異譚33 信念
「う~ん、時間ぴったり。上出来じゃない」
満足そうに頷きながら、ロデスコは脱出地点までたどり着いた魔法少女達を見やる。
「ちょっと離れてなさい。今こじ開けるから」
ロデスコの声を聞いた魔法少女達は住民を境界から少しだけ遠ざける。
「さてさて、最初だから本気でいきましょーかねー」
どれほどの威力で境界を破壊できるかはおおよそ見当がついている。けれど、見くびって何度もトライをするのはダサすぎる。一発で決めて、その後に調整をしていけば良い。
コツコツとロデスコは赤い具足を鳴らす。
ロデスコの具足が燃え上がり、熱気でスカートの裾を巻き上げる。
「――ふっ!!」
鋭く息を吐きながら、素早い足取りで境界へ肉薄し、斬り裂くように鋭く蹴り上げる。
轟音と衝撃。境界と蹴りは拮抗する事無く、境界は無残にも砕かれた。
「さっさと出なさい!! ちんたらしてると、直ぐに閉じるわよコレ!」
ロデスコの言葉を聞いた住民達が、焦った様子で境界に空いた穴を通る。
「ちょっと! 急かすような事言わないでよ!」
「皆さん! 出来るだけ素早く移動してください!」
「落ち着いて、焦らないでください! 前の人を押さないように!」
わーわーと騒ぎながらも、住民達は異譚の外へと出る。
「外へ出ても止まらないでください! 進み続けてください!」
「後ろがつっかえますので、前に進んでください!」
魔法少女達も必死に誘導をする。
外で待機していた魔法少女達が異譚の外に出た住民の誘導を引き継ぐ。
その様子を見ていたロデスコは住民達の様子に違和感を覚える。
「……誰も変成してない」
その違和感の正体に気付いたロデスコ直ぐに報告をしようとしたけれど、それよりもまず確認すべき事があったのを思い出す。
ロデスコは異譚の中で誘導をするシュティーフェルを探しだし、声をかける。
「餡子……じゃなかった。シュティーフェル!」
ロデスコの声に気付いたシュティーフェルはぶんぶんっとロデスコに手を振る。
ひとまず元気そうで安心はしたけれど、今安心したところでどうしようもない。異譚はまだまだ続くのだから。
ロデスコは自分の後ろを指差し――
「こっちと――」
シュティーフェルの方を指差す。
「そっち。好きな方選びなさい!」
ロデスコの言葉を聞いたシュティーフェルは一瞬だけきょとんとした表情を浮かべるけれど、直ぐにロデスコの言葉の意味を理解して、真剣な顔で返す。
「こっちで頑張ります!」
「そ。ならしっかりやんなさい!」
「はい!」
頷き、直ぐに住民の避難誘導に戻るシュティーフェル。
シュティーフェルは恐らく大丈夫だろう。異譚が危険な事には変わりないけれど、自分の役割を自覚しているのであればそこまで危なげは無い。
報告によれば、この異譚に異譚支配者以外の生命体は存在しない。異譚支配者の相手を童話の四人が担当するのであれば、問題は無いだろう。異譚侵度Bの異譚支配者であれば危なげなく倒せるはずだ。
ただ、問題は今回の異譚が想定の範囲外に在るという点だ。
異譚支配者のみが存在する異譚など前代未聞。異譚支配者のランクもBとしているが、場合によってはそれ以上の可能性も在る。
ロデスコは異譚から慌てて出る住民達に視線を向ける。
本来の異譚であれば、異譚から出た一般人からは異譚特有の魔力を感じ取れるはずだ。それは、異譚による魔力の侵食が影響しているからだ。異譚による魔力の侵食は、異譚から出たら収まり、徐々に霧散していくのだ。
魔法少女であれば魔力の霧散を感知できるし、何度も見て来た光景でもある。
だが、今回の住民達からは異譚の侵食は感知できなかった。加えて言えば、異譚の侵食による身体の変成も見られなければ、錯乱や思考能力の低下に凶暴性も見られなかった。
異譚が発生してからそろそろ三時間が経過しようとしている。通常の異譚であれば変成の兆候はとっくに出ているはずだ。それが見られないのは、明らかにおかしい。
だが、異譚支配者に気を付けてさえいれば、補助を担当している魔法少女達は比較的安全なのだ。経験を積むには、丁度良い機会でもある。
「ヘマしないでよね、先輩なんだから」
一回目の誘導が終わり、花の魔法少女とシュティーフェルは近くの避難中の一行の元へと向かっていた。
人手が増えればそれだけ一人の負担が減り、避難誘導もスムーズに行える。
早く避難誘導を終えられれば、早く異譚支配者に戦力を割ける。今は、童話と花の魔法少女が異譚支配者を追っているけれど、異譚支配者に割ける人員は多ければ多い程良い。異譚支配者には過剰戦力くらいで丁度良いのだ。
しかして、今回はシュティーフェルの役目は住民の避難だけである。異譚支配者との戦闘はしない。イェーガーに足手纏いだとすっぱり切り捨てられたからだ。
その事は悲しいし悔しい限りだけれど、イェーガーの言っている事は間違いではない。だからといって不貞腐れている時間はシュティーフェルには無い。
しっかりと気持ちを切り替えて、シュティーフェルは住民を避難させるために集中する。
そんなシュティーフェルの元に落ち込んだ表情の美奈が静かに近寄る。
「ね、ねぇ、あの……」
「ん、なんですか?」
「……貴女は、その……置いて行かれたのよね?」
「そうですけど……」
美奈が言った事は事実だけれど、事実をそのまま言われるとやっぱりしょんぼりしてしまう。
「悔しく無いの? 置いて行かれて……」
「それは、悔しいですけど……先輩方の言う通りですから」
「でも、貴女にだって、目標だとか、信念だとか、理想だとか……きっと、何かあったはずでしょ?」
美奈はシュティーフェルが置いて行かれる様子を見ていた。イェーガーが一方的に足手纏いだと言っていたのは間違いない。
頭から否定されて、悔しくないはずもないし、納得できる訳でも無い。
少なくとも、美奈は自分の信念を否定されて悔しいし、どうしようもできない自分に動揺してる。あれだけアリスに啖呵を切っておいて、自分はアリス以下の活躍しか出来ていないという事に対しても不甲斐なさを感じている。
自分に出来る事は避難誘導、ただそれだけ。それっぽっちの仕事しか出来ないのだ。
同じ仕事を与えられた、同じ境遇の魔法少女。にもかかわらず、シュティーフェルは毅然とした態度で仕事をこなしている。その理由を、美奈は知りたかった。
しかし、シュティーフェルはきょとんとした顔で美奈を見た。
「え、信念特に無いです」
「は……?」
シュティーフェルの言葉に、美奈は呆けた声を漏らす。
「わたしは、魔法少女になれるからなっただけです。特におっきい理由は持って無いです」
「な、は……? え、じゃ、なんで人助けして……」
「? 誰かを助けるって、当たり前の事じゃ無いですか? そこに大層な理由なんて必要です?」
きょとんと小首を傾げるシュティーフェル。
そんなシュティーフェルを見て、美奈は理解する。シュティーフェルには理想と現実の乖離も無ければ、圧し掛かる重圧も無い。
だからこそ立ち直りも早く、次の行動に移れるのだ。
そして、美奈は勝手に背負った重責に、勝手に押し潰されそうになっているだけなのだ。
「は、ははっ……良いわね、何も背負ってないって……」
乾いた笑いを浮かべて、美奈はシュティーフェルから離れた。
誰の想いも背負って無いから、そんな簡単に感情を切り替えられるのだ。どいつも、こいつも、皆薄っぺらい想いしか持って無い。だから理想を追おうとしない。誰かを切り捨てる事を是として、手元に残った成果だけで満足してるのだ。
「私は、絶対にそうはならない……」