異譚44 猫の二枚舌
シュティーフェルの魔法は万能ではない。在る事無い事出来るアリスの魔法と比べて、シュティーフェルの魔法は制限が多い。
シュティーフェルの魔法。それは『猫の二枚舌』である。
魔法の能力としては、『嘘を吐いた事が現実となる』というものだ。
スノーホワイトのように氷を出すだけのシンプルなモノや、サンベリーナのように回復などの補助が出来るような、いわゆるスタンダードな魔法とは違う。どちらかと言えばアリスのような利便性の高い魔法なのだけれど、アリス程の自由度は無い。
嘘が真実になるけれど、あまりに突飛な嘘は現実化しないうえに、対象の数、大きさにもよるけれど、魔法の行使には多くの魔力を消費する。
平均的な魔力量しかないシュティーフェルには、あまり多く魔法を行使する事が出来ない。
そして、相手が生物であると魔法が効きづらい。アリスのようにまったく効果が無いという訳では無いのだけれど、それ相応の魔力を消費した上に大した魔法をかける事が出来ないのであまり使う事が無い。
それに、相手に直接作用する魔法は相手の魔力耐性を上回らなければならないので、出来てもする事は無い。多大な魔力を消費しても大した効果をかけられないのだから、労力に見合わない。
加えて、無から有を生み出す事は出来ないのでその場に在る物を利用するしかない。だからこそ、前方注意で元々倒れていた木が勝手に起き上がったり、瓦礫に注意で家を崩して瓦礫を落とし、布団が吹っ飛んだで遠くに落ちていた布団が異譚支配者目掛けて吹っ飛んだのだ。
その場にある物しか使えないし、自分が対象物を認識していないと魔法は発動しない。
つまり、実現可能な嘘でない限り魔法として発動しないのだ。
シュティーフェルは逃げながら住民の避難進行度に意識を向ける。
通信はまだ復活していないけれど、着実に住民の避難は進んでいる。それでも、まだ半分も避難が完了していない。
正確な時間は把握していないけれど、異譚支配者と戦い始めてすでに十分は経過しているように思う。
今、ようやく一つの脱出地点から住民の避難が完了したところだ。
異譚支配者との戦闘前から避難に向けて動いてはいたため、実際に避難にかかった時間は十分では無いだろう。それか、脱出地点に一番近く、準備が既に整っていたから脱出まで早かったという可能性も在る。
ともあれ、正確な時間をシュティーフェルは知る事が出来ない。
どこまで耐えれば良いのか、いつまで戦い続ければ良いのか、それが分からない。
ゴールの見えないマラソンを強いられているような感覚。
「いやいや! 弱音退散! 何処までも逃げますよー!」
異譚支配者が鎌で家を壊し、瓦礫を飛ばしてくる。
「ほわっ!? 『瓦礫は当たりません!』」
シュティーフェルが魔法を発動すれば、瓦礫はシュティーフェルを自ら避けていくようにして後方へと流れていく。
「危ないですねー! もー!」
反撃をしようと考えるけれど、持久戦に持ち込むのであれば攻撃よりも防御に魔法を使った方が良いだろう。
それに、現状だとシュティーフェルの攻撃手段は乏しい。シュティーフェルの魔法は周囲の状況や他人の魔法を利用した方が戦いやすい。どちらかと言えば、サポート系のアタッカーなのだ。
だからと言って、攻撃する姿勢を見せなければ陽動だと気付かれてしまう。難しいところである。
シュティーフェルが攻撃しあぐねているのもお構いなしに、異譚支配者は高速でシュティーフェルへと迫る。
移動しながら勢いよく鎌で家を壊し、瓦礫を散弾のように飛ばしてくる。
流石に、何度も魔法を使うと直ぐに魔力が底を尽きてしまう。
シュティーフェルはぴょんぴょこと屋根の上をかけて瓦礫の範囲外へと逃れる。
が、避ける方向に向かって高速で異譚支配者が接近する。
近接戦はリスクが高い。即座に後退しようとするも、異譚支配者は家を鎌で破壊して瓦礫の散弾を飛ばしてくる。
ただの瓦礫でも当たればただでは済まない。背後に跳んでいては躱しきれない。
シュティーフェルは瓦礫を避けるのを優先で横方向に移動して瓦礫を回避する。
しかし、横方向だと異譚支配者との距離が稼げない。徐々に接近してくる異譚支配者に焦りを覚えるシュティーフェル。
速度は異譚支配者の方が上であり、器用に逃げ続けなければいずれ追いつかれるのは分かっていた。それに、逃げる方向も限定されている以上、上手く立ち回らなければ追い詰められるのはシュティーフェルの方だ。
次に瓦礫を飛ばされたら距離は完全に詰められる。そうなれば接近戦は必至である。
それは、お互いが分かっている事。ゆえに、接近戦を望む異譚支配者の取る行動はただ一つ。
高速で移動しながら鎌で家を壊し、瓦礫の散弾を飛ばす。
この一回で互いの近接戦の間合いに入る。
「『瓦礫は反転して勢いよく飛びます』!!」
シュティーフェルの言葉の直後、瓦礫の進行方向が反転し、異譚支配者に向かって飛んでいく。
自身で放った瓦礫の散弾が返ってきて面食らう異譚支配者だったけれど、構わずに直進を選ぶ。
異譚支配者の膂力とシュティーフェルの魔法の効力も合わさり、瓦礫の散弾は異譚支配者の身体を容赦無く打ち付け、その鱗を割っていく。
しかし、異譚支配者の直進は止まらない。これさえ凌げば近接戦に持ち込める。傷は負うけれど、致命傷には程遠いのであれば許容できる。
「――っ!!」
無理矢理直進してくるとは思っていなかったため、シュティーフェルは思わず面食らってしまう。
一瞬の硬直だったけれど、その硬直がシュティーフェルの選択肢を減らした。
高速で接近した異譚支配者は鎌を振るう。
「くぅっ……!!」
シュティーフェルは鎌の一撃を何とか軍刀で弾くけれど、膂力の差は歴然。
逃げる間を与える事無く、連続で鎌を振るう異譚支配者に徐々に押されていくシュティーフェル。
何とか凌いではいるけれど、このままでは直ぐにでも限界が来る。
「あ……っ」
数回の剣戟の後、異譚支配者の鎌の威力に負け、軍刀が手からすっぽ抜ける。
躊躇も、容赦も無く、異譚支配者の鎌が迫る。
体勢が崩れている。脚に力が入っていない。軽く跳んだくらいでは避けきれない。
防ぐための魔法も無い。
終わった。
自然と、諦めは着いた。新人にしては頑張ったな。そう思う。
人を護るために戦えた。正義のために戦えた。自分を貫き通せた。
死ぬのは怖いけれど、なんとなく満足でもある。
家族と同じように死ねるのであれば、文句も無ければ後悔も無い。
これで終われるのであれば、もう良いかとも思う。
英雄になりたかった訳では無い。誰かのために戦いたかった訳でも無い。
ただ、正しい事をしたかった。その末に死ねるのであれば、満足だ。
自分は正しいまま死ねる。正しい行いをした末に死ぬのであれば、自分が正しかった事になる。そのためなら、ここで死んだって良い。
正しさに身を滅ぼされるなら、シュティーフェルはいっこうに構わない。
死に身を委ね、目を瞑ろうとしたその時――
「勝手に諦めてんじゃ無いわよ!! 馬鹿!!」
――轟音と共に、黒薔薇が散る。
予想もしていなかった乱入者に、シュティーフェルは思わず目をぱちくりとさせてしまう。
「ど、どうして来たんですか……?」
思わずそう問えば、その者は眉を顰めて言った。
「私は、あんたがムカつくからぶん殴りたい。だから、その前に死なれたら困るのよ」
黒薔薇の少女――美奈はシュティーフェルを見やる。
「私に殴られるまで死なないで。私も、あんたを殴るまで死なないから」