異譚62 喪失
身体中を支配する痛みと倦怠感に顔を顰めながら、スノーホワイトは目を覚ます。
「うっ、ぅっ……」
呻き声を上げ、スノーホワイトは地に伏していた身体を起こす。
「?」
そこで、違和感。
朦朧とする意識の中、スノーホワイトは即座に違和感の正体に気付く。
手を突いて起き上がろうとしたのだけれど、自身が思っていたように地面に手を突く事が出来なかった。
「ぁぁ……最悪……っ」
違和感の正体に気付いたスノーホワイトは顔を顰めながら悪態を吐く。
起き上がるために突こうとした左手。しかし、実際に突いた時には左腕には鈍い痛みを覚えただけで、上手く地面を捉える事は出来なかった。
その理由は単純明快。スノーホワイトの左腕が肘から先が失われていたのだ。
「っ……」
ちゃんと残っていた右腕を突いて立ち上がると、足元が覚束ずに身体がふらりと揺れる。
「血を流し過ぎたかしらね……」
血を流し過ぎただけでは無いかもしれないけれど、全身に違和感がありすぎて何処が不調なのかも分からない。自慢の純白の衣服も、今や見る影も無い程に汚れ切ってしまっている。
スノーホワイトは周囲に自身の左腕が落ちていないか見回してみるけれど、周囲には破壊の痕跡しか見受けられず、スノーホワイトの左腕は簡単には見つかりそうになかった。
それに、左腕を探している場合でも無い。スノーホワイトが気絶する直前、重傷だったグレーテルをヘンゼルが体育館へ連れて行っていた。渦巻く闇は確実にヘンゼルとグレーテルを追うはずだ。
どれくらい時間が経ったのか分からないけれど、ちんたらしている余裕は無い。
左腕の切断面は既に出血が止まり赤黒くなっていたけれど、念のために氷で覆っておく。
ゆっくりとした足取りで、スノーホワイトは体育館へ向かおうとする。
「……そんな」
そこで、とある残酷な事実を目の当たりにする。
スノーホワイトが展開した氷の壁。その壁に大穴が開いていた。
大穴が開いているという事はつまり、渦巻く闇はこの氷の壁を迂回する事無く、破壊して通ったのだ。
わざわざ迂回する必要も無かったのか、それとも破壊する事に意味があったのかは分からない。それでも、渦巻く闇が後を追ったのは事実だ。
「……くそっ」
悪態を吐いて、スノーホワイトは体育館へと向かう。急ぎ足で向かうけれど、脚の傷が深いのか思うように歩く事が出来ない。
それでも、スノーホワイトは懸命に歩を進める。
一分、一秒でも早く、スノーホワイトはヘンゼルとグレーテルの無事を確認したかった。
痛む身体に鞭を打ち、逸る気持ちを抑えきれず、スノーホワイトは体育館を目指す。
息が切れても、身体が痛みを訴えても、スノーホワイトは脚を動かした。
「はぁっ……はぁっ……」
必死に、必死に脚を動かした。
あり得る現実を否定したくて、覚束ない足取りのせいで何度も転びそうになりながら必死に脚を動かす。
そうして、スノーホワイトはその場所に辿り着く。
疲労していた。身体中が痛かった。直ぐにでも歩を止めてその場に座り込みたい気持ちがあった。
頽れるように、スノーホワイトはその場に座り込んだ。けれどそれは、疲労からでも、体中を蝕む痛みからでも無かった。
「ぁ、ぁあ……」
それは、我知らず漏れた声だった。
やっとの思いで辿り着いた体育館だったけれど、一度立ち寄った時からは想像もできないくらいに見る影も無く荒れ果てていた。
体育館は完全に倒壊し、瓦礫の中からは人と思しき手足や頭が見えていた。視線を彷徨わせれば、体育館だけでは無く、校舎も半壊。吹き飛ばされたのか四肢がバラバラになった死体や、潰されて原型を留めていない死体。死体、死体、死体、死体死体死体死体――
見えるだけでも夥しい数の人間の死体。恐らく、体育館の中にも夥しい数の死体があるはずだ。
「ぁっ……」
そして死体や瓦礫の中に、見付けたくなかった物を見付けてしまう。
それは、折れたキャンディケイン。ただのキャンディケインでは無い。ヘンゼルとグレーテルが空を飛ぶときに使う、魔法のキャンディケイン。
血溜まりの中、最早役目を果たす事が敵わなくなったキャンディケインはゆっくりと魔力の粒子へと分解されていた。
「ヘンゼル……グレーテル……っ」
双子の名を呼びながら、頽れた脚に力を入れて瓦礫の山へ向かう。
気力がある訳では無い。ただ、事実を確認しなければいけないから、必死に身体を動かしているだけだ。
瓦礫の山に辿りつき、スノーホワイトは片手で瓦礫を退かしていく。
片手とは言え、魔法少女の膂力であれば瓦礫を持ち上げる事は可能だ。それでも、勿論限界はあるけれど。
必死に瓦礫を退かす。途中で人を見付けると心臓が痛いくらいに跳ね上がる。そして、ヘンゼルとグレーテルで無い事に安堵する。
それを、何度も何度も繰り返す。
こんな事をしている場合では無い。魔法少女として渦巻く闇を追わなければいけない。渦巻く闇を見付け出し倒さなければいけない。
それが分かっていながらも、スノーホワイトはヘンゼルとグレーテルを探す手を止めない。瓦礫に埋まっていても、まだ生きている可能性がある。魔法少女は普通の人間より頑丈だし、運良く瓦礫の隙間に入っていれば助かる可能性もある。
それに、スノーホワイトでは渦巻く闇を倒す事は出来ない。足止めすら出来なかったのだ。倒せる訳が無い。ヘンゼルとグレーテルを見付け出して治療をし、誰か救援が来るまで耐え忍ぶしかない。
魔力をだいぶ消耗してしまっているけれど、三人で力を合わせれば何とか時間を稼ぐ事は出来るはずだ。上手くやれば、倒す事ももしかしたら出来るかもしれない。
いや、無理だ。あまりに希望的観測に過ぎる。作戦とも方針とも呼べない。そんなのは、甘えた理想だ。第一、ヘンゼルとグレーテルが生きているのかも分からないのだ。生きていたとして、グレーテルはあの時既に重傷。戦える状態では無い。むしろ、死んでいる可能性の方が高い。
キャンディケインが折れている事から、グレーテルがこの場で戦った形跡もある。グレーテルだって無事では無いはずだ。
スノーホワイトが生きていたのはたまたま運が良かっただけだ。脅威にならないスノーホワイトよりも、脅威として判断されたヘンゼルとグレーテルを追う事を優先しただけだ。
弱いから、生き残ってしまっただけだ。
「……」
瓦礫を退かしていた手が止まる。
ある一点に視界を奪われ、意識すらも奪われる。
瓦礫の隙間。血溜まりの中に、見たくなかった顔を見付ける。
それは、血塗れになったヘンゼルの顔。それが、半分だけ。
「ぁ、ぁあ……っ」
ふらふらと後ずさりをするスノーホワイト。
瓦礫に足を取られ、盛大に転ぶ。
半分だけだった。半分しか無かった。それでも、スノーホワイトにはヘンゼルだと分かった。分かってしまった。
力無くゆっくりと身体を起こし、拳を瓦礫に打ち付ける。
「ぁぁ、あ、あぁっ、ぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ……っ」
呻くように慟哭を上げ、蹲りながら何度も、何度も瓦礫に拳を打ち付ける。
それが意味の無い行動だという事は分かっている。それでも、スノーホワイトは止まる事無く慟哭の声を上げ続け、何度も何度も拳を振り上げては瓦礫に打ち付けた。
護る者を護れず、共に戦う友を失った。
自分が弱かったから。




