異譚28 思い違い
矢羽々家の事情は分かった。真弓がどうして料理を教えて欲しいと言ったのかも分かった。
だが、真弓が料理を習って千弦のお弁当を作って『はい解決。万々歳』とはきっとならない。
真弓の愛情は伝わる。千弦であれば諸手を上げて喜んでくれるはずだ。それと同時に思うはずだ。
ああ、いらぬ負担をかけてしまった、と。
ただでさえ、高校生と魔法少女の両立は多忙になる。その多忙さを家族である千弦は良く知っている。
千弦は我が儘を言わない子なのだろう事は、真弓の話を聞いていて良く分かった。
同年代の子が作って貰っているお弁当が羨ましい。その気持ちがあるにも関わらず、千弦は真弓にお弁当を作ってとは言わなかった。それは真弓が多忙である事を知っていたからだ。それこそ、家事など手が付かぬ程に。
勿論、真弓が家事が壊滅的に出来ない事は知っている。そんな真弓にはなから頼む気は無かったのかもしれない。
だが、それでも、羨ましいと思う気持ちに蓋をしてしまっているのは事実だ。
それ以外の気持ちも勿論あるかもしれない。けれど、春花では与り知らぬところだ。春花が分かっているのは、千弦が真弓の負担にならないようにしている事だけ。
だから、真弓が千弦のお弁当を作って解決とはならないのだ。結果的に真弓の負担だけが増える事になる。
春花は真弓が料理をするだけで事態は解決しないと分かっていた。だから真弓に千弦が何処まで家事をしているのか聞いてみたところ返って来た答えは『していない』だった。
なるほど。そうなればあの部屋の現状も頷けるというものだ。どちらかが家事をしていれば、あれ程部屋が荒れる事も無いだろう。
千弦が家事をしていない理由を聞けば、以下の通りであった。
千弦はまだ子供だから家の事を任せるのは気が引ける。
千弦だって遊びたい盛りだから、家事よりも友達と過ごす時間を優先させてあげたい。
千弦は虐待をされていたから、掃除とかどうやれば良いか分からない。前に片付けをして父親の物を捨ててしまった時に酷く暴力を振るわれた。だから、掃除に抵抗がある。
それを聞いて、春花も掃除の手が止まっている二人に圧をかけてしまったのは申し訳無いと思ったけれど、此処は心を鬼にしてでも言うべき事があった。
「僕から見るに、いずれお二人の生活は破綻します。いえ、既に破綻していると思います。失礼ですが、アレをまともな暮らしとは思えません」
ストレートに春花は真弓にそう告げた。
あまりにストレートな物言いに真弓はぴくりと眉を動かすけれど、春花は気にした様子も無く続ける。
「僕はお二人の深い事情までは分かりません。どんな葛藤があって、どんな精神的苦痛に苛まれているのか、付き合いが浅いので矢羽々さんが話してくださった言葉だけしか分かりません。でも、矢羽々さんが千弦さんをとても大事に思っている事は分かりました」
千弦の事を大事に思っていなければ、あのような曇った表情にはならない。本当に気に掛けて、真剣に悩んでいるからこそ、真弓は心を痛めているのだ。
「ですが、あえて言わせていただくのなら、大事にし過ぎているのではないでしょうか?」
「……それの何が問題なのかにゃー?」
明らかに不機嫌を隠そうとしない声音の真弓。真弓からすればこちらの事情も知らないでずけずけと言いたい事を言っているように聞こえているのだろう。実際、その通りだと春花も思う。付き合いの短い相手に言うような内容ではない。それこそ、玲於奈達のように背中を預け合うくらいの仲でなければ切り込む事は難しい内容だ。
「千弦さんは何年生でしょうか?」
「え……六年生だけど……?」
「でしたら、家事のお手伝いは出来ますよね? 来年からは中学生ですし」
「でも、そしたら千弦の時間が無くなっちゃう。私、あの子には普通に過ごして――」
「家事をお手伝いする事も、別に普通の事ですよね?」
真弓の言葉を遮り、春花は少し強い口調で言う。
「矢羽々さんが、千弦さんを大事にしたい気持ちは分かります。酷い事をされたから、出来る限り優しくしたい気持ちも分かります。でも、きっとそれは矢羽々さんの求める普通じゃないと思うんです」
「……どういう事?」
「家事を何もしなくて良い。自分の事だけ考えて、友達と遊んで、ただ楽しく過ごして欲しい。その結果、甘やかされる事が普通になってしまう。自分は何もしなくて良い。だって酷い目にあったから。やりたく無い事はやらなくて良い。だってやりたく無いから。自分が何もしていなくても叱られない。やりたく無い事をやらないでいても叱られない。……それって、果たして健全な状態って言えますか?」
「……っ」
「もう一度言いますけど、矢羽々さんが千弦さんを大事にしたい気持ちは分かります。けど、だからと言って面倒臭い事ややりたくない事から逃がして良いとは、僕は思えません。だって、世の中は面倒臭い事がいっぱいあるんですから。……っ」
言っていて、春花はある事に気付く。真弓や千弦とは関係の無い事。けれど、二人の状況と酷似している人物の事。
それに気付けば、珍しく自分がずけずけと他人の事情に踏み入っている状況になんだか納得がいった。
だが、今は真弓と千弦の事だ。
「……小学生として、子供として、普通の生活を送らせてあげたい気持ちは理解できます。あのくらいの年齢の子は、家の事なんて気にしないで遊ぶのが仕事みたいなものですから。でも、お二人の家庭事情を考えれば、それは難しい事だと思います。矢羽々さんも手一杯な状況なんですから。お一人で抱え込むのはもう無理だと思います」
あの部屋の状態を見て、真弓が完璧にこなせていると言うのは無理がある話だ。誰が見ても春花と同じ事を思うだろう。
「千弦さんは、矢羽々さんがお弁当を作ってくれる事をとても喜んでくれると思います。けど、それと同時に手間を掛けさせてしまったとも思うんじゃないですか? だって、千弦さんは矢羽々さんが忙しくしている事を知っているんですから」
「ぁ……」
春花の言葉に、真弓は今気付いたとばかりに声を漏らす。
千弦の事を一番知っているのは真弓だ。だからこそ、春花の言葉通りだと直ぐに納得してしまった。ただ喜ばせたい一心しか無かったから、その事に気付かなかった。
「確かに、甘えさせる事も大切だと思います。でもそれと同時に、厳しくする事もまた必要なんです。そうしないと、千弦さんは甘える事以外知らない人になってしまいます。それはきっと、矢羽々さんが望む未来の千弦さんの姿じゃないはずです」
春花の言葉に思うところがあるのか、真弓は口をつぐんで下を向いてしまう。
ただ、此処まで言ったけれど、千弦はきっと甘える事しか知らない子にはならないと思う。何せ、部屋を掃除する気はあった。真弓が掃除を手伝ってと言えば、分かったと二つ返事で了承していた。
多分、問題の根本は真弓の方なのだ。千弦に年相応に甘えて欲しくて、家事をやらなくて良いと言ってしまっているのだろう。まぁ、本当に家事が苦手なのも起因しているだろうけれど。
今必要なのは、真弓の甘えさせるだけの方針を止める事だ。真弓の為にも、千弦の為にも。
暫く間を置いてから、真弓はゆっくりと口を開く。
「……私が限界だって、そんな事、私だって分かってる。でも、何て言ってお願いして良いのかも、何処までお願いして良いのかも、分からないの」
涙ぐんだ様子で真弓は続ける。
「一回、お風呂入れてってお願いしてみたの。本当に疲れてて、もう何もしたく無かったから……でも、千弦は軽い調子でやーだーって。そしたら、私すっごい気が立っちゃって……」
涙を拭いながら真弓は絞り出すように言う。
「……分からないの」
「? 何がです?」
「……叱り方、分からないの」
ぽつりと真弓はそうこぼす。
「……悪い事したら、怒鳴られて、殴られてたから……千弦にやだって言われた時も、頭がかっとなって……怒鳴ちゃって……っ。これじゃあ、やってる事同じだぁって……っ」
その言葉を聞いて得心が行った。
真弓はきっと、両親と同じ事をしたく無かったのだ。そうなってしまうかもしれない不安や恐怖から叱る事が出来なかったのだ。
もし、千弦に手を上げてしまったら。そう考えると、何も言えなかったのだろう。
ああ、そうか。当然ながら、真弓も被害者なのだ。子供の世話を任された、子供なのだ。
事ここに至って、春花はようやっと気付く。
これは、自分の手に余ると。
見捨てる事など選択肢に無い。さりとて自分だけではきっと解決出来ない。
少し頭を悩ませた後、春花は何かを思いついたように誰かに電話を掛けた。そして、開口一番こう言った。
「助けてください」




