異譚73 ――の話
アトラク=ナクアを倒した後。声が出なくなったのを医者に診て貰い、回復系のプロフェッショナルであるサンベリーナにも診て貰った。それでも、餡子の声が出ない事の明確な理由は分からなかった。
恐らく、許容量を超える魔法の行使による疲労だろうという事だったけれど、それが正しい保証も無いという。
何せ、餡子の魔法は他の魔法少女と比べてあまりにも特殊であるため、魔法の酷使によるデメリットがどう働いているか分からないのだ。
そもそも魔法を無理に使ったところで、変身が解けて全身に倦怠感を覚えるくらいで、酷い時には一歩も動けない程の疲弊を覚えるくらいだ。
餡子の嘘を本当にする魔法は、種別で言えばアリスの魔法と同じくらい稀有な魔法である。前例も無いので、情報があまりにも少ないのだ。
『まぁ、魔法が特殊だから、そういう事もあるんだなぁ』
声に出せないので、心中で勝手に納得する。
声が出ない事に不安はあったけれど、サンベリーナによれば明確な理由は分からないけれど、喉の方にも疲弊と傷があったので、しっかり休んで養生すれば前と同じように声を出す事が出来るとの事だった。それは、医者も同じ見解だった。
声が出ない事に関する不安は無かった。けれど、漠然とした不安は餡子の心中には残っていた。
不安の正体がわからないまま、餡子は一人カフェテリアで宿題をしていた。
養生中のため、訓練をすることは止められている。そのため、皆が訓練をしている間はカフェテリアで学校で出された課題をしていた。
大抵は誰かがカフェテリアに居るので一人になる事は無かったけれど、その日は珍しく餡子だけがカフェテリアに残っていた。いつも賑やかなカフェテリアに一人で居るのは寂しかったけれど、同時に気は楽であった。
声が出ず、筆談かタブレット端末を使ってでしか会話に参加出来ないのでいつも皆に気を遣わせてしまっていた。自分が会話の速度が遅いのでそれだけで話の腰を折ってしまうし、何より皆を待たせてしまっている自分が一番嫌だった。
それでも、カフェテリアに来ない方が心配をかけてしまうし、何より家に帰って一人なのも寂しいのでカフェテリアに来て皆に会いたいという気持ちもある。だから、迷惑だと分かっていながらもカフェテリアに来てしまう。
だが、今日は一人きり。短くて二時間くらいとはいえ、寂しいものだ。
寂しさを紛らわせるために、餡子は課題に打ち込む。異譚やらアトラク=ナクアやらの影響で授業の進みは遅い。そのため、少し早足の授業になっているうえに、課題も多く出されている。
元々勉強は嫌いではないので、課題が多い事は苦では無い。それに、こうして一人の時間を潰す事も出来る。
かりかりとシャーペンを走らせていると、ふと課題のプリントに影がさす。
誰かが戻って来たのかとも思ったけれど、カフェテリアの扉が開いた音はしなかった。
となれば、この影の正体は一匹しかいない。
驚いた様子も無く餡子が顔を上げれば、そこにはにんまり笑顔のチェシャ猫が居た。
「キヒヒ。今、お喋り大丈夫かい?」
課題に集中していたとはいえ、寂しい気持ちに変わりはなかったので、チェシャ猫が来てくれて思わず笑みがこぼれる餡子。チェシャ猫の言葉にこくりと頷く。
「キヒヒ。ありがとう。……けどね、申し訳無いけど、楽しいお喋りじゃあないんだよ」
いつも通りのにんまり笑顔。けれど、その声音は若干の申し訳無さがあるように思えた。
こてんと小首を傾げて続きを促せば、言い出しづらそうにしながらもチェシャ猫は口を開く。
「キヒヒ。そうだね。単刀直入だけど、君の寿命の話さ」
寿命の話。そう言われても、何の事だか分からない。特に大病を患っている訳でも無いし、アトラク=ナクアとの戦闘後の健康診断でも声が出ない事以外に問題は無かった。
「キヒヒ。そうだろうね。まぁ、心当たりなんて無いだろうね。……そうだね、まずは君の魔法について話をするとしようか」
シュティーフェルの魔法は嘘を現実にする魔法。小さな嘘であれば消費魔力も少ないけれど、その分効力も弱い。けれど、大きな嘘であればその分消費魔力と喉への負担が大きく、その代わりに効力は強い。
餡子の認識ではその程度。珍しい魔法ではあるけれど、使い勝手が悪い上にそこまで強力な魔法では無いと思っている。
今更この魔法について語る事など在るのだろうかと疑問を覚える。
「キヒヒ。君の魔法猫の二枚舌の事だけどね、君は嘘を現実にする魔法として認識しているけれど、それは正しいけれど正確な認識では無いんだよ」
正しいけれど正確ではない。難しい言い回しにこてんと小首を傾げて疑問を表す。
「キヒヒ。確かに、嘘は現実になっている。じゃあ、その嘘がどうして現実になっているのかを考えた事はあるかい?」
言われてみれば、どういう理屈で嘘が現実になっているのかなんて考えた事は無かった。そういうものなのだと思って使い続けていた。
魔法は無から有を生み出す。剣、炎、氷、その他色々。自分の魔法だけ他とはかなり毛色が違う。
まず、無から有を生み出す事は出来ない。例えば『此処に水の入ったコップがあります』と言っても水の入ったコップが現れる事は無い。アリスのように剣を出せるかと思ったけれど、剣が出て来ることも無かった。
「キヒヒ。君の魔法はね因果律に作用する魔法なんだ。因果律とは、全ての物事には原因があって、その原因無しでは物事は成立しないっていう感じの話さ。君の魔法はその因果律に干渉する事が出来て、因果律に干渉する事によって嘘を……」
チェシャ猫が詳しく説明をしようとするけれど、餡子はチェシャ猫の説明を聞いてもぽかーんと口を開けるだけで何が何やら分かっていない様子。餡子は同年代に比べて頭は良い方だけれど、それでも中学一年生。難しい話はまだよく分からない。
「キヒヒ。ちょっと難しかったね。そうだね、まぁ、簡単に言うとだね――」
キヒヒと笑い、チェシャ猫は今まで言った事を簡単にまとめて餡子に告げた。
「――運命を、捻じ曲げる魔法って事さ」




