異譚43 猫は嘘吐き
その選択をするのに躊躇は無く、これから何があっても後悔をしないだろう。
公人たれ。正義たれ。魔法少女とは、そういう者だ。
だから、直ぐにそれを選ぶことが出来た。
異譚支配者は何故だか狙いをシュティーフェルと美奈に定めた。恐らくだが、集団から外れているから狩りやすいのだろうと思ったのだろうけれど、シュティーフェルは異譚支配者の意図には気付いていない。そもそも、異譚支配者の目的すら分かっていない。
けれど、こちらに向かってきていて、美奈と一緒だと時間を稼げないと分かれば、シュティーフェルの取れる行動はこれしかなかった。
一人で囮になる。それが、シュティーフェルの導き出した最適解。
シュティーフェル一人で異譚支配者に勝てるとは思っていない。なので、最初から勝つつもりは無い。
シュティーフェルに出来る事は住民が一人でも多く異譚から逃げるために時間を稼ぐ事だけだ。幸い、異譚支配者は住民を狙わずにわざわざシュティーフェルの方まで来てくれている。住民達の脱出地点も把握しているので、そこを避けて戦闘を行えば良い。
「ぶるっちゃいますね、本当に!」
快活に恐怖を零す。
怖いのは本当だ。自分より強い相手と戦うのは怖い。死ぬかもしれないのが怖い。
けれど、魔法少女になったからには立ち向かわなければいけない。それが魔法少女であり、それがシュティーフェルの選んだ道であり意志である。
正しい事をする。それがシュティーフェルの意志。
「――っ! お目見えですね!」
シュティーフェルの獣の瞳が、空中を高速で移動する半透明の生命体を捉える。
異譚支配者の方もシュティーフェルを正確に捉えたのか、速度を増してシュティーフェルに迫る。
軍刀を握る手に力が籠る。
頼れる先輩達も居ない。援護をしてくれる味方の魔法少女も居ない。護ってくれる英雄も居ない。
正真正銘、此処にはシュティーフェルただ一人だ。
「……こんな気持ちで、アリス先輩もロデスコ先輩も戦ってたんですね……!!」
誰も居ない恐怖。自分でどうにかするしかない心細さ。
異譚支配者を倒せない以上、シュティーフェルはこの恐怖と戦い続けるしかないのだ。自分の力が尽きるか、全員が脱出出来るまで。
怖い。怖い。怖い。怖い。
「――ッ!!」
唇の端を自身で噛み切り、恐怖に染まりそうになった思考を痛みで誤魔化す。
自分で選んだ事だ。怖がるな。立ち向かえ。正しい事をしろ。猫屋敷餡子なら正義を全うしろ。公人たれ。魔法少女ならば戦え。家族に、人々に顔向け出来る人間であれ。
それが出来なければ、自分の存在価値など無いと知れ。
「行きます!!」
素早く、シュティーフェルは走り出す。
迫る異譚支配者の鎌と触手の攻撃は半透明で見辛いけれど、魔力の気配と強化された視覚で正確に捉え、手に持った軍刀で鎌の攻撃を逸らし、触手を切り裂く。
反応できる。逸らせる。反撃出来る。
けれども、鎌は重く、視界に捉えづらい攻撃は集中力をかなり必要とする。
加えて言えば、一撃必殺の攻撃も注意しなければいけないし、異次元跳躍にも気を割かなければいけない。
戦闘に不慣れであるのならば、近接戦は避けるべき相手だ。
「ほら、こっちですよ! お尻ぺーんぺーん! べろべろばー!」
注意を引き付けるように声を出し、脱出地点から遠ざけようとする。
そもそもの狙いがシュティーフェルだったのか、それともシュティーフェルの幼稚な煽りに怒ったのかは定かでは無いけれど、異譚支配者はシュティーフェル目掛けて高速で迫る。
シュティーフェルは即座に走りだす。
崩れた建物を足場に、まるで水切り遊びの石のように軽快に跳ねて逃げる。しかし、ただ逃げるだけではいずれシュティーフェルの目論見がバレてしまうだろう。そうすれば、異譚支配者は獲物を変えるだろう。
戦う姿勢は見せ続けなければいけない。
「『前方注意です』!!」
シュティーフェルが声高らかに異譚支配者に向かって言う。
しかして、空を飛ぶ異譚支配者の前方に注意が必要な物は存在しない。
異譚支配者は気にも留めずにシュティーフェルへと迫る。そして、異譚支配者がシュティーフェルに追い付いたその瞬間、どういう訳か倒れていた木が起き上がる。真正面から勢いよく起き上がった木の直撃を受けた異譚支配者はバランスを崩して地面に激突する。
すかさず、シュティーフェルは異譚支配者の傷口目掛けて軍刀を振るう。
そして、ぴょんぴょんと軽快に距離を取りながら口を開く。
「『瓦礫に注意です』!!」
シュティーフェルの言葉の直後、異譚支配者の直ぐ傍にある家が崩壊し、瓦礫となり異譚支配者に降りかかる。
ただの木。ただの瓦礫。そんなものは異譚支配者に痛痒を与える事も出来ない――はずだった。
しかし、異譚支配者の身体には確かなダメージが在り、運悪く傷口に落下した鋭利な瓦礫は深々と異譚支配者に食い込んでいる。
ぴょんぴょこと軽快に跳ぶシュティーフェルはにっこり笑顔で異譚支配者を見やる。
「『バスガス爆発』!!」
早口言葉を唱えれば、異譚支配者の直ぐ傍に横倒れになったバスが爆発する。
人にとっては大規模な爆発でも、異譚支配者にとっては小規模な爆発。けれど、爆風は確かな熱を異譚支配者に浴びせ、熱風は異譚支配者の鱗を焦がす。
異譚支配者はいったん上空へと登り、シュティーフェルと距離を取る。
何が起こったのか、異譚支配者には分からない。自身にダメージを与えるという事は、それが魔法である事は分かる。けれど、どういった類の魔法なのかは理解が出来ない。
銃弾でも、補助でも、お菓子でも、花でも無い。
何が起こるか予測が出来ない。
無理矢理距離を詰めるのは悪手だろう事は分かり、一先ず距離を取っている。
睨み合う両者。
自信満々に軍刀を構えながら、シュティーフェルはしめしめと内心でほくそ笑む。
予測不能の魔法だと思って警戒して距離を取ってくれているのであればシュティーフェルの目論見通りだ。
この異譚支配者、おそらく馬鹿ではない。
だからこそ、摩訶不思議な魔法を見せる事で警戒をさせる。自分の魔法が万能である可能性を示唆するために。それを考えるだけの頭がこの異譚支配者にはある。
シュティーフェルを警戒して睨み合いの硬直状態になれば多くの時間を稼げる。
シュティーフェルは自信満々に笑みを浮かべながら、じりじりと間合いを探るように歩く。まるでこれから攻撃でもするぞといった動きに警戒をする異譚支配者だけれど、シュティーフェルに攻撃の意図は無い。
あくまで、シュティーフェルの目的は時間稼ぎ。無理矢理攻めるのは悪手だ。
全ての避難誘導が終われば、その時点で近接戦最強のロデスコが参戦できる。
確かに強力な異譚支配者だけれど、近接戦で言えばロデスコには及ばない。
避難が完了した時点で、シュティーフェルの勝ちは確定したも同然だ。
けれど、それまで一人で凌ぐ必要がある事も忘れてはいけない。
今もなお綱渡りの状態。一瞬たりとも気を抜けない。
恐怖も緊張も、全ての負の感情を笑顔の下に隠す。
「頭上注意!!」
おもむろに言葉を吐けば、異譚支配者は即座に頭上に意識を向ける。
が、何も起こらない。そこには、何も無い。
「あははっ、お馬鹿さんですね!」
煽るように笑いながら、シュティーフェルは異譚支配者から距離を取るように走る。
コケにされたと分かったのだろう。異譚支配者は雄叫びを上げてシュティーフェルへと迫る。
迫る異譚支配者に向けて、満面の笑みでシュティーフェルは言う。
「『布団が吹っ飛んだ』!」
シュティーフェルの言葉の直後、何処からか飛んできた布団が異譚支配者の顔に直撃する。
それを見て、シュティーフェルは楽しそうに笑う。
笑え。笑え。全部隠すくらい笑え。
「ふふふ。猫って嘘吐きなんですよ! にゃーにゃーにゃー!」