異譚42 意義
薄々、分かっていた事だった。母が魔法少女に戻りたがっているという事は、恐らく、家族全員分かっていた。
悲しいし、寂しかったけれど、心の何処かではその時が来ただけなのだと納得していたりもした。
知りたかった。母を戻すきっかけになった魔法少女の事を。
知りたかった。母が何故そこまで魔法少女に固執したのかを。
知りたかった。母にとって魔法少女とは何なのかを。
自分も魔法少女になってみたけれど、魔法少女は十人十色であり、皆が様々な考え方を持っていた。けれど、一貫して異譚の終焉に尽力している事は変わらなかった。それは、アリスも変わらなかった。
未だに、母が魔法少女に固執した理由は分からない。訳を知っているだろう父に訊いても、父は何も答えてはくれなかった。
ずっと、ずっと納得が出来なかった。母を失った事。家族がバラバラになった事。全部、全部、納得出来なかった。
アリスが母を見捨てたと思う方が楽だった。それが違うという事は知っているけれど、そう思った方が楽だった。
アリスに全部押し付けてしまう方が楽だったのだ。
「……あぁ……クソったれ……ほんとに……」
ふらつく頭を手で抑えながら、ゆっくりと立ち上がる。
「ははっ、笑える……なにが母さんの意志よ。くだらない……」
違う。全部違う。根底から違ったのだ。
アリスが悪いのではない。悪いのは、母だったのだ。
自分達を捨てた母が憎かった。自分達ではなく見も知らぬ子を選び、家族を捨て、魔法少女に固執した馬鹿な女が憎くて仕方が無かったのだ。
「はぁ…………止め止め、バカらしい」
正しく認識してしまえば、頭の中はいつも以上にすっきりとしていた。
家族を嫌いになりたくなかったから、無理矢理母を好きでいようとしていた。母の事を尊敬していて、母の事を愛している娘のままでいようとした。
誰が好き好んで家族を嫌いになる。そういう事情のある家庭で無かったら、母を嫌おうだなんて思わないだろう。
だから、好きでいられるように頑張った。嫌いだと思う感情に蓋をした。
母の行動や意志をなぞった。母のような誰かのために頑張れる魔法少女になろうと頑張った。
でもダメだった。母のようになれるはずなんて無かった。だって、美奈自身が母の行動や意志に納得していなかったのだから。
無理矢理型に押し込めようとして、でも心のどこかで反発して。だからこそ、中途半端な行動しか起こせなかった。
アリスに噛みつく時だって、もっともっと感情的になってぎゃんぎゃん喚き散らしたって良かったのにそうしなかった。だって、母が許せなかったから。自分達を見捨ててまで選んだ相手であるアリスは憎いけれど、それ以上に自分達を選ばなかった母が憎かった。
だって、美奈には家族以上に大事なものなんて無かったから。
きっと母にはあったのだろう。家族を捨ててまで貫きたいモノが。価値観が違うから、バカらしいと思ってしまうけれど。いや、実際に馬鹿だ。家族を捨てて一月で死んで、結果的に何も残せていない。
ただ家族にとっての最悪を招いただけだ。
離婚してから父は塞ぎ込むようになって、姉は母を追って魔法少女になって、自分まで魔法少女になって母に振り回されている。
「……あの馬鹿女は……家族ぶっ壊すだけぶっ壊して死んだんだ……。最低最悪の、糞女だ……」
思い出すだけでも胸糞が悪くなってくる。
今まで隠していたモノの蓋が外れ、留めていた感情が溢れ出てくる。
利己的で、夢見がちで、我が儘で、優しくて、誕生日にはケーキを作ってくれて、小さい頃は寝る前に絵本を読んでくれて、運動会には大好きな唐揚げの入ったお弁当を作ってくれて、授業参観にはちょっとおめかしして来た綺麗な母が自慢で――
「――ッ!!」
美奈は壁に勢いよく頭を打ち付ける。
何度も、何度も、何度も。血が流れる程に、強く、強く。
まるで溢れ出る思考を止めようとするように、何度も、何度も打ち付ける。
やがて力無くその場にへたり込みながら、壁に頭を預ける。
「…………うぅっ……っ、なんでぇ……っ」
嗚咽を漏らし、涙を流す。
「なんで……なんで……憎んでるはずなのに……っ」
恨む気持ちの中に混じる、消えない母との思い出。色褪せない母の笑顔。四人で楽しかった日々。
「なんでまだこんなに大好きなのよ……っ!!」
憎くて、許せなくて、でも大好きで、愛おしくて、いなくなったら寂しくて。
感情が取っ散らかる。
許せない事も、愛している事も、全部本当の美奈の感情だからこそ、もうどうしようもないくらいに言い逃れが出来ない。目を背けられない。
母の意志なんて言い訳ではもう逃げられなくて、魔法少女を選んだ母を許せないなんて感情ではもうどうにもできなくて。
「キヒヒ。家族だから、仕方ないよ」
「――っ!!」
突然、背後から聞こえてくる誰かの声に驚き、美奈は慌てて振り返る。
そこには、黒のセーラー服に身を包んだ美しい少女が立っていた。
「貴女は……あの時の……」
驚異的な斬撃を放って、異譚支配者から自身を助けてくれた少女。
どうしてここに。なんて疑問を言う間もなく、少女は美奈にゆっくりと歩み寄る。
「憎いのも、許せないのも、愛してるのも、大好きなのも……全部君の素直な感情さ。キヒヒ」
引き攣ったように笑いながら、少女は美奈の額にハンカチを当てる。
「キヒヒ。感情って言うのは、度し難いんだよ。上手くそれに折り合いを付けるしか無いんだ。例えそれが、家族でもね」
少女はハンカチで美奈の目元を拭う。
一瞬の瞬き。たったそれだけの間で、黒い少女は目の前から消えていた。
残ったのは、血塗れのハンカチだけ。
「後は好きにおし。逃げるも戦うも、君の自由だ。キヒヒ」
何処からか、黒い少女の声が聞こえてくる。
彼女が誰で、何のために美奈の前に現れたのかは分からない。けれど、最早そんな事はどうだって良い。
美奈はすっと立ち上がり、シュティーフェルの向かった方向へと目を向ける。
皆を助けたいと思った。――それは本当の事。
誰一人死なせたくないと思った。――それも本当の事。
アリスが許せない。――それだって本当の事。
美奈は深呼吸をする。
今までの気持ちに、一つだって嘘は無かった。ただ誤魔化して、見たく無いものに蓋をして、背中を向けていただけなのだ。
自分の気持ちに気付いてしまったら、気付かないふりなんてもうできない。
美奈は走りだす。
逃げるも戦うも自由なら、美奈はもう逃げない。
家族からも、アリスからも、異譚からも、もう逃げない。
母の意志なんてどうだって良い。美奈は母を愛していただけで、その意思まで愛していた訳では無い。母を正当化するための、母を美化するための意義はもういらない。
きっと、母は自分のために戦ったのだ。死なせるのが怖くて、見過ごすのが怖くて戦ったのだ。世のため人のためなんて考えてない。自分を傷付けないために戦ったのだ。
その結果、誰かを救っていただけだ。
だけどそれは、母に限った話ではない。
他の誰も、自分のために戦っている。他人に戦う理由を求めない。戦いの意義を求めない。他人に意義を求めたら、裏切られた時に意義は意味をなさなくなるのだから。
だから皆、自分のために戦っている。
父には申し訳無いと思うけれど、美奈も自分のために戦う。まだ、母のように明確な意義なんて思い浮かばない。だから、差し当たっては今一番ムカついている事を意義にしようと思う。
「絶対顔面ぶん殴ってやる。あの正論女……!!」
それまでは、絶対に死なせない。異譚支配者の後は、絶対にシュティーフェルを殴る。
今は、たったそれだけで十分だった。




