異譚74 ぶいぶい
一歩、また一歩。着実に渦巻く闇へ歩み寄る。
だが、一歩詰める事に、渦巻く闇はスノーホワイトから遠のく。それどころか、渦巻く闇は逃げるようにスノーホワイトから離れて行く。
覚醒し装いを新たにしたとは言え、スノーホワイトの怪我が治っているわけでは無い。足取りは重く、頭はぼんやりとしている。
満身創痍ながらも脚を進めるのは、復讐の憎悪によって突き動かされているだけだ。
「逃げないで戦いなさいよ……。壊したいんでしょ? 暴れたいんでしょ? なら、私と戦いなさいよ」
戦いながら、スノーホワイトは渦巻く闇の本質に気付きつつあった。
異譚支配者にはなんらかの目的がある事が多い。だが、渦巻く闇からは何も感じない。その破壊に意味はない。
その破壊に目的は無い。あるのは、ただの破壊衝動だ。
結局、渦巻く闇の破壊に意味はない。だが、渦巻く闇にとって破壊には意味がある。
ただ壊す。ただ暴れる。ただ潰す。それだけが、渦巻く闇の本懐。それだけが、生存本能。
その生存本能を無視してまで、渦巻く闇はスノーホワイトから逃げる。
魔法少女の成長は緩やかでは無い。何かの切っ掛け、主に感情の昂りによって急激にその力を増幅する事がある。
その増幅は緩やかでは無い。何段階もすっ飛ばして強くなる。目前で自身を追い詰めるこの氷の化け物のように。
自分では勝てないと判断し、渦巻く闇は即座に逃げに徹する事にする。異譚支配者としてはあるまじき痴態だけれど、そんな事を気にしても居られない。
人間の尺度で表すのであれば、異譚侵度Aの異譚支配者である自分を凌駕する相手。今回の転生体では勝ち目は無いのは明白。
しくじった。口車に乗せられて異譚の拡張力に魔力を割き過ぎた。お陰で本体に十分な魔力を回せなかった。異譚侵度Sの異譚支配者に近付けるように分配はしたけれど、それでも異譚侵度Sの壁を超える事は出来なかった。
いや、どのみち異譚侵度Sの異譚支配者を作る事は叶わなかったはずだ。何せ、元の自分にはその分の魔力が無い。その上、素体も悪い。こちらが上手く魔力を分配しても素体が悪ければ思い通りの異譚支配者は作れない。
せめて、異譚の拡張力に回した魔力を異譚支配者に回せていれば、こんな事にはならなかったはずだ。
あの胡散臭い人間の口車に乗らなければ……。
逃げながら、渦巻く闇は心中で悪態を吐く。
だが、それも一瞬。渦巻く闇が自身の力で勝つ事は出来ないが勝ち目がない訳では無い。
機動力は渦巻く闇の方が上。このまま逃げ切ってスノーホワイトの魔力が尽きた所で命を奪えば良い。逃げ続け、時折遠距離からちょっかいをかければスノーホワイトを疲弊させられる。
スノーホワイトさえ居なくなれば後は有象無象。心置きなく破壊の限りを尽くせる。
「……ああそう。逃げ切って勝つつもりなのね」
明らかに自身から距離を取ろうとしている渦巻く闇を見て、自身の魔力切れを狙っている事を察するスノーホワイト。
自身の破壊衝動から背いた頭を使った撤退に、スノーホワイトは呆れたような顔をする。
「貴方、仮にも異譚侵度Sなんでしょう? 矜持とか意地とか無いわけ? ……って、一回のされてる私が言えた事じゃ無いか」
そう言いながら、スノーホワイトは氷の領域から生れ出た鹿の背に乗る。自分で走るよりも氷の鹿に乗った方が速い。それでも、渦巻く闇の機動力には勝てない。
相手の行動を予測しての先回りも出来なくはない。氷の領域から生まれた動物達の所在はある程度感知できる。氷の動物達に追い込んでもらって、その先で一撃で仕留める事だって出来るだろう。
だが、長期戦は避けたい。何せ、スノーホワイトの体力も魔力も心許ないくらいにしか残っていないのだ。
追い込みをかけても逃げ切られてしまっては意味が無い。どうにか追い付いて、一撃で仕留めるしか手は無い。
もっと速い動物を生み出すか、それとも一か八かで遠距離からの絶対零度を放つか。
今までは対象と接触しなければ発動できなかった絶対零度だけれど、今なら対象に接触しないでも放つ事が出来る。理屈は分からないけれど、その事に対する理解と自身はある。
残された時間はあまりに少ない。それこそ、こうして考えている間も惜しいくらいに。
「……一か八か」
スノーホワイトは渦巻く闇に向けて手のひらを向ける。距離は十分。避けられさえしなければ、絶対零度の効力はしっかりと発動する。
スノーホワイトが魔力を溜め、一撃必殺を放とうとした、その時――
「「ぼんぼこぼ~ん!!」」
――渦巻く闇の前方で、閃光が弾けた。
「――っ」
突然の閃光に目元を手で隠すスノーホワイト。前が見えなくても氷の鹿は問題無く走ってくれるので転倒の心配はない。
この世の音とは思えない程に不可解な奇声を上げながら、猫の毛が逆立つように渦巻く闇の表面が出鱈目に伸びる。慌てて閃光から逃れるように方向転換をする渦巻く闇。
「……まさか」
そして、突然の閃光に虚を突かれた渦巻く闇と同じように、スノーホワイトもまた虚を突かれていた。
何せ、その攻撃と気の抜けた声には覚えがあったから。
慌てて手を降ろして空を見上げる。
暗澹たる空に二つの微かな光。先端にランタンの付いたキャンディケインに跨り、自由自在に空を飛ぶ二人の少女。
二人の少女はスノーホワイトを目視すると、まったく同じタイミング、同じ動作でブイサインを向ける。
「嘘……」
ブイサインを向ける二人の少女を見て、そんなはずは無いとばかりの疑いの声が漏れる。
だって、あの時、あの瓦礫の中で、確かに見たのだ。虚ろな目をした彼女の頭部を。
それでも彼女達はそこに居る。いつものように表情の乏しい顔でスノーホワイトにブイサインをこれでもかと見せつけている。なんなら両手でブイサインをしてアピールしている。
「「ぶいぶい」」
「ヘンゼル、グレーテル……!!」
ブイサインを向ける二人の少女――ヘンゼルとグレーテルは泣きそうな顔をするスノーホワイトを見て、微かに口の端を上げてブイサインから両手サムズアップに切り替えた。
「待たせた」
「魔法少女」
「「登場だぜ」」




