異譚92 よろしくお願いしますわ
これにて、8章終了でございます。
いやぁ、長かった。年内に終われて何よりです。お付き合いいただき、感謝でございます。
いつもの如く、SSを少し挟んでから新章開幕でございます。
ひとまずのところ、過去最大規模の異譚は終息した。
餡子の葬式は恙なく終了した。基本的に、身寄りのない魔法少女が殉職した場合、殉職者全員まとめて葬儀が執り行われる。一人一人葬儀を上げるのも費用が掛かるうえに、葬儀場の数も足りない事が多い。
それに、魔法少女は共通の友人も多い。会場を探して何度も足を運ぶのも手間がかかってしまう。
そのため、身寄りのない魔法少女はまとめて葬儀を執り行う事になっている。
だが、餡子の葬儀はアリスが費用を負担し、一つの葬儀場で行った。
皆と一緒に送ってあげる方が餡子も寂しくはないかとも思ったけれど、ゆっくり、しっかりと餡子を送ってあげたかった。大切な仲間の死を、しっかりと心に刻み付けながら、安らかな眠りがある事を祈りたかった。
参列者の中には餡子の母親も居た。
餡子の母親が家を出て行ったことは知っていた。餡子の家の家風に耐えられずに出て行ったという事も知っている。その上で、一人になった餡子を引き取る事をしなかった事も知っている。
そんな餡子の母が喪服に身を包み葬儀に参列している事に憤りを覚えたけれど、アリスには分からない家族の問題もある事は知っている。
涙ながらにお焼香をする餡子の母を見て、納得は出来なかったけれど、怒りをぶつける気にもなれなかった。
餡子とはしっかりお別れが出来た。けれど、朱里に関しては依然としてその痕跡や身体の一部、死体は見つかっていない。死亡している確率は非常に高いけれど、安否不明状態という事になっており、殉職扱いにはなっていない。
それが結果の先延ばしかもしれない事は分かっているけれど、明確に死亡宣告をされ無かった事に安堵している自分が居る。
朱里はまだ生きている。そう思える現状の方が、死亡宣告されるよりもまだ幾分かマシだった。
けれど、依然として心は晴れない。早く残酷な答えを突き付けて欲しいと思う自分も居れば、このまま生きている事を信じて待っていたい自分も居る。
折り合いの付かない感情に苦心しながらも、春花の日常は続いて行く。
学校に通い、授業を受け、お昼休みにはご飯を食べて、授業を終えて家に帰る。
『今日は寄り道しましょ。新発売のリップ見たいのよね』
『ねぇ、さっきの授業分かった? 後でちょっと教えてくれない?』
『ほら、体育行くわよ……って、男女別か。怪我しないようにねー』
『今日のお夕飯は? 鍋、良いじゃない! 最近ちょっと冷え込んできたしね~』
日常を過ごすたびに、何気無い朱里との思い出が蘇る。
何気無い日常を思い出すたびに、朱里の存在が自分にとってどれだけ大きかったのかを思い知る。
以前よりも、日常がずっと空虚に感じる。
白奈とみのりは春花を気に掛けて声を掛けてくれるけれど、クラスメイト達は春花から一定の距離を置くようにしている。
朱里と春花の仲の良さはクラスメイト全員が知る所だ。安否不明状態とはいえ、生存がほぼ絶望的な状況を知っているので、どう声を掛けて良いのか分からないのだ。
春花も白奈やみのりと話をするけれど、いつもよりその声音に温度は無い。それを気にした様子も無く声を掛けてくれる二人には申し訳無く感じてしまう。
二人だって朱里とは仲が良かったのだ。何気無い日常を過ごす友人であり、一緒に戦い抜いて来た戦友を失った。その傷が簡単に癒える訳が無い。
それに、今は春花よりも白奈の方が大変なはずだ。左腕を失い、片腕だけの不便な生活に苦心しているのは知っている。
自分の方が大変なはずなのに気遣わせてしまっている。それが、本当に申し訳ない。
それでも、不均衡な心は収まりを見せる事無く、ただ淡々と日々を消化していく。
いつもの朝。いつもの学校。いつものホームルーム。の、はずだった。
「ほらー、席に着けー。ホームルーム始めるぞー」
教師の言葉を受け、お喋りに興じていた生徒達が自分の席へと向かう。
「挨拶の前に皆にご報告だ。急な話だが、このクラスに新しい仲間が加わる」
教師の言葉にクラスメイト達は小さく騒ぎだす。学校の性質上、転校生は珍しくはないけれど、そんなに多い訳でもない。転校生というイベントに騒いでしまうのも無理からぬ事だろう。
とは言え、異譚被害に遭っている可能性の方が高いので盛大に騒ぐような事はしない。本来であれば、こんな所に転校してくる事なんて無い方が良いのだから。
「ま、転校生ってやつだな。入って来てくれー」
教師に呼ばれ、教室の外で待機していたであろう転校生が教室に入る。
彼女が教室に入った瞬間、誰もが彼女を見て息を飲んだ。
長く艶やかな黒髪のハーフアップ。ガラス細工のように大きく綺麗な眼。均整の取れた顔に、すらりと健康的な四肢。身体の曲線は大き過ぎず小さ過ぎず、均整の取れた美しいプロポーション。
彼女が通った後は柔らかく優しい香りが残り、彼女という存在を強く刻ませる。
柔和で優しそうな笑みを湛えながら彼女は綺麗な所作でお辞儀をする。
「初めまして。わたくし、上鏡ありすと申しますわ。中途半端なタイミングでお邪魔してしまい申し訳ありませんが、仲良くしてくださると嬉しいですわ」
にこりと人好きの笑みをする転校生――上鏡ありす。
優し気で礼儀正しい彼女の挨拶に、クラスメイト達は口々に歓迎の声を上げる。
「な、なぜ……」
そんな中、あり得ない存在を目にしたかのように、呆然とありすを見る者が居た。
いつも通り、春花の机の上で丸まっていたチェシャ猫は、ありすが来た瞬間に飛び起き、今までに見た事の無いような顔でありすを凝視していた。
「チェシャ猫……?」
春花の疑問の声も届かず、チェシャ猫はうわ言のように言葉を零す。
「なぜ、君が此処に……」
歓迎の喧騒がこだまする中、チェシャ猫のその小さな声が聞こえた訳ではないだろう。しかし、チェシャ猫が言葉を零したその直後にありすはチェシャ猫を、正確には春花と視線を合わせる。
ありすと目が合う。直後に何故か冷や汗が止まらなくなり、心の中がぐちゃぐちゃにかき回されるような錯覚に陥る。
怖い。けれど、何故か目が離せない。
ありすは笑みを浮かべたまま春花を見据える。
その笑みをより一層深くし、頬を赤らめ口を開ける。
「よろしくお願いしますわ」
それはクラスメイト達の歓迎の声に対する答え。そのはずなのに、どうしてその言葉は春花だけに向いているような気がした。




