異譚20 死にハ肆な烏賊ラ
休憩を終え、訓練場に戻って来たアリス。
御通夜のような空気は少しは良くはなったけれど、未だに空気は重い。
アリスは出しっぱなしにしていた椅子に座り、停止させていた猫を動かす。
「じゃあ、開始」
「ちょちょちょちょーい!」
即座に訓練を再開しようとするアリスに、向日葵が慌てて待ったをかける。
「なに?」
「なに? じゃないですよ! この御通夜みたいな空気に対して何かこう、言葉をかけるとか無いんですか?」
「必要?」
「……一応、君の後輩のせいでもあるんだけど?」
「でも、事実だから意気消沈してるんでしょ?」
特になんの感情も見せる事無く、アリスは言う。
「あの子の言い方は悪いけど、言ってる事は間違ってない」
「それは……そうだが……」
「逃げるために戦うのか、護るために戦うのか、倒すために戦うのか。目標と目的を持って訓練をするのは大事。その姿勢が自分達にあったかどうか、それは自分でも良く分かってると思う」
逃げて適当に魔法を撃って、それで強くなるのであれば誰も苦労はしない。
「正論を言われてやる気を無くすくらいなら、魔法少女なんて辞めれば良い。どうせ死ぬだけだから」
今までで一番冷たい言葉を放つアリス。
だが、優しさと甘やかしをはき違えてはいけない。甘やかすのは、きっと彼女達の先輩がやってくれる事だ。けれど、突き放すように冷たく真実を伝えられるのは、アリスなど他の所属の魔法少女だ。それこそ、アリス程の実績を持つ者であれば尚更、その役を買って出る他無い。
アリスであれば、心を鬼にする必要は無い。そもそも、嫌われている自覚はある。これ以上嫌われたところでアリスは困らないし、むしろ都合が良い。
「そんな言い方しなくても……」
誰かが、ぽつりと呟く。
落ち込んだような、悲しいような、そんな目がアリスに向けられる。
そんな中、夏夜が真剣な表情でアリスに言う。
「アリス。事実を教えるという行為自体は正しいと、私も思う。それと、もう少し真剣に向き合うべきだったとも反省している。だから、そんなに突き放すように言わないで、もう少し寄り添うように教えてあげて欲しい。真実も、正しく伝えなければその人を傷付ける言葉になってしまう……」
夏夜の言っている事は、アリスも理解できる。
言い方、タイミング、語調。伝え方次第では、真実も時に相手を傷付ける言葉になりかねない。アリスもイェーガーも正しく伝えられた訳では無い事は理解している。
しかして、アリスは悠々とアンティーク調の椅子に座りながら紅茶を飲む。まるで夏夜の言葉が響いていない様子のアリスを見て、他の者は少しだけ眉根を寄せる。
「アリスちゃん。アリスちゃんがどうしてそんなに冷たい態度を取るのか、私はずっと疑問でした。今も、その態度の理由は分かりません。けど、アリスちゃんが本当は優しい人だって事、私は知ってます」
向日葵がアリスに歩み寄り、アリスの傍で腰を落としてにこりと笑顔を向ける。
「異譚で私を助けてくれた時も、ぶっきらぼうながら心配してくれましたよね? アリスちゃんは冷たいように見えるだけで、本当は優しい人なんだって、その時初めて分かりました。それと、誰よりも人を死なせたくないと思っている事も」
アリスの戦い方を見ていれば、敏い者は気付くだろう。
アリスは、いつだって派手に戦闘をしている。目立つように、敵に警戒されるように、その強さを惜しみなく発揮している。
誰もが本能でアリスが危険だと思うように、アリスを警戒させるように、アリスに視線が集まるように戦っている。
アリスに注目や戦力が集中するという事は、他がその分手薄になるという事であり、アリス以外の負担が減るという事でもある。
「だから、ちょっと違うやり方をしてみませんか? アリスちゃんが人気者になったら、私、とても嬉しいです」
にこにこと屈託の無い笑みを浮かべる向日葵。
少しの間を置いて、アリスは向日葵と夏夜を見やる。
「……この子達、実戦経験ある?」
唐突な質問に困惑しながらも、二人はアリスの質問に答える。
「……? ……花はまだです。哨戒任務だけは一緒にやってますけど……」
「星もまだ初出撃前だよ……けど、どうして?」
「そう」
一つ頷いて、アリスは新米魔法少女達を見やる。
「……なら、私が間違えていた」
「え?」
まさかアリスが非を認めるとは思わず、誰かが思わず声を漏らす。だが、動揺しているのは全員同じであり、どういう事なのかと周囲の者と視線を交わす。
アリスは立ち上がると、椅子もサイドテーブルも、敵役の猫すらも消す。
「そう……無かったの、実戦経験」
「アリスちゃん……?」
「最初に聞いておくべきだった。これは、私の失態」
アリスは踵を返し、全員から遠ざかる。
そして、ある程度距離を取ったところでアリスは立ち止まる。
「実戦経験も無しに実戦を意識しろだなんて無理な話。だって、体感していないのだもの。つまり――」
アリスが振り返る。
直後、アリスを起点にして景色が変わる。
地面は赤黒く染まり、血管のような管が浮き出るように地面の下で脈打つ。
瓦礫が積み上げられ、地面を這うように火が燻り、壁から天井にかけて無数の多種多様な目が開眼し魔法少女達を凝視する。
「――知らないんだ、恐怖を」
直後、アリスの身体が変化する。
空色のエプロンドレスは黒く染まり、引きずる程にスカートの丈が伸びて放射線状に地面に広がる。
肌は灰色に変わり、目元を完全に覆い隠すほど髪が伸び、鮮やかな金色の髪は黒く染まりぼさぼさに荒れ果てる。
無数の錆びた鎖が地面から飛び出し、アリスの身体を厳重に拘束する。まるで拘束を嫌がるように、服の中のナニカが怪しく蠢く。
歪で大きな妖しい光を放つ王冠が天から降り、アリスの顔を完全に覆い尽くすようにして戴冠がなされる。
『なら、教えテあゲル』
地の底から響くような熱を忘れた声音。
それと同時に、アリスから放たれる圧倒的な魔力。
その異様、その魔力、その光景。誰が知らずとも魔法少女達は知っている。
全員の背筋が凍る。新米魔法少女達は、アリスが何に成ったのかが分からずとも、恐怖で脚が震えている。
『絶望も、恐怖も、自分の弱サモ、全部教えてアゲル』
アリスが身体を揺らす。服が盛り上がり、長いスカートの裾が生き物のように蠢く。
直後、うねるアリスの身体から幾つもの触手が飛び出る。
その光景を見た新米魔法少女達は大小様々な悲鳴を上げる。
蛸のように吸盤の付いた触手。動物の牙や爪が幾つも生えたような触手。人体で構成されたような触手。機械的な触手。植物的な触手。様々な触手がまるで意思を持つかのように自由に宙をうねる。
『……サァ、まずは、自分ノ現在地を知ロウ。大丈夫……』
無数の触手が魔法少女達に向けられる。
『ナニガ亜ってモ、死にハ肆な烏賊ラ……』




