異譚34 遊び場
美奈の母親は有名な魔法少女だった。
強く、優しく、美しい、魔法少女の中の魔法少女。
美奈にとっての母親は憧れで、自慢で、光だった。
『私はいっぱい助けたい。助けて助けて助けて、誰も取りこぼさない程助けたいんだ』
そう言った母親の笑みは眩しくて、美しくて、いつかは自分も母親のような魔法少女になれたらとずっと思っていた。
だから、美奈にとってはショックだった。母親が死んだ事。母親が多くの命を取りこぼし、その中で一人の英雄が生まれた事が。
積み上げられた屍の上に立つ英雄は、強く、不愛想で、けれど美しい魔法少女だった。
英雄の名はアリス。美奈の母親の最後の教え子。
最初は、この少女が母の意志を継いでくれるのだと思っていた。教え子なのだから、当然母の望みも知っていて、母の意志である『多くの命を救う』ために尽力してくれるのだろうと、そう思っていた。
そう思っていたからこそ、母親の葬儀に現れなかった事も許せていた。英雄として忙しく、日々人を救うために尽力しているからだと、そう思っていたのだ。
けれど、アリスは人を救わなかった。
異譚を終わらせるためだけに動き、異譚を終わらせるためだけに戦う。そこに、人を思いやる気持ちなんて一つも無くて、人を救いたいだなんて思いは一つも無くて、大好きだった母親の意志なんて欠片も無くて。
それが、たまらなく悔しかった。
母は、皆から愛され、皆から死を悲しまれ、惜しまれた。美奈の大好きな魔法少女であり、美奈の英雄。
その意思を継がないのであれば、自分が継ごうと思った。
誰一人として死なせない。そんな事が不可能である事は百も承知だけれど、それが理想の中の理想である事も勿論分かっているけれど、それでも、自分が愛した母親の意志を途切れさせてはいけないのだ。
理想を追って何が悪い。異譚という悪夢に希望を掲げて何が悪い。
美奈から言わせれば、希望も、理想も、信念も無く戦う方がおかしいのだ。
理想と現実に折り合いを付けろだなんて、理想を追わないための言い訳だ。諦めきった人間の言葉だ。
誰も彼も信念も理想も無いから、簡単に切り捨てられるのだ。
自分は違う。自分は、誰一人として見捨てない。絶対に。
美奈の足取りが遅くなる。ゆっくり、ゆっくり、誰にも気取られないように、集団から離れていく。
誰にも気付かれる事無く、美奈は集団とは別の方向へと走り出す。
誰も見捨てない。理想も捨てない。誰一人として取りこぼさない。
それが母の信念であり、引き継いだ美奈自身の信念だ。
例えまだ力が無くとも、出来る事くらいは幾つも在る。
美奈は走る。自分の信念を貫き通すために。
〇 〇 〇
それは突然だった。
ロデスコによって境界が破壊された直後、突如として異譚支配者は凄まじい速度で進行を開始する。
突然の事ながらも、即座にイェーガーは走り出す。
アシェンプテルも隠密を解き、装いを銀色のドレスに戻しながらイェーガーの後に続く。
「どうする? 異次元に潜られてちゃ、こっちの攻撃は通らないよ?」
「出て来たところを速攻で叩く。あたしの銃ならそれで十分間に合う」
集中し、異譚支配者の位置を感知し続けるイェーガー。
が、暫く進んだところで、異譚支配者の動きが止まる。
「……? なんで止まる……」
即座に、イェーガーは魔法を使って気配を消す。イェーガーに倣って、アシェンプテルも隠密の魔法を使いながら、異譚支配者の進もうとしていた方向を見やる。
「あの方向って、最初の脱出地点だよね? 住民の人達の脱出を阻止したかったって事かな?」
「……一般人共狙ってるって事? 何のために?」
「さあ? 前回の異譚だったら、まだ脱出を阻止する理由とか思いつくけど……」
漁港の異譚であれば、異譚支配者は食べる事によってその力を増していた。最終的に、人型の異譚生命体を食らった事により、辺り一面を更地に変えてしまう程の強大な力を得た。
けれど、今回の異譚支配者は倒すだけで食らってはいない。
加えて、この異譚では異譚支配者以外の生命体は存在しない。常人は異譚に留まれば留まる程、異譚に侵食され、異譚生命体へと変貌する。そのため、自らの手駒を増やすために脱出を阻止するのであれば理解できるが、二人も確認をした通り一般人が変成する様子は見受けられなかった。
どんなに異譚侵度が低くとも、二時間も在れば変成の兆候は出るはずだ。それが、まったくと言って良いほど見受けられないのは異常である。
食べて力にするためでも無ければ、同胞にして戦力にするためでも無い。
何のために殺すのか不明――というのも、まぁ別に珍しい訳では無い。異譚において、意味なく殺戮が行われるのは当然の事だ。
ただ、狙いが見えないのは気味が悪い。
ともあれ、異譚支配者の動きが止まったのであれば、暫くは様子見をする他無いだろう。
と、考えたのも束の間。異譚支配者は突如として動き出した。
「――っ! この方向って!」
「二回目の脱出地点の方向だね!」
二人も即座に動き出す。
もう一度隠密を解き、自分達の存在をアピールして牽制をしながら移動をする。
凄まじい速度で移動する三者はあっと言う間に避難民の元へと辿り着き――
「はぁ!?」
――異譚支配者はそのまま頭上を通り過ぎた。
意味が分からず、声を上げるイェーガー。
殺しに来た訳では無い。では、何をしに来たと言うのか。
混乱する二人を余所に、異譚支配者の方からぎぃんっと甲高い音が上がる。そして、ガィンッと甲高い音と同時に周囲に衝撃波が走る。
「――ッ?!」
「なにこれ!?」
衝撃波に吹き飛ばされないように踏ん張る二人。しかし、踏ん張りがきいたのは魔法少女達だけであり、避難途中だった住民達は軒並み体勢を崩して転げ回っていた。
衝撃波は人だけではなく、建物をも破壊する。
舗装されたアスファルトは罅割れ、建物は崩落し、木々はへし折れて道を塞ぐ。
衝撃波と共に現れた異譚支配者は倒れる住民達には目もくれずに建物を破壊し始める。
乱暴に、乱雑に破壊の限りを尽くす異譚支配者は、触手や鎌での破壊をしながらも短いスパンで異次元と現実を行き来して、現実に現れる際には先程のように衝撃波を繰り出して建物を破壊していた。
異譚支配者は移動をしながら破壊の限りを尽くしていく。
「……なるほどね」
攻撃をしようと銃を構えていたイェーガーだけれど、銃を下ろして異譚支配者の行動を観察する。
「行かないの?」
「まだ行かない。異次元に跳ぶのに相当魔力使うはずだから、このまま消耗させる」
異次元に跳ぶにあたって、相当な魔力の消費が見られる。このまま短いスパンで異次元に跳び続ければかなり消耗させられるはずだ。
「今まで通り、ゆっくり後を着けるわ。消耗しきったところを狙う」
「でも、消耗しきったら異次元に逃げられちゃわない?」
「それは無いと思うわよ」
「どうして?」
「あいつの進路、よく見てみ」
「進路?」
言われ、アシェンプテルは異譚支配者の進路を見やる。
「……異譚の端っこを移動してる?」
「そう。異譚から逃げ辛いように建物とか壊して道塞いでんの。多分、ぐるっと一周するつもりでしょ」
「なんでそんな事……」
「そんなの決まってんでしょ。獲物に逃げられたら興醒めだからよ」
「獲物……って、もしかして!」
何かに気付いた様子のアシェンプテルを見て、イェーガーは笑う。
「弱い者いじめをするための狩場ってとこかしらね。趣味が良い事この上ないわ」




