が重くアリスに圧し掛かり、部屋の外へ一歩も出る事が出来なかった。
けれど、それは当人だけの問題であり、遺族からしたら関係の無い話だ。
遺族には、ずっと恨まれてると思って生きて来た。恨んで欲しいとも思っていた。自分の罪深さを、一生刻み付けるためにも。
それなのに、今隣に座る少女はいつもアリスを気にかけてくれるような、優しさを向けてくれている少女だった。
どういう気持ちで、白奈がアリスと一緒に居たのか分からない。
どういう気持ちで、アリスに笑みを向けていたのかが分からない。
反応としては、美奈の反応の方が正常なはずだ。恨まれてしかるべき相手なのだ、アリスは。
「美奈と苗字が違うのはね、お母さんが魔法少女に復帰する前に離婚したから。私はお母さんに着いて行って、美奈はお父さんに着いて行ったの。だから私は姫雪白奈で、美奈は如月美奈。まぁ、お母さんは名前の変更申請をしてなかったから、対策軍に居る間はずっと如月って名乗ってたみたいだけどね」
淡々と、白奈が説明をする。
その声音に特に感情の色は無く、ただ事実をアリスに伝えているようだった。
「……恨んでないの?」
ようやくひねり出した言葉は、自分でも自覚できる程に卑屈な声音をしていた。
「私が……殺したようなものなのに……」
アリスの問いに、白奈は少しの間を空けた後に答えた。
「恨んでないわ」
「どうして?」
「だって、アリスが大好きだから」
「……っ、答えになってない……!」
「なってる。だって、これが私の答えなのだから」
白奈は硬く握りしめられたアリスの手を、自身の手で優しく包み込む。
白奈はアリスとの間隔を詰め、アリスの頭に自身の頭をこつんと優しく寄りかからせる。
「好きよ、アリス。他の誰が嫌っても、私は貴女が好き」
真っ直ぐな白奈の好意に、アリスはたじろぐ。
だって、恨まれなければおかしい。好きだなんて言われる資格は無い。
「……私には、誰かに好かれる資格なんて……」
「それでも、好きよ」
「どうして……」
「さぁ、どうしてかしらね」
はぐらかすように、白奈は言う。
まるで思い出に浸るように目を瞑りながら、白奈は薄らと笑みを浮かべる。
きっとアリスは憶えていない、白奈だけの鮮烈な記憶。
「きっと、出会った時から好きだったわ。だって……」
空いた手で、白奈はアリスの涙を拭う。
「こんなに優しい人なんですもの」
「……っ、私は、優しく……なんか……っ」
二人の死に責任を感じるのは当たり前の事で、それを自身の罪と捉えるのも当たり前の事だ。
責任を大きく感じる程、罪を大きく感じる程、こんなに優しい少女の家族を奪ってしまった事が申し訳無くて、自分がとても許せなくて……気付けば涙を流していた。
「優しいわよ。だって、こんなに泣ける人が、優しく無い訳ないもの。あの時だって……」
そこまで言って、白奈は言葉を飲み込む。
今じゃない。今言ってはいけない。それは、きっとずるい事だから。
それに、もう言えない。
「美奈の事も、お母さんの事も、二人が選んだ事だから。寂しいし、悲しいけど、それでも……っ」
白奈が言葉に詰まる。見ないでも、息遣いで分かる。
ぽつり、ぽつり。白奈の目尻から涙が溢れる。
アリスと居て気が緩んだのか、それとも白奈も我慢の限界だったのか。
「……それでも、それが魔法少女だから」
止めどなく溢れる涙を、白奈はもう我慢しようとはしなかった。
拭う事も、隠す事も無く、白奈は涙を流し続ける。
「二人共、誰かを護るために戦ったから……っ」
だからまだ、納得が出来る。なんて、思ってはいないだろう。そう自分に言い聞かせて、仕方の無い事だと諦めて、そうやって納得しようとしているのだろう。
白奈の悲しみは、アリスの比ではないだろう。文字通り、血を分けた姉妹が死んだのだ。会って一週間程のアリスとは到底比べ物にならない程の思い出が在るはずだ。
「でもやっぱり……寂しいわ……っ」
白奈はアリスを抱きしめるようにして涙を流す。
人目もはばからず、白奈は声を上げて泣く。
アリスも白奈を抱きしめながら、声を押し殺して泣く。
自分が泣いているのは筋違いだと、そう分かっているのに、アリスは涙を止める事が出来ない。
だって心が苦しいのだ。どうしようもないくらいに、叫び出したいくらいに、心が苦しい。
こんなに優しい少女の家族を自分は救う事が出来なかったのだ。罪滅ぼしどころか、更に家族の心に深い傷を作ってしまったのだ。
自分は強いのに、英雄なのに、大勢救ったのに、こんなに近くに居る人を救えない。
自分一人で異譚を終わらせていれば、命令無視をしてでも異譚に赴いていれば、こんな事にはならなかったのに。
「ごめ、なさ……っ、ごめん、なさ……っ」
アリスの謝罪は白奈には届いていない。
自身の泣き声が、こんなに近くに居るアリスの声すらも遮っている。
泣いている人に言葉すら届かない。
何一つだって、白奈を救う事が出来ない。
こんなに強いのに、今はただ無力だった。
泣いている二人の様子を、会場の草むらの中からサンベリーナは眺めていた。
朱里と揃ってどこに行くのかと着いて来たらこんな展開になっていた。
「キヒヒ。慰めに行かないのかい?」
「ぴゃ!? も、もう! 驚かさないでよ!!」
突然現れたチェシャ猫に驚きながら文句を言う。
「こういう時、仲間なら慰めるものだと思うけど? キヒヒ」
「……今は行けない。二人にしか分からない問題だし、割って入るのも、なんか違うから……」
程度は違えど、同じ痛みを持っている二人にしか分からない事だろう。そこにサンベリーナが行ったところで、何も出来やしない。
サンベリーナは無言でチェシャ猫に跨り、ふわふわの毛を引っ張る。
「帰ろう」
「キヒヒ。良いのかい?」
「うん。明日は、皆でお菓子でも食べてゆっくり休もうって、アリスに言っておいて」
「キヒヒ。分かったよ」
珍しく、サンベリーナの言う事を聞くチェシャ猫。流石のチェシャ猫も、からかう気にはなれないらしい。
一人と一匹は静かにその場を去っていった。
自分達になにか出来るとして、それが今ではない事くらいは分かっていたから。
2章終了
SSを幾つか書いてから3章へ




