異譚53 知らぬが仏
すみません。吐いて寝込んだりして遅れました。
急に熱くなってきたので、皆さんもお気を付けください。
煽るように、馬鹿にするように、見下すように、彼女はアリスを見据える。
「それは、どういう意味?」
「言葉通りの意味よ。世界は貴女なんて必要としてないわ」
うふふと笑って、彼女はステーキにフォークを刺し、優雅さを損なわない動きで口元に運ぶ。
「う~ん、やっぱり美味しい」
もぐもぐとステーキを美味しそうに咀嚼する。
「逆に聞くけど、貴女は自分が世界に必要だと思う? ああ、私ってこの世界に必要なんだなぁって思った事はある?」
「あ、アリスは絶対に必要だよぅ!! ぜ、絶対絶対必要なんだからぁ!!」
アリスに投げかけられた問いに、サンベリーナがアリスのポケットの中から顔を出して声を上げる。
「あら、可愛らしい。とっても美味しそうなサイズ感ね」
アリスのポケットから顔を出すサンベリーナを見た彼女は、一瞬で猛禽類のような獰猛な瞳になり、ぺろりと小さく舌なめずりをしながら興味深そうにサンベリーナを見据える。
「ぴぅっ……!?」
捕食対象として見られたサンベリーナは怯えた様子でアリスのポケットに顔を隠す。
「あら~、隠れちゃった~。か~わい~」
なんて柔らかい口調で言うけれど、その瞳から獰猛さは消えていない。
「私が、世界に必要だと思った事は無い」
ポケットの中に隠れたサンベリーナを隠すように手で覆いながら、アリスは先程の問いの答えを返す。
「私なんかが必要な世界は平和とは言えない。私が必要の無い世界が一番良い」
「あ~、違う違う。そういう立場や建前的な話じゃ無くてさ~。貴女自身がこの世界に必要だって思った事ある? って話」
英雄としてのアリスでは無く、アリス個人が世界に必要かどうか。そう感じた事があるかどうかの話。
「私はね~、勿論あるわよ~。だって神様だもん。神様はこの世界に絶対必要なのよ。迷える仔羊達を導かないといけないから」
「それは違う」
彼女の言葉をアリスはきっぱりとした声で、迷う事無く否定する。
「私個人がこの世界に必要かどうか、それは分からない。そんな事、考えた事も無いから」
きっと、ロデスコであれば違う答えを出しただろうと思う。けれど、此処にロデスコは居ないし、問われているのはアリスだ。
そして、アリスの答えは『分からない』だ。何せ、そんな事を思った事が無い。自分が居なければ黒奈はまだ生きていて、白奈達は幸せな家庭を築いていたかもしれないと思った事はあるけれど、自分がこの世界に必要かどうかなんてそんな大きな事を考えた事は一度も無い。
アリスだけでなく、他の者もそんな事を考えた事なんて無いだろう。それだけスケールの大きな問いだとアリスは思う。
彼女が何を目論んでいて、何を意図してそんな事を聞いて来たのかは分からないけれど、アリスははっきりと彼女の答えには異を唱える事が出来る。
「でも、旧支配者なんて必要無い。それだけは断言出来る」
力強い瞳で彼女を睨み付ける。
旧支配者なんて者が居るから、異譚が発生する。その異譚のせいで、人々が苦しむ。それなら、旧支配者なんて居ない方が良いに決まっている。
「ふ~ん。なるほどね~」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべ、すっかり冷めてしまったであろうステーキを口に運ぶ。
「私達が居ない方が良いって言うけど、それって今の貴女の存在を否定する事にもなるんだけど?」
「さっきも言った。私なんかが必要の無い世界の方が良い。魔法少女でなくとも、私は……」
今までのアリスであれば言えなかったはずだ。今までのチェシャ猫と二人きりのアリスでは、絶対に言えなかった。
魔法少女では無い自分の周りに、今では色んな人が居てくれる。それだけで、充分なのだ。
「私は、私を生きていける。だから、魔法少女が必要の無い世界になったとしても、何も問題は――」
「ぷっ……ふふっ」
アリスの言葉を遮り、彼女は堪えきれないとばかりに噴き出す。そして――
「あははははははははははははははははははっ」
――心底楽し気に、心底馬鹿にしたように、心底憐れむように、優雅さとはかけ離れた下品な笑い声を上げる。
目尻に涙を浮かべ、何度もばんばんとテーブルを叩く。その度にテーブルに乗った食器は震え、中身の入ったグラスは耐え切れずに倒れ、純白のテーブルクロスに赤い染みを広げる。
脚をジタバタさせ、お腹を抱えながら、大きな声で笑い続ける。
突然の事に怒りよりも驚きと警戒が先に来る。
「ひひっ、ひっ、ふぅ……あー、おかし。おかしいったら無いわ! ぷふっ、くふふふっ」
目尻に溜まった涙を拭いながら、彼女はアリスを見やる。
「何がおかしいの?」
「だって、私からしたらどの口がって話ですもの。これは、相当……ぷふっ」
「な、なな、なに笑ってるのさ!」
アリスを馬鹿にしたように笑い混じりで話す彼女にカチンと来るけれど、先程の事があって小さな声でしか抗議出来ないサンベリーナ。
「ふふっ、知らぬが仏って事もあるのよ。まぁ、この世界に仏なんて居ないんだけど」
倒れたワイングラスを指先で転がして遊びながら、彼女は続ける。
「そっか~、まぁそうよね~。知らないんじゃそうなるわよね~」
悩むように頤に人差し指を当てる。
「ちょっと微妙な答えだけど、まぁ、今の貴女が貴女と言う事でその答えを受け入れるとするわ。残念。共生の道は断たれたわね~」
ぱちんっと彼女が指を鳴らせば、何処からともなくワインボトルが現れ、一人でに彼女の持つワインに中身が注がれる。
「共生?」
「そう、共生。私はね、人間はこの世界に必要だと考えてるからね」
そう言いながら、彼女はワイングラスを傾けて優雅に飲む。
「……さっきから気になっていた。それ、ワインじゃないでしょ」
「ええ、そうよ。ワインも美味しいけど、やっぱりコレには敵わないわ」
ぺろりと妖艶に唇に舌を這わせる。
中身が何かは言わない。それでも、アリスは彼女が何を飲んで、何を食べているのかが理解できた。
「この味を知っちゃうと、やっぱり人間って必要なんだなぁって思うの。だって……」
最後の一切れのステーキをフォークに差し、優雅さの欠片も無い乱暴さで口に運ぶ。
味わうように咀嚼をした後、恍惚の表情を浮かべながら嚥下する。
「こぉ~んなに、美味しいんだもの」
うふふっと無邪気な笑みを浮かべる。その無邪気さが彼女の邪悪さに拍車をかける。
彼女が食べていたのは、最早言うまでも無い事だが人間の肉である。肉を喰らい、血を飲み、その腹を満たす。空腹だから仕方なく食べているのではない。彼女は、人間が美味しいと知っているから、人間を食べるのだ。
人間が美食だと知っている彼女には人間が必要だ。だからこそ、この世界に人間が必要なのだと本気で思っている。
人間が高級な牛や豚が居なくなれば困るように、彼女もまた美食である人間が居なくなれば困るのだ。
そのための共生。そのための支配。自分が喰うに困らない為に人を生かす。
全ては、究極の美食を永遠に続ける為に。