異譚21 ごめんなさい
「で、どうしてこうなったのかな?」
困惑したような、呆れたような、そんな顔をして笑良はアリスに問う。
「異譚の怖さを、教えようと思って……」
地面に正座させられているアリスは、少しだけ肩を落として笑良に言葉を返す。
訓練場ではアリスと一緒に訓練をしていた魔法少女達は、全員床に伏しており、サポート系の魔法少女達があくせくしながら彼女達の回復を行っていた。
異譚支配者に扮したアリスは魔法少女達を容赦無く攻撃した。逃げようとする者を追撃し、攻撃しようとする者を叩き潰し、防御しようとする者を吹き飛ばした。
アリスは何の躊躇いも容赦も無く、魔法少女達を痛めつけた。
そして、全員をぼこぼこにした後に、治療役として笑良達サポート系の魔法少女を呼んだわけだ。
が、少々やり過ぎてしまったらしい。
アリスの背後では、アリス以外の全員が治療を受けており、ぐったりと力無く横たわっている。
余程アリスが恐ろしかったのか、新米魔法少女の何人かははばかることなく泣いており、それを先輩魔法少女が宥めている。
そんな惨状を目にして、笑良は一つ溜息を吐いた後にアリスに言う。
「もっと他に良いやり方とか無かったの? アリスちゃんが本気で戦うとか、そういうシンプルなやり方で良かったんじゃないの?」
「それも考えたけれど、私は魔法少女であって異譚支配者では無いからどうしても訓練と言う側面が強くなってしまうように思えた」
「だから異譚支配者に変身してぼこぼこにしちゃったの?」
「うん」
「両極端過ぎるよ……もっと、段階を踏むとかあるでしょ?」
「例えば?」
アリスの問いに、笑良は少しだけ考えるような素振りを見せたけれど、直ぐに例えを口にする。
「訓練中の記録をちらっと見たけど、異譚っぽい景色は作れたわけでしょ? そしたら、まずは景色から慣らしていって、その後に異譚生命体みたいなのを作って戦闘して貰って、で、徐々に難易度を上げていく、っていう方針」
「でも、それだと時間がかかる」
「時間をかけていーの。初出撃で異譚支配者と戦う新人なんていないんだから。そういうやり方の方が良かったと、私は思います」
「そう……確かに……」
笑良の言い分はもっともである。異譚支配者とは熟練の魔法少女が戦うものだ。アリスだって、最初の異譚では異譚支配者とは戦闘していないのだから。それでも、一か月後には国内最高ランクの異譚支配者との戦闘をするはめになったのだけれど。
ともあれ、アリスがイレギュラーな経験をしている事に変わりない。
このやり方が一番異譚の怖さを分かってもらえるのは確かだけれど、どうにも、性急に考えすぎたようだ。
「アリスちゃんのところは、今日のところは中止ね。全員ダウンしちゃってるし……」
流石に、アリスと戦ってただで済むわけがない。全員が完全に体力と魔力を使い切っており、変身もままならない状態だ。
「私はまだ余裕だから、他のところに手を貸す」
「そう。じゃあ珠緒ちゃん以外のところでお願い」
「どうして?」
「朱里ちゃんからちょろっと聞いたんだけど、あの子、アリスちゃんに迷惑かけたんでしょ? 珠緒ちゃん、アリスちゃんが来たら調子に乗りそうだから、今回はおあずけ」
「おあずけ?」
「こっちの話。それよりも、アリスちゃんは白奈ちゃんのところに行った方が良いかもね。同じバランス型だから、教え方のコツとか学べることも多いと思うし」
「分かった。なら、スノーのところに行く」
確かに、アリスとスノーホワイトは同じバランス型だ。スノーホワイトがどう教えているのかなど、アリスが学ぶ事も多いだろう。
だが、この場をこのままにしてスノーホワイトのところへ行くのは気が引ける。流石のアリスもそこまで無責任なことは出来ない。
「……なにか、手伝う」
「ん? いいよ、手伝いなんて。アリスちゃん、サポート系の魔法使えないでしょ?」
「でも……」
「こっちも良い実践になるから気にしないで。訓練のやり方は気にして欲しいけどね」
ぱちっと愛嬌たっぷりにウィンクする笑良。
「……分かった。じゃあ、任せる」
「うん、お任せあれ~」
アリスは訓練場を後にする前に、その場に居た全員に向かってぺこりと頭を下げる。
「ごめんなさい」
やり過ぎちゃってごめんなさい。
無茶をさせちゃってごめんなさい。
迷惑をかけちゃってごめんなさい。
何に対してなのかは分からないけれど、しっかりとアリスの謝罪は全員の耳に入った。
いつだって傍若無人であるアリスが謝るのが珍しく、全員が珍しいものを見たと唖然とする。
そんな中、夏夜がアリスに向かって親指を立てる。
「次は勝つ……」
ぐったりとしながらも、夏夜は確かな意思の宿った目でアリスを見る。
「以下同文ですぅ……」
向日葵もアリスに手を振りながら夏夜に続く。
他の者は喋る気力も無いのか、ぐったりとした顔でアリスを見ているだけだ。それだけに、二人の胆力や実力が他の者とは頭一つとび抜けているのが分かる。
彼女達の言葉が皆の総意ではないと分かっているけれど、そう言ってもらえると少しだけ心が楽になる。
「……ありがとう」
お礼を言い、アリスは訓練場を後にする。
その背中を、美奈は憎々し気に睨みつけていた。
どうして、あれだけの力があって母さんが死ななければいけなかったのか。
どうして、あれだけ強くてたった数人しか救えなかったのか。
どうして、母さんを助けてくれなかったのか。
どうして、どうして、どうして。
いや、分かっている。それほどまでに強力な異譚だったのだ。
映像資料は無くとも、アリスのレポートなら閲覧可能だ。魔法少女になってから、何度も、何度も見た。
日本至上最強の異譚支配者の事。母さんの激戦。驚異的なまでの異譚の範囲。異譚生命体の数とその強さ。
本当に、嫌になるくらい見た。
今の自分で一人で乗り越えられるかと言われれば、素直に無理だと言わざるをえない。一人では決して勝てない。
それは、自分自身が一番良く理解している。むしろ、一人で戦い抜いたアリスを賞賛すべきだとも分かっている。全部分かってる。アリスは最高と言わずとも、最上の結果を残せたのだ。
でも、やっぱり、母さんを助けて欲しかったと思ってしまう。だって、誰かにとっては犠牲者の一人でも、自分にとってはたった一人の大切な母さんなのだから。
恨んでしまう。憎んでしまう。それが見当違いな思いだと分かっていても、この感情を止める事は出来ない。
嫌い、嫌い、大嫌い。母さんを助けてくれなかったアリスなんて大嫌い。
そう思えば、全部アリスが悪い事に出来る。アリスが悪者であれば、アリスを恨む事が出来るのであれば、自分がこれ以上誰にもぶつけられない感情に押し潰される事も無い。
どうしようもない事に理由を付ける事が出来る。そうすれば、自分の心に整理を付けられる。置き場所に困った感情を、いったん置いておく事が出来る。
それはきっと間違った置き場所なのだろうけれど、整理の付いていないざわざわとした心でいるよりずっと安らかだった。
いや、分かっている。いつか、絶対に折り合いを付けなければいけない日が来るのだ。それは、分かっているのだ。
それが出来ない事が自分の弱さなのだという事も十分に分かっているのだ。
けど、やっぱり母さんが死んでしまった事は悲しくて、どうしても何かにこの感情をぶつけてしまいたくなってしまう。
その想いを自分だけが抱えている訳では無い事を失念している事に気付かないまま、アリスを嫌い続ける。
間違えていても、正しくても、もうそう思う事でしか自分の感情の制御が出来なくなっていた。