異譚78 負け犬の遠吠え
イヴに抱えられながらドロシーと合流する際、イェーガーは一発だけ銃弾を外した。それは、狙ったうえで外れた訳では無く、意図的に外された一発だった。
イェーガーが上空に放った弾丸は通常の弾丸では無い。それは眩い閃光を放つ赤色の信号弾。
基本的に、どのチームにも一人は魔力感知に優れた者が配属される。加えて、通信機器も使用できる状況が多いため信号弾は使われる事が殆ど無い。
けれど、異譚侵度が高ければ高い程、空気中に充満する魔力が通信を妨害して連絡が密に取れない事がある。今回の異譚でも通信機器の類いは上手く作動せず、近距離であれば何とか通信が可能と言う程度であった。
そのため、通信機器を使用しての連絡は出来ない。であれば昔ながらの手段で危機を知らせる他無い。
対策軍のマニュアルでは赤色の信号弾は危険を意味する。危険、すなわち、強敵の存在を表したり、異譚支配者を引き付ける時にその進路を示すためにも使用される。
しかし、使用頻度が極端に少ない上に、異譚支配者程の魔力であれば魔法少女が感知出来てしまうので、信号弾が無くても何となく把握出来てしまうのだ。
その何となくの把握で、一般人の保護を優先して人手をこちらに送らない、という事態を避けたかったイェーガーは即座に信号弾で危険を知らせる。駄目押しで信号弾にある細工をした。
イェーガーの魔法はそんなに自由度は高くない。銃以外は使えないし、使えたとしても罠やナイフ、鉈などの狩人が使う物に限定される。それ以外の物も頑張れば出せない事も無いけれど、魔力消費が異常に激しく、実戦運用には程遠い出来栄えになってしまう。
けれど、銃に近しい物であれば魔力消費も抑えられ、何とか実践運用が可能なレベルまで持って行く事が出来る。
イェーガーが打ち上げたのは赤色の信号弾。赤色の信号弾は途中までは灰色の煙を吐くだけだったけれど、ある程度高度を上げてから発光を始め、最高到達点に達した時に最大限に大きく輝いた。
『↓』
上空に現れた赤く光り輝く下矢印。夏に部屋の窓から見えたキャラクターを模った花火を見て『あれくらいなら信号弾で作れそうだな』と思い、アリスや白奈など物の造形を得意とする面々に教えてもらいながら実用化可能な範囲まで持って行くことができた。
そんなに出番は無いだろうと思っていたし、意図が正しく伝わるかは分からなかったけれど、今回はちゃんと伝わってくれたようだと、駆け付けてくれた魔法少女達を見て内心ではほっと胸を撫で下ろしていた。
イヴの作戦を聞いた時に、イェーガー達だけでは手が足りないと思った。
ドロシーは剣使いの獣人を抑え込むために全力を注ぐだろう。そうなれば、竜巻の維持も難しくなる。
広範囲攻撃持ちのドロシーが攻撃に回れないのであれば、どう考えたって頭数が足りないのだ。
自分達だけで異譚支配者を倒しきる事は不可能。であれば、仲間を呼べば良い。
「今来た奴らは全員雑魚を頼む!! 悪ぃがこっちには手ぇださねぇでくれ!!」
詳しい理由を説明している余裕は無い。簡潔に指示を出しながら、イェーガーはリボルビングライフルの引き金を引く。
「イヴ!! 絶対にこっちには通すなよ!!」
『――っ、分かってます!!』
援軍が来た事に数瞬意識を向けていたイヴは、イェーガーの声で気を取り直す。
狙うは右腕。頭を直接狙えば即死させる事は出来るだろうけれど、そうなればまた超再生されてしまう。
致命の弾丸を身体の各部に撃ち込み、内側から殺していく。
内と外、両面から塵一つ残らず焼いて行く。これがイヴの考案した作戦だった。
リボルビングライフルに装填された八発の弾丸。その全てが炎属性。
「ちっ、スマートじゃねぇよなぁ」
舌打ちをしながら、致命の弾丸を右肩に撃ち込む。
絶叫を上げながら振り回される右腕を掻い潜り、左腕、左肩に撃ち込む。
「ぎぃぃ……っ!! イェーガー、はりーはりー!!」
「わぁーってるよ!!」
毒と炎が効いて来たのか、剣使いの獣人の攻撃は鈍くなって来ていた。そんな中でも、大剣と同化した右腕の動きは衰えず、嵐のような苛烈さで振り回され続けていた。
「……足りっかどうかは、一か八かだな」
左膝を撃ち、膝を付かせる。
「――っぶねぇ!!」
ドロシーに直撃しそうになった大剣を即座に生成したソードオフショットガンのスラッグ弾で撃ち抜き、その軌道を変える。
直後に、大剣は無理矢理に軌道を変えてイェーガーに襲い掛かる。
冷静に、焦らず、イェーガーは自身に迫る大剣を回避しながら、致命の弾丸を右膝に撃ち込む。
これで六発。致命の弾丸の残りは二発。
ぽろぽろと燃え尽きた部分が落ちて行き、身体が崩れていく剣使いの獣人。
倒れ込む前に鳩尾に一発、胸部に一発撃ち込む。
これでリボルビングライフルに込められた致命の弾丸は全て撃ちこんだ。
脚が崩れ、身体の表面はぼろぼろに崩れ落ちる。歪に伸びた右腕が千切れて、トカゲの尻尾のようにひとりでに暴れるも、致命の弾丸の侵食により、タバコが火に焼かれるように徐々に灰となっていく。
悲鳴も止み、暴れる事も無くなった剣使いの獣人は内と外の炎に焼かれて灰となる。
動かなくなった剣使いの獣人を前にしても、イェーガーはリボルビングライフルから長銃に持ち替えていつでも動けるように警戒を続ける。
だが、イェーガーの警戒とは裏腹に、剣使いの獣人は超再生する事も無く、灰は風に攫われて暗闇の中に溶けて行った。
身体も完全に燃え尽きた。魔力反応も消失した。
「……ふぃ~……疲れたよぉ」
剣使いの獣人が完全に消滅した事により、ドロシーは巨大な顔と巨大な炎の玉を消す。
「お~い、勝ったよ~! うぃんうぃんだよ~!」
『本当ですか!!』
いぇーいと喜びを身体全体で表現しながら、ドロシーは剣使いの獣人を倒したと仲間達に報告する。
ライオンに前線を任せ、イヴはドロシーへと振り返る。
「だいしょーりー!!」
そんなドロシーの声を聞いて、イェーガーは肩の力を抜いて見せた。
その直後、地面に落ちたままの大剣が独りでに動き出し、ドロシーに飛翔する。
完全な不意打ちにドロシーは気付いていない。イヴは気付いていたけれど、明らかに出遅れた。その上、イヴが辿り着くよりも速く大剣がドロシーを貫く事になる。
誰も間に合わない。油断を狙った完全な不意打ちによって、ドロシーは――
「だろうな」
――大剣に貫かれる事は無く、代わりに銃声とその直後に大きな破砕音が響き渡った。
バラバラになった大剣は四方八方に飛び散り、硬質な音を立てて地面に落ちた。
何となく、本当に何となくだけれど、剣使いの獣人を倒しても終わった気がしなかった。まだ、何らかの殺気を感じたのだ。
殺気の正体を探る為に暫く警戒を続けたけれど、相手からのアクションは無かった。だから、あえて肩の力を抜いて見せた。完全に油断したと思わせたのだ。
警戒は初めから地面に落ちた大剣に向けていた。行動を予測して撃ち抜くなど、イェーガーには造作も無い事だった。
「最初の時も思ったけどよ、殺気の隠し方が下手糞なんだよ」
構えていた長銃を降ろし、イェーガーは心底馬鹿にしたように言う。
近接戦闘の訓練を積んでいるとはいえ、明らかに不得手であるイェーガーが大剣を避け続けられる事に、イェーガー自身が違和感を覚えていた。
直撃をして大きく吹き飛ばされた時だって、本来なら重傷を負ってもおかしくは無かった。それでも、イェーガーは反応する事が出来た。
その違和感をイェーガーは見逃さなかった。
どの攻撃にも殺気は感じていた。けれど、一番殺気を強く感じたのは大剣だった。
もしイヴの作戦が上手く行けばそれで良い。けれど、もしかしたらという可能性を最後まで捨てはしなかった。
剣使いの獣人が本体では無く、大剣その物が異譚支配者である可能性。
どういう理屈かは知らない。物が異譚支配者だなんて聞いた事は無い。けれど、有りえなくはない。
だから最後の一発は取っておいた。戦闘中に蓄えていた魔力によって生成した正真正銘最後の致命の弾丸。その致命効果は『破砕』。
大剣が砕け、異譚の魔力が徐々に薄まっていく。
「まさか、剣使いの獣人じゃ無くて、獣人使いの剣だったとはな」
相手に感情があるのかどうかは分からない。けれど、大剣が操っていた獣人には感情があるように思えた。それが獣人本体の感情なのか、大剣からの魔力供給の際に流入した感情なのか、はたまたただ大剣の感情が獣人を伝って発露したのかは分からない。
正直どれでも良い。散々面倒臭い思いをさせられたのだ。言う事を言っておかねば気が済まない。
「脳味噌無い割には頑張ったほうだな。まぁでも、無駄な労力、ご苦労様でした」
小馬鹿にしたように言えば、大剣の破片から明確な殺意を感じると同時に、小さな破片がイェーガーに向けて飛翔する。
それすらも感知していたイェーガーは簡単に避けてしまう。
最後に、ぷっと馬鹿にしたように小さく笑えば、イェーガーは大剣から完全に意識を逸らす。
その直後に、最後のあがきに殺意を向けるも、イェーガーは振り向く事すらしない。
その殺意は、ただの負け犬の遠吠えに過ぎないのだから。
後二つ……




