異譚35 ニコイチ
狩りをする上で一番の興醒めは獲物に逃げられる事である。
逃げられれば成果は無く、達成感も何も無い。
だからこそ、逃げられないように追い込む。
確実に狩れるように。確実に殺せるように。
「んで、今も異譚の境界付近の建物を壊して逃げ道を潰してるってわけ。異譚はあいつの狩場って事ね」
異譚の中で一番高い建物のてっぺんに座り込みながら、沙友里に連絡をするイェーガー。その声音は少しだけ得意げであり、まるで自分の成果を披露しているようにも見えた。
「異譚生命体がいないのは、狩りの邪魔だから。自分の獲物を横取りされるとか興醒めだしね」
『境界が出入り出来ないようになっているのもそのためか……』
「まぁ、バカ力女のせいで境界も意味無くなったけどね」
出入りを禁止したはずなのに、ロデスコが出入りを出来るようにしてしまった。なので、慌てて建物や道を壊して逃げ辛いようにしている。
「異譚の景色がそんなに変わらないのも、一般人を異譚生命体にしないのも、全部狩りのため」
『魔力を異譚領域の維持のみに使われているという事か。狩りを楽しむだけであれば、異譚も一定の広さだけで充分か……』
狩りを楽しむだけであれば、世界を侵食する必要が無い。
今回の異譚支配者は世界を侵食する気がさらさらないのだ。
『イェーガー。一般人が異譚生命体に成る事が無いのであれば、避難はより慎重に行う事が出来る。だが、瓦礫と崩れた道を通る事を考えると、かなり時間がかかる』
「まぁ、一般人じゃひとっ跳びって訳にはいかないしね。完全に避難するまでに何時間かかる事やら……」
『現状、境界を破壊できるのはロデスコとアリスだけだ』
「そのアリスも今回は待機でしょ」
『私ならいつでも出撃できる』
二人の通信に割って入るアリス。
『アリスは待機だ。何度も言わせるな』
少し強めに沙友里が言う。
イェーガーには見えていないけれど、カフェテリアではアリスが至極不満そうな顔をしており、それを見て瑠奈莉愛があわわと慌てて宥めている。
そんなアリスを無視して、沙友里はイェーガーに言う。
『とにかく、脱出までにかなりの時間がかかる。その間の時間を稼げるか?』
「稼ぐどころかぶっ殺してやるわよ。それがあたしの仕事なんだから」
『ああ、頼んだぞ。だが無理はするな』
「了解」
沙友里との通信を切った後、イェーガーは建物を壊す異譚支配者を見やる。
時間を稼げと言われたにも関わらず、イェーガーは呑気に座り込んでいる。
そんなイェーガーを見て、アシェンプテルは眉根を寄せて訊ねる。
「どうするの?」
「どうするって、なにが?」
「倒すんでしょ? なら動かないと」
「まだよ、まだ。さっきも言ったけど、異次元に跳ぶ魔法は魔力消費が多いから、あいつが疲弊するまで使わせるわ」
「その間に建物とかも壊されるけど?」
「はっ、知ったこっちゃないわ」
くだらないとばかりに馬鹿にしたように笑うイェーガー。
「……その家に住んでる人も居るんだよ? 思い出だってあるし、大切なものだっておいてあるかもしれない。それに、復興にも費用が掛かるんだから、被害は最小限に抑えないと」
「かんけーねー。あたしになんっにも、かんけーねー。くっだらねー」
「関係無い訳ないでしょ。イェーガーちゃんも魔法少女なんだから、異譚から市民と街を護る義務があるんだよ」
心底呆れたように大きく溜息を吐いて、イェーガーはアシェンプテルを見やる。
「義務とか心底どーでもいい。命張ってんだから好きにさせろよ」
「イェーガーちゃんの物言いじゃ、なんでもまかり通っちゃうでしょ。面倒なのは分かるけど、規則には従わなくちゃ」
一応、魔法少女にも規則がある。
その規則の中には市民と街の保護の優先が在る。イェーガーのしていることは、その規則に反する事だ。因みに、前回のアリスの致命の大剣の一撃はこれに反している訳では無い。異譚では、何よりもまず異譚の早期解決が優先されるためである。
「その規則だって現場に出てもいない机と地位に齧りついてるお偉いさんが決めた事でしょ? くっだらね。だったらてめーでやれよって話だわ」
「上の人と現場で仕事が違うのは当たり前でしょ。分業と適材適所ってやつだよ」
「なら口出しすんなって思うけどね、あたしは。こっちはプロな訳だし」
「プロなら異譚支配者が完全に疲弊する前に倒せるんじゃない?」
挑発するような物言いのアシェンプテルに、イェーガーが苛立ったように眉根を寄せる。
「プロの判断よ。あいつは強いけど、技が大味過ぎる。異次元に跳ぶのも、一撃必殺も魔力消費はかなり激しいはずだわ。向こうがばかすか使ってくれてるんなら、最大限に消耗したところを狩るのが定石でしょーよ」
「その間の被害には目を瞑るの?」
「被害なんて出て当たり前でしょ。それに、命があるだけ儲けもんだわ。家なんて無くたって生きていけんだから」
「それ、本気で言ってるの?」
怒った様子を隠しもしないアシェンプテルに、不愉快そうに顔を顰めるイェーガー。
「本気だけど、なに? 文句ある?」
「あるよ。イェーガーちゃんの事情は少しは知ってるつもり。だけど、それはイェーガーちゃんの事情であって、皆の事情じゃない」
声を荒げる事は無く、けれど、アシェンプテルの語調は強めだ。
「家に大切な思い入れがある人も居るの。ワタシだって、小さい頃から自分が住んでる家が無くなったら悲しいよ。イェーガーちゃんは、もう少し人の気持ちを理解してあげて」
「あんたこそ、あたしの気持ちを理解した気になってんじゃねぇよ。皆の事情? それこそ知るか。あたしの仕事は異譚を終わらせる事。それ以外の事情なんざ興味関心も無ければ、遵守する義務もねぇんだよ」
「それ、人としてあるまじき言葉だと思うけど?」
「人それぞれって言葉知らない? あたしはこういう生き方しか知らないんだよ」
睨み合う両者。
異譚支配者を前に、まさに一触即発の二人。
「現着」
「到着」
が、二人の間に割って入るように上空から着地をする二つの影。
二人を見て、イェーガーは毒気が抜かれたように息を吐く。
「ようやく来たなニコイチ」
「二個一じゃない」
「でも一心同体」
到着したのは双子の魔法少女、唯と一だった。
二人はふんだんにフリルのあしらわれたゴシック・アンド・ロリータに身を包んでおり、一見するとどちらが唯で、どちらが一なのか分からないくらいに何から何までそっくりだった。
「待ってたわ。ヘンゼル、グレーテル」
唯と一――ヘンゼルとグレーテルの登場に、アシェンプテルもいったんは矛を収める。
ただ、沙友里と要相談と判断はする。
「「どうするの?」」
息もぴったりに二人が訊けば、迷わずイェーガーが答える。
「相手の消耗待ち。とはいえ、多分出口を塞いだら直ぐに異次元に跳ぶと思うから……」
周囲を見渡した後、イェーガーは決める。
「半分。そこまで壊させたら、突撃する」
「「了解」」
意図的に壊させる。その意味をヘンゼルとグレーテルも理解しているけれど、反論をする様子は無い。
この場では、アシェンプテルの方が少数派であると、アシェンプテルも理解している。
これ以上の問答の方が時間の無駄であり、余計な被害を生みかねない。
「……了解よ」
頷いたアシェンプテルを見て、イェーガーはつまらなそうに鼻を鳴らす。
けれど、それ以上は言わない。それ以上は必要無いと理解しているから。
「攻撃地点まで先回りする。行くよ」
「おうさ」
「おまかせよ」
「りょうかーい」
四人は攻撃地点まで向かう。
ひと悶着はあった。けれど、二人はプロである。戦うと決めた以上、それ以外の感情は二の次にする。
意見がぶつかっても、考え方が食い違っても、大事な仲間である事には変わりないのだから。
「…………速攻ぶっ飛ばしゃ良いだけでしょ。やってやるわよ」
イェーガーの小さな声は、風に溶けて消えていった。




