異譚38 あの日の真相
施設内は荒れ果てており、誰かが肝試しにでも来たのだろう落書きやお菓子のごみなどが見受けられる。
「この宗教施設が解体になった原因は内部告発。まーあくどい奴だったみたいよ。地下には麻薬の栽培室、地方議員への裏金……もう叩けば埃が出るわ出るわで、相当汚い組織だったみたいね」
当時には知り得なかった事も、今では調べれば簡単に出て来る。それに、それ以上に深い事情を知りたいのであれば、朱里の立場を利用すれば知る事は容易である。
「まぁでも、最たる理由は一番最初に告発された内容よね。なんだか知ってる?」
背後を歩く二人に問いかける朱里。
朱美は何も知らないだろう。今日この場所に来る事も知らなかった、いや、考えもしなかっただろうから。
けれど、春花はなんと無く分かっていたので、二人が入っていた宗教団体の事を事前に調べていた。だから、宗教団体の解体がどの告発から始まったのかを知っている。
「……強制猥褻とか未成年淫行、だったよね?」
春花の言葉を聞いて、朱美は弾かれたように顔を上げて朱里の背中を見る。此処に来るまでに既に青白くなっていた顔から更に血の気が引いている。
自分のしでかしてしまった失態に、事ここに至ってようやく気付いたのだ。
「そうよ」
一つだけ頷いて、朱里は迷う事無く進んで行く。
そうして、一つの部屋に辿り着く。
奥まった場所に位置するその部屋には汚れた布が敷かれた平たい台が置かれていた。その隣には引き出し付きの小さな棚が置かれており、半分程引き出しが出ていたけれど中には何も入っていなかった。
「……アンタが加護を受けに行けって送り出した日、アタシはこの部屋に来た。この部屋は神聖な加護を与える『奇跡の間』って呼ばれてたみたいだけど、実際はただのお楽しみ部屋だったわけね」
朱里の手が小さく震える。それを誤魔化すように朱里は震える手を握り締める。
「此処で、馬鹿共が有難がってる……えーっと、なんだっけアイツ? なんちゃら尊師」
「永源尊師って、当時は名乗ってたみたい。本名は坂本良治」
「アンタそんな事も調べて来たの?」
「当時の記事に載ってただけだよ」
「だからって本名まで憶えて来る? ソイツの名前なんて、アンタの記憶容量に入れておく必要なんて無いんだから、即刻忘れなさい」
「無茶を言う……」
いつも通りの態度を見せる朱里だけれど、その態度が何処か無理をして作っている事には気付いていた。頑張って、平静を装っている。
「ともかく、アタシはこの部屋でソイツに会った。アイツはこの部屋で信者達に加護だって言ってえろい事をしてた訳ね。成人女性から未成年まで、幅広くヤってたみたいよ」
「資料だと、上が四十代で下が十代だったみたいだね。でも、相手は十代の子が多かったみたい。それも、若ければ若い程、加護って言って呼びつける回数が多かったみたいだね」
「……なんで知ってんの? てか何で資料見てんの?」
春花の言った内容は、新聞記事などでは報道されていない部分だ。年齢までは公開されていたけれど、教祖の性的趣向までは記事に載っていない。
「道下さんに用意して貰ったから」
「ああ、なるほどね……」
朱里が資料を見られるのだ。当然、春花だって見られる。それくらいの我が儘を通すだけの地位は持っている。
だがそれはそれとして、朱里には一つ腑に落ちない部分があった。
「……なんだろう。アタシ、アンタにそういう資料読んで欲しく無いわ。後、下の話もしないで欲しい……」
心底嫌そうな顔で言う朱里。自分から話題を振っているし、この話自体は知っていて欲しいけれど、今後一切そういう事を言わないで欲しいと思ってしまう。
「アンタ明日以降下ネタ禁止ね。……何だろう。イメージ? アンタがそういう事言うの、なんか違うのよね」
「そんな横暴な……」
とは言うけれど、別に春花も好き好んで下ネタを言ったりはしない。下ネタが好きなのはシャーロットや詩、凛風くらいだ。別段禁止されたところで問題は無い。
「って、んな事は良いのよ。ともかく、アタシは此処でアイツに会った。この意味、アンタにも分かるわよね?」
朱里が朱美に問うけれど、朱美はわなわなと口を震わせながら呆然と朱里を見るばかりだった。
「そ、そんな……あ、アタシ、なんて事……なんて、なんて馬鹿な事をぉ……っ」
だが、朱美も全てを理解したのだろう。この場の説明をされ、あの教祖がどんな人物かを説明され、その部屋に呼ばれたと言われて理解できない程、朱美は愚かでは無い。いや、そんな事を説明されなければ分からなかった、気付きもしなかった、そもそも宗教を抜けた後に調べもしなかった時点で、自分はどうしようもない程に愚かで馬鹿な人間だった。
その場に崩れ落ち、朱美は両手で顔を覆い涙を流す。
自分が愚かだったから、朱里をこんな部屋に送り込んでしまった。この部屋で、朱里は肉体的にも精神的にも測り知れない苦痛を味わったのだ。女性としての大事な初めてを奪われ、人としての尊厳を踏み躙られた。
今になって鮮明に思い出す。あの日、朱里が帰って来た時、朱里の服はぼろぼろだったし、朱里は怪我もしていた。目を向けないようにしていた事、見ないようにしていた事が急に鮮明になっていく。
「ごめんなさいっ……アタシっ……本当にごめんなさいっ!!」
蹲り、泣き叫ぶように繰り返し謝罪をする朱美。
殴られるべき理由しか無かった。罵倒されるべき理由しか無かった。嫌われる理由しか無かった。
泣き崩れる朱美の背中を春花は優しく撫でる。
「……アンタ、動じなさすぎじゃない?」
そんな春花を見て、朱里は思わずそう口にしてしまう。性犯罪者が性犯罪を犯していた部屋に呼ばれて来てしまった。朱里はそう言ったのだ。春花は人の機微には疎くとも、言葉を読み取る能力には長けている。まぁ、そこに人の感情やら思惑やらが入り込むと途端に読み取り不可になるけれど。
ともあれ、朱美でも分かるように説明したのだ。春花にも十分伝わっているはずだ。
しかして、春花は動じた様子も無く朱美の背中を撫でて落ち着かせている。
「……」
朱里の言葉を聞いて、春花は気まずそうに朱里から視線を逸らす。
「……まさか、結末まで資料読んだの?」
朱里が訊ねれば、春花はこくりと頷いた。
「ごめん」
「……はぁ。まぁ、驚かせたかった訳じゃ無いし、アンタに悲しんで欲しい訳でも無いから、別に大丈夫だけど……あぁ、先に見られちゃったか」
朱里は少しだけ気恥ずかしそうに春花から視線を逸らす。
朱里としては仕方の無い事だったし、あの選択を間違えてはいないとも思っている。だが、それを春花に知られてしまうのは謎の気恥ずかしさがあった。
「まぁ良いわ。とりあえず結論から言うけど、アタシ、レイプされて無いから。まだ純潔よ、純潔」
そう言いながら、朱里は朱美の肩を掴んで無理矢理自分と向き合わせる。
顔を上げた朱美の顔は涙と鼻水でべちゃべちゃになっており、朱里は思わず「うわっ」っと言ってしまったけれど、優しく朱美の顔をハンカチで拭いた。
「最悪の事態は免れたのよ。こう、ね。抵抗したと言うか、なんと言うか……」
ちらりと春花を見た後、朱里は意を決したように真実を告げる。
「アイツが動かなくなるまで、金玉蹴ったのよ。それはもう、ぐちゃぐちゃになるまでね」
これはのちに聞いた話だけれど、尊師の睾丸は両方とも完全に破壊されていたらしい。あの時は必死だったから動かなくなるまで蹴る事しか考えていなかったので、どのような状態になったかまでは気にしていなかった。
そこは別に良い。その選択を間違いだとは思わない。
けれど、春花にそれを知られるのはなんだか気恥ずかしかった。何故だかは分からないけれど。
「だから、大丈夫。大丈夫だから」
朱里がそう言えば、朱美は泣きながら朱里を抱きしめた。
「ごめん、なさいっ。ほんとうにっ、ごめっ、なさ……!!」
「だから、大丈夫だって」
ぽんぽんっと朱美の背中を優しく叩く朱里。
「ほら、アンタもなんか気の利いた事言いなさいよ。資料読んだんだから、なんか言えるでしょ」
「また無茶振り……あー、うーん……」
朱里に言われ、春花は真剣に考える。
真剣に考えた末、春花は朱里にこう言った。
「ナッツクラッカーって、呼んだ方が良い?」
「だれがブラックジョークかませって言ったのよ」




