異譚32 にゃんにゃ
花の魔法少女達は住民を異譚から脱出させるために、ロデスコが待つ最初の脱出地点へと向かっていた。
一行を護衛するようにシュティーフェルも住民達と足並みを揃えて周囲を警戒している。
そんなシュティーフェルを、母親に抱っこされている少女がじーっと見つめている。
「にゃんにゃ……」
ぽそっと少女が言えば、シュティーフェルはその少女の方を見てにこっと笑う。
「にゃんにゃだよー。にゃー」
耳をぴこぴこ、尻尾をふりふりさせるシュティーフェル。
にこにこと快活で優しい笑みを浮かべながら、シュティーフェルは少女の元へと歩み寄る。
歩み寄って来たシュティーフェルの耳を、少女は小さな手で掴んでもみもみする。
「にゃんにゃ!」
「にゃんにゃ~」
喜ぶ少女に、シュティーフェルは笑みを返す。
「あ、すみません……ありがとうございます」
少女を抱いていた母親が、少しだけ申し訳なさそうにしながらもシュティーフェルにお礼を言う。
「いえ、なんのなんの!」
「にゃんの!」
「にゃんの~!」
きゃっきゃと楽しそうに少女が笑う。
「おい、静かにしろよ。バケモンに気付かれたらどーすんだよ」
楽しそうにしているシュティーフェル達を見て、後ろに居た男が声を潜めながら乱暴に言う。
「すみません……」
乱暴に言われ、母親が謝るけれどシュティーフェルは笑顔で返す。
「大丈夫ですよ。近くに異譚生命体はいませんから」
それに、異譚支配者以外の異譚生命体の気配がまったくと言って良いほど無い。シュティーフェルは伝聞や資料だけでしか知らないけれど、異譚には通常異譚支配者以外の異譚生命体が存在している。
そのはずなのだけれど、今回の異譚では異譚支配者以外の気配をまったくと言って良いほど感知出来ない。
何か意図があるのか、それとも単に異譚としての力が足りないのかはシュティーフェルには分からないけれど。
シュティーフェルは少女の小さい手を優しく握る。
「それに、異譚生命体が来たら、わたし達が何が何でも護ります」
「何が何でもって……全然護れてねぇじゃねぇかよ!!」
男は声を荒げてシュティーフェルに詰め寄る。
「魔法少女も!! 他の連中も!! あのバケモンに皆やられちまったじゃねぇか!! それでどうやって護ってくれんだよ!!」
怒鳴られ、詰め寄られ、シュティーフェルは萎縮したように耳を垂れさせる。
自分に何が出来て、何が出来ないのか。その内訳をシュティーフェルはまだ少ししか理解できていない。それでも、護りたいと思う気持ちは変わらない。
けど、気持ちだけでは駄目なのだ。気持ちで実力が上がる訳では無い。気持ちで強敵に勝てる訳では無い。気持ちで護れる訳では無い。
真っ直ぐに男の目を見れば分かる。異譚による恐怖を抱いていて、周囲なんて目に入らないくらいに不安になっている。
シュティーフェルは周囲の人達を見やる。誰も彼も同じ目をしている。途方も無い恐怖と不安に押しつぶされそうな、そんな目だ。
護ると口だけで言っても無理だろう。実績の無いシュティーフェルの言葉に価値は無い。これがアリスやロデスコならまた違ったのだろう。
多くの異譚を生き抜いてきた者達であれば、彼等は安心する事が出来るのだろう。
新人だから、弱いから、シュティーフェルはイェーガーとアシェンプテルに置いて行かれたのだ。
男の問いにシュティーフェルは解を持ち合わせていない。
「不安なのは分かるけど、少なくとも命を懸けて護ってくれた人達に言うような台詞じゃないわね」
シュティーフェルが返答に窮していると、いつの間にか近くに居た赤い服を着た女性が口を挟む。
「あぁ!? 事実だろ!! 護れなかったから皆死んだんだろうが!!」
「じゃあ貴方が生きてるのは誰のお陰? この子達が一生懸命護ってくれたからでしょ?」
「ぅっ……つ、次も俺が助かる保証なんてねぇだろ!」
「それは皆同じ事よ。彼女達も、ね」
言って、赤い服の女性はシュティーフェルを見やる。
「文字通り、死ぬ気で護ってくれたから、彼女達は命を落としたの。そんな事も分からないの?」
強く、鋭い瞳が男を射抜く。
「皆が助かる保証が無いのが異譚。学校の授業で習ったはずよ。あのアリスでさえ護るより取りこぼす命の方が多いのだから。私達に出来る事は、勝手な行動をせず、喚かず、魔法少女の指示に従って迅速に行動する事。命を懸けてくれている相手に無礼の無いように気を付けなさい」
ぴしゃりと冷たく厳しく言い放つ。
男も女性の言葉に言い返す言葉が無いのか、面白くなさそうに悪態をついた後、シュティーフェルを押し退けるようにして前へ進む。
「あの、ごめんなさい……この子が煩くしたから……」
「あ、い、いえ! 気にしないでください!」
謝る少女の母親に、シュティーフェルは気丈に笑みを浮かべて返す。
「すみません。脚、止めちゃいましたね。直ぐに進みましょう」
「はい……」
最後にぺこりと頭を下げてから、母親は脚を進める。
少女はじーっとシュティーフェルを見詰めていたけれど、シュティーフェルはぎこちない笑みで手を振るしか出来なかった。
「あの、ありがとうございました。それと、お手数おかけして、すみませんでした……」
少女に手を振った後、シュティーフェルは赤い服の女性に頭を下げた。
「良いのよ。私も、出しゃばったりしてごめんなさいね」
「いえ、そんな事…………私じゃ、あの人の不安に答えられなかったから……」
不安という問いに対する明確な答えをシュティーフェルは持っていない。
申し訳なさそうにするシュティーフェルに、赤い服の女性は歩き出しながら返す。
「私だって、不安を取り除いた訳では無いわ。皆同じだから我慢なさいって言っただけだもの。それに、こんな事貴女の立場からしたら言えないものね。仕方が無いわよ」
仕方が無い。そう言われても、シュティーフェルは納得が出来なかった。
「……そう言えば、この異譚にアリスは来ないの?」
唐突に、赤い服の女性は訊ねる。
「アリスさんですか? 今回は待機って事になってます」
素直に答えたシュティーフェルに、赤い服の女性はふふっと笑みを浮かべる。
「それ、機密事項じゃない? 素直に答えて大丈夫?」
「あっ……」
言われ、シュティーフェルも気付く。
部隊の編制内容などは口外してはいけない決まりとなっている。
特に名の知れた魔法少女の有無は一般市民の心境を大きく揺さぶってしまう。軽々に口にしては余計な不安を煽るだけだ。
「ふふっ、気を付けないとね」
「すみません……」
「大丈夫よ。私はそういうの気にしないから。けど、そう……アリス、来ないのね」
少しだけがっかりしたように言葉を漏らす赤い服の女性。
「ああ、ごめんなさいね。不安とか、そういう訳では無いの。ただ、以前に助けられた事があってね。お礼を言いたかったのよ」
「そうだったんですね」
「まぁ、向こうは私の事なんて憶えてないでしょうけど」
幾つもの異譚を経験してきたアリスだ。助けた者の顔などいちいち憶えてはいないだろう。
「じゃあ、わたしが伝えておきます。憶えてなくたって、ありがとうって言われたらきっと嬉しいはずですから!」
「そうかしら? じゃあ、お願いできる?」
「はい! 絶対にアリスさんに伝えます!」
「ふふっ、ありがとう」
嬉しそうに、赤い服の女性は笑う。
その笑みを見て、少しだけ安心している自分が居た。言伝を預かる。たったそれだけの事で誰かの役に立てていると錯覚している自分が、少しだけ嫌になった。




