異譚36 現実逃避の規律違反
一行から離れた美奈はサンフラワー達を置いて行った学校に戻っていた。
道中、路肩に駐車されていたバスを拝借して体育館の入り口に横付けする。
魔法少女は不測の事態に備えて、様々な乗り物の操縦訓練を行う。乗用車やバス、重機からヘリまで様々だ。美奈は乗用車やバス、トラックの操縦訓練を受けているので運転する事が出来る。が、流石にヘリやら戦闘機やらは操縦できない。そもそも、する必要も無いのだけれど。
「っしょ……!」
美奈は一般人から順にバスへと乗せて行く。
絶対に助ける。絶対に助けられる。生きてるのなら、絶対に。
美奈がバスに住民達を運んでいるその最中、甲高い音と共に何かが破壊される音が響き渡る。
「――っ!? 何!?」
驚愕しながらも、美奈は状況を把握するために体育館の屋根に上る。
「あれは……」
遠くで、ナニカが建物を破壊している。出たり、消えたりと姿を捉えるのは難しいけれど、それでも、そのナニカが異譚支配者である事は直ぐに分かった。
異譚支配者と対峙した時の恐怖を思い出し、美奈の身体が勝手に震える。
「……っ!! 震えるな……震えるな……っ!! このぉ!!」
震える身体を抱きしめるようにして震えを抑えようとする。
「……早く、早くしないと……」
異譚支配者はまだ遠くにいる。その間に、全員をバスに移動させなければいけない。
急いで屋根から降りようとした美奈に、不意に声がかけられた。
「やっと見つけた!」
「――っ!?」
焦ったような、安堵したような、そんな声に振り返れば、そこにはシュティーフェルが立っていた。
敵ではなかった事に安堵しつつも、美奈には何故ここにシュティーフェルが居るのかと疑問が残る。
「なんでここに……」
「途中でいなくなったのに気付いたので、探しに来ました! 自分、鼻が効くので!」
言って、とんとんっと自身の鼻先を自慢げに指で叩くシュティーフェル。
「……連れ戻しに来たの?」
「はい! さぁ、戻りましょう! 怖いのは分かりますけど、魔法少女なら皆を助けないといけないですからね!」
「怖くなった訳じゃ無い! 私は、ここの人達を助けに戻っただけよ」
美奈は穴の開いた体育館の屋根に視線をやる。
穴の向こうには目を閉じて横たわる人々の姿が在る。
「ここの人達をバスに乗せて、次の脱出地点まで向かうわ。それが終わったら、合流するから」
「ダメですよ! 今すぐ戻りましょう! わたし達にはやるべきことがたくさんあるんですから!」
「これだって、私達のやるべき事の一つでしょう?」
シュティーフェルの発言に、美奈は不愉快そうに目を細めて返す。
しかし、シュティーフェルは怯んだ様子も無い。むしろ、きょとんとした様子で美奈に言葉を返す。
「でも一番優先順位が低いですよ?」
「――っ! 優先順位がなんだって言うの!? この人達だって要救助者でしょ!? 仲間だって居るんだよ!?」
声を荒げる美奈に、シュティーフェルは小首を傾げる。
「それ、自己都合ですよね?」
「………………は?」
何を言われたのか分からないという顔をする美奈に、シュティーフェルは続ける。
「貴女……えっと、お名前なんでしたっけ?」
言いながら、携帯端末を操作してサンフラワー隊の面々の情報と照合する。
「ああ、如月美奈さんですね。如月さんは魔法少女ですよね?」
「当り前じゃない。異譚に居るんだから……」
「なら、魔法少女として出された命令に従うべきです。コスモスから出された命令は『生存者の救出』です。この方達は残念ながら生存者のリストには含まれていません」
「まだ生きてるって、あんたのとこの魔法少女も言ってたじゃない!!」
「どちらとも判断できない難しい案件だと言っていました。なので、後回しにしたのです。如月さんのはそう思いたいという感情論です。あ、それが悪いと言ってる訳では無いですよ? わたしも、この方達が生きてくれていたらとても嬉しいですから!」
にこっと屈託の無い笑みを浮かべるシュティーフェル。
しかし、美奈はシュティーフェルの笑みに違和感を覚え、思わず一歩後ろに下がる。
「ですが、感情論を持ち出して現場を混乱させてはダメです! それに、如月さんのは命令違反の単独行動です。命令違反はいけないんですよ? めっ、です」
わざとらしく怒ったふうに見せるシュティーフェル。可愛らしいその行動すら、美奈は違和感を覚えて仕方が無い。
けれど、美奈だって引き下がるわけにはいかない。
「……わ、分かってるわよ。でも、それでも……私にはこの人達を見捨てる事なんて出来ない! 誰も思わないじゃない! 誰も考えないじゃない! 誰も言わないじゃない! 全員助けるだなんてそんな馬鹿な事!!」
あの、アリスですら。
全員を助けるだなんて、口にした事は無い。
「だから私がやるのよ! 私が全員助けるのよ! それが母さんから受け継いだ私の意志なんだから!!」
キッとシュティーフェルを睨みつける。
シュティーフェルは美奈の睨みつける目をしっかりと見据える。そして、無機質に口が開く。
「お母さんの実績を追うならともかく、意志を追うなんてナンセンスです。人間には出来る事と出来ない事があります。異譚の要救助者全員を助けるのは前例が無いので現状不可能な事に当たります。そんなくだらないモノを追うくらいなら、現実としっかり向き合って今すぐに助けられる人達を助けるべきです。あなたのやっている事は実りの無い無駄な事です。多少の実りとして自己満足を得る事が出来ますが、命令違反に助かるかどうかも分からない人達の救助と言う後回しで良い事に力を入れるという、仕事の優先順位が分かっていない行動は誰も評価はしてくれません。それどころか、命令違反を行った事による罰則が科される可能性が高いです。後で誰でも出来る仕事よりも、魔法少女にしか出来ない仕事を率先してやるべきだとわたしは考えます。わたし達魔法少女は
他人よりも出来る事が多いです。その広がった出来る事をやるのがわたし達魔法少女の仕事であり義務であると思います。如月さんはその義務を放棄しているだけです。夢よりもまず現実を見ましょう。そうすれば、おのずと出来る事も広がるはずです。わたしも、自分の力不足には嫌気がさしています。足手纏いがとても悲しいですし、先輩達の力になれない事がとても悔しいです。お情けで避難誘導の仕事を頂いた身でもあります。なので、今回の事を期に更なるステップアップをしようと意識を向けています。先程は子供をあやそうとして他の人の気分を害してしまいましたが、それはその人の不安から来るものでした。当たり前ですよね。わたしには知名度も力も無いのですから。仕方の無い事です。なので、今回の異譚で経験と知恵を付けて次こそは皆を安心させられる魔法少女になろうと考えています。今必要なのは、意志よりも実績と経験です。如月さんの行動はその両方を投げ出すただの現実逃避です。なので、直ぐに避難誘導に戻りましょう。そうすれば、経験も実績も次に活かせます。自己満足の現実逃避より、誰もが認める経験と実績を積みましょう」
思わず、美奈は呆然とする。
表情の色が抜け落ちた目の前の少女から繰り出される正論。それは全て的を射ており、美奈の自尊心を貫くには十分だった。
けれど、それよりも、温度の下がったこの少女に、美奈は恐怖を隠し切れない。
先程、子供をあやしている時の笑顔を見た。置いて行かれて肩を落としている姿を見た。それ以外にも、人間味のある言動を見てきた。
けれど、目の前の少女からはその人間味の一切を感じ取る事が出来ない。
それが、得も言われぬ恐ろしさを美奈に与える。
「さ、直ぐに戻りましょう! わたしの先輩達が核の相手をしている内に!」
急激に温度が上がり、シュティーフェルはにこっと愛らしい笑みを浮かべる。
「……あんた、いったい……」
「? どうかしましたか?」
恐怖が無いわけではない。けれど、シュティーフェルに従う訳には行かない。そこは、絶対に譲ってはいけないのだ。
合理性も無いただの意地だけれど、その意地こそ無くなったら美奈は自分の尊敬する母に顔向けできない。
「……戻らないわ。バスでこの人達を次の脱出地点まで――」
「なるほど! では強硬手段に移らせていただきます!」
にこっと笑顔を浮かべ、シュティーフェルは体育館の屋根から飛び降りる。
何をするのかと慌ててシュティーフェルの行動を追うために屋根の端から見下ろす。
シュティーフェルは着地と同時に駆け出し、軍刀を引き抜く。
そして――
「にゃ!」
――たったの一振りでバスを両断した。
「――ッ!! なんて事……ッ!!」
乗っていた人ごと斬ったのかと思い息を呑む美奈だけれど、シュティーフェルは笑顔で美奈に手を振る。
「タイヤの少し上を切ったので中の人は無事ですよー!」
それを聞いて、美奈は安堵からその場に座り込んでしまう。
そんな美奈にシュティーフェルはにこにこと笑みを浮かべて言う。
「如月さんが戻らないのであれば、わたしは周囲の大型車を全て破壊します! 諦めてくれるまで破壊します! それはお互いになんの実りも無いので、如月さんが隊に戻ってくれる事を願っています!」
シュティーフェルは屈託の無い笑みを浮かべる。
その笑みが、美奈には不気味で仕方が無かった。