異譚30 選択
部隊長であるサンフラワーが離脱した穴は大きく、襲撃から少し落ち着いてきた今、部隊には少なからず動揺が走っていた。
そして、それは部隊だけに留まらない。
サンフラワーは出撃回数が多く、更にはメディアへの露出も多かった。何度も異譚に赴き、何度も異譚終結に貢献してきた。
その事実を世間も知っているからこそ、彼女の離脱の精神的なダメージは大きい。
英雄ではないにしろ、熟練の魔法少女が直ぐにやられてしまったのだ。それに、サンフラワーに限らず、異譚支配者の被害を受けた者は、死んでいる訳でも無いけれど、生きている訳でも無く、ただそこに可能性が在る状態だと言われても到底理解できる訳が無かった。
魂が観測できると言われても常人には理解できないし、観測する事だって不可能だ。魔法少女側の主張のそのままを受け止める事など出来なかった。
だからこそ、住民達は魔法少女に不信感を募らせるし、懐疑的にもなる。
けれど、このまま体育館に居ても助かる訳では無い。幸いな事に、ロデスコが異譚と現実世界との境界を壊せると言っていた。
今回指定された脱出地点は近い。このまま住民達を誘導すれば彼等だけでも助ける事が出来る。
サンフラワーと仲が良く、彼女の補助をしていた魔法少女――コスモスが全員に聞こえるように声を上げる。
「皆さん聞いてください! たった今脱出のめどが立ちました! 私達はこのまま脱出地点まで向かいます! 出発は五分後としますので、脱出の準備を整えてください!」
脱出が出来ると分かり、住民達の顔に安堵の色が見え始める。
「あ、あの……」
そんな中、一人の女性がコスモスの元へとやってくる。
その手には、ぐったりと四肢の力が抜けた少年が抱きかかえられていた。
聞かずとも分かる。少年も異譚支配者の犠牲者だ。
「……私の荷物を持っていただいてもよろしいですか? この子を、運びたくて……」
「……っ」
一瞬、コスモスは答えに窮する。
人情と効率が己の中でせめぎ合うも、結論は直ぐに出た。
「ダメです。その子は連れて行けません」
まさか断られるとは思っていなかったのか、面食らったような顔をする女性。
「どっ……どうして? あ、こ、この子は私が連れて行きます。荷物だけ、持っていただけたら!」
「出来ません。我々も欠員が出ています。これ以上人手を減らすという事は、それだけ皆さんの安全の確保がおろそかになるという事です。これ以上の犠牲者を出さないためにも、それを容認する事は出来ません」
「で、でも、生きてるんでしょう? この子、心臓の鼓動は無いけど、生きてるんでしょ!? さっきそう言ってたわよね!?」
「……分かりません。魂を観測できるのと、生きているはイコールではないと、現時点では考えております」
例えばの話、植物状態になった者は様々な機器によって生かされている状態にはなるけれど、それが人として生きているかどうかと言われれば否と言わざるを得ないだろう。
確かに心臓が鼓動し、呼吸をしている状態は生きていると言えるだろう。けれど、それはただの生命活動であり、一個人としての自我のある活動ではない。
生命として生きてはいるけれど、人として生きている訳では無い。
答えの出せない、とても、とても難しくて重い問題。
魔法的に見れば確かに魂は感じられる。補助系の魔法少女でないコスモスにも感じ取れるくらいには、目の前の少年からは魂というものが感じ取れる。が、生命活動は停止しており、自らの意志で動く事は叶わない。
コスモスにも答えは出せない。けれど、優先順位は付けなくてはいけない。
「魔法的に魂は感知できます。ですが、今後どうなるかは正直なところ分かりません。なので、現状では自力で動ける人を優先させます」
「そ、そんなぁっ……」
コスモスの決断に、その場で泣き崩れる女性。
「置いて行くんですか……?」
そこに、青白い顔をした美奈がコスモスに声をかける。
「今言っただろ。今は、動ける人を優先させる」
「で、でも…………そうだ。く、車! 車を使いましょう! 魔法少女の権限なら、緊急時の通常車両の使用が認められています! 車で運べば――」
「現実的じゃない。まずドライバーが足りない。仮に彼等に運転して貰ったとしても、緊急時に正しく運転できるとは思えない。もし事故でも起こしてみろ。最悪の場合、今の比じゃないくらいの被害が出る。それも、異譚生命体ではなく、人の手でだ」
異譚が起きた場合、該当地域の住民は一度緊急避難場所に集まる事になっている。その際、自動車での移動は推奨されていない。
異譚が起きるという事はつまり、異譚生命体などの不測の事態が発生する。その不測の事態が起きた際にハンドル操作を誤って人々を轢いたり、家屋に衝突したりなどの二次被害が起きるケースが多いからだ。
一般人は不測の事態に対応できない。対応できるのは、特殊な訓練を受けている者だけだ。
「お前も知っての通り、これは魔法少女が学校の講義で教える内容だ」
「――っ」
コスモスの言葉に思わず息を呑む。
そう。魔法少女による講義は何度も行われている。その際、車での移動による二次被害の事も話に上がる。
「初めての異譚で気が動転してるのかもしれないけど、それは私達が言ってはいけない事だ。よく考えろ」
怒鳴りはしなかった。けれど、しっかりと強い口調で釘を刺された。
コスモスは泣き崩れる女性の肩に手を置いて、穏やかな声音で言う。
「お子さんは置いて行きます。けれど、皆さんの避難が済み次第すぐに迎えに来る算段です。まずは、皆さんが安全に脱出しましょう。良いですね?」
コスモスの言葉に、しかし女性は首をいやいやと首を横に振る。
母親としては生きているかもしれない子供を置いて行けないのだろう。その気持ちが分かるとは言わない。けれど、ただ一人を例外として認める訳にはいかないのだ。
コスモスは立ち上がり、近くの魔法少女に女性に聞こえない程度の声音で言う。
「時間が来たら眠らせて。荷物と一緒に新人の子に運ばせて」
「分かったわ」
これ以上この場で問答をしている余裕は無い。多少強引でも、策を進めるべきだ。
「お前も、つっ立ってないで準備をしな。それと、二度と余計な発言はするな。お前の発言で、余計な混乱を招くところだった」
「――っ、わ、私は! 私は誰一人見捨てたくないだけです!」
コスモスの言葉に声を荒げて返せば、コスモスは非常に険しい顔をしながらも、冷静な口調で返す。
「その気持ちを持ってるのはお前だけじゃない。それが分からないのか?」
「――っ」
「皆、誰一人見捨てたくないさ。けど、起こってしまった現実と折り合いを付けて、状況を見極めて、多くを救うために動いてるんだ。周りを見てみろ、今立ち止まってるのはお前だけだ」
言われ、美奈は周囲に視線を巡らせる。
誰一人として立ち止まっておらず、住民の手伝いや脱出ルートの確認や護衛の位置の確認などを行っていた。童話組のお残りであるシュティーフェルもまた、体育倉庫からマットを持って来て意識の無い人達を一人一人丁寧にマットの上に移動させていた。
「今この時間も無駄だ。魔法少女なら一人でも多く人を助けるために動け。それが出来ないなら――」
そこまで言って、コスモスは言葉を止める。
それ以上は、ここで言っても仕方の無い事であり、今言うべき言葉でも無い。
けれど、美奈にはその沈黙の意味が正しく伝わった。
「……準備を進めろ。つっ立ってるだけなら、誰にだって出来る」
言って、コスモスは脱出のための準備に向かう。
「……私は……っ」
それが出来ないなら、魔法少女なんて辞めてしまえ。
言葉にされなくとも、理解が出来た。
「……私は……っ!」
ただ、護りたかっただけなのに。
爪が食い込む程に手を握り締める。
心から湧き上がる激情の答えを、美奈はまだ理解できなかった。




