異譚27 矢羽々家の事情
今日は春花として事務作業をこなした後、アリスとして童話のカフェテリアに待機する事にしている。アトラク=ナクアを倒した直後は春花もてんてこ舞いだったけれど、正規雇用の事務員ではない春花には他の事務員と比べてそんなに仕事は回ってこなかったので、他の事務員よりは仕事は少ない方だった。それでも忙しいと思うくらいの仕事量ではあったけれど。
幸いにして、事務仕事も粗方片付いて来て、ようやくいつもよりちょっと忙しいくらいの仕事量に戻って来た。元々春花の仕事はそんなに多い方ではないので、春花の仕事量だけは通常に戻っている。そもそも、春花の扱いはアルバイトなので、重要性の高い仕事は割り振られない。忙しかったのは、春花でも出来る雑務が増えたからだ。
他の事務員が忙しくしている中、春花は皆にコーヒーやお茶を用意しながら、自分の仕事をこなす。
事務の仕事は特に問題が発生する事も無く終わり、春花は午前中で仕事を切り上げる事が出来た。
春花はそのまま対策軍内の共同カフェテリアでご飯を食べる。ご飯を食べ終わった後、アリスに変身して童話のカフェテリアで待機する事にしている。
「にゅ! 春ちゃん!」
「あ、矢羽々さん」
パスタの乗ったトレーを持った真弓は春花に気付くと、そのまま春花の前の席に座る。
「ここ、へーきー?」
「それは座る前に聞く事なのでは……。まぁ、一人なので大丈夫ですけど」
「あいあと!」
にゅふーっと笑みを浮かべながら、真弓はパスタを食べ始める。
少し周りを見てみるけれど、どうやら今日は玲於奈達は居ないようだ。
「お料理、千弦さんのためだったんですね」
特に前置きをする事無く、春花は真弓にそう言った。
真弓は一瞬驚いたような顔をしたけれど、直ぐにいつものほわっとした柔らかい表情に戻って、気恥ずかしそうに返す。
「にぇへへ、ばれちゃったかぁ」
「掃除中にプリントを見付けたので」
「あ~、リビングにあったんだにぇ」
「ええ。なんか、ソースの汚れとか付いてましたけど」
春花が掃除中に見付けたのは、千弦が学校から渡されたプリント。その内容と二人の家庭環境を考えれば、真弓が料理を習おうと思う理由としては十分なものだった。
「異譚災害に伴うお弁当持参の連絡。千弦さんに、お弁当を作ってあげたかったんですね」
「にゅふふ……お恥ずかしながら」
先のアトラク=ナクアの一件で、千弦の通う学校の給食センターが半壊してしまっており、給食を提供出来ない状況になっていた。そのため、給食の代わりに各自がお弁当を持ってくる必要が出来た。
「まゆぴー、お料理へたっぴだからにぇ。春ちゃんにおせーてもらおって思ったんだ~」
「まぁ、あの汚部屋の状況だと料理以前の問題ですけど」
「うぐっ……」
春花のストレートな物言いに、真弓はダメージを受けたように呻き声を上げる。
「……春ちゃんには言ったけど、まゆぴーと千弦は血の繋がりなっしんぐなの。まゆぴーの母親と千弦の父親が再婚したんだ~」
母親、父親。真弓らしくない固い呼び方。それだけで、真弓が両親の事を嫌っている、もしくは、苦手としている事が伺える。
「まゆぴーの母親はね、お酒飲むし、ギャンブル大好きだしでどーしよーも無い人だった。千弦の父親は『酒ェ、女ァ、暴力ゥ!!』って人だった。まゆぴーも殴られたし、千弦も殴られた。此処まで聞けば分かると思うけど、まーろくに愛情なんて注がれなかったもんでさーあ。お弁当とかも作って貰った事無いのにぇ」
少しだけおちゃらけたように言ってはいるけれど、本人としては思い出したくも無い過去なのだろう事は、彼女の声音から察する事は出来る。
「まゆぴーが魔法少女になってからは、まゆぴーと千弦二人で住むようにしたんだ。あの二人とは、対策軍法務部のぱうぁーで接見禁止だしね! 安全安心に暮らしてるんだけど、二人共家事がとんと駄目でねぇ。家事とか一切やった事無かったからさぁ。それでも、二人で生きて行ければ、まーいかーくらいだったんだけどぉ……」
そこまで話して、真弓は見た事も無いくらいに落ち込んだ様子で肩を落とした。
「良いわけ無いよね。私はともかく、千弦が可哀想だし……」
それは、初めて見た真弓の素の部分。
「千弦は強がってるけど、やっぱり他の子が持って来たお弁当が羨ましかったみたい。そりゃそうだよね。私が千弦に持たせてるの、何処にでも売ってるパンとかだもん。家族が作ってくれてるお弁当、羨ましいよね。作って貰った事、無いんだから……そりゃ、無茶苦茶羨ましいって思っちゃうよ」
今にも泣き出してしまいそうな声音。恐らく、自分の事を不甲斐無いと思っているのだろう。料理も作れなければ、部屋だって汚してしまう。掃除の前に春花は一通り家を見て回ったけれど、洗濯機も稼働している様子は無かった。本当に、誇張でもなんでもなく、真弓は家事が出来ないのだろう。
けれど、春花からすればそれは仕方の無い事のように思う。魔法少女は激務だ。高校に通って、放課後は魔法少女として働いて、その上で家事が出来る元気があるとは到底思えない。春花がそれを行えているのは、単に春花が家事を苦と思っていないからだ。普通の者、それこそ、遊びたい盛りの女子高生からすれば家事なんて面倒以外の何ものでもないはずだ。
むしろ真弓は偉いと思う。家族の為に頑張って働いて、ちゃんと千弦を養っている。本来なら親がやるべき事を、真弓が全て肩代わりしているのだ。責められるべきは真弓ではない。真弓と千弦に愛情を注がなかった親だ。
此処で春花が料理を肩代わりする、というのは簡単だ。少し料理の量が増えるだけだ。春花にとっては苦にもならない。
だが、それは答えではない。真弓が千弦に渡したい愛情ではないのだ。だからこそ、春花に料理を教えてくれと頼んだのだろう。
「あ、ご、ごめんにぇ~! 暗い話しちゃって~! にぇへへ、そーいう事なので、まゆぴーは料理をして千弦を喜ばせてあげたいのです! だから、料理を教えてくれるとひっじょーに助かります!」
春花の沈黙に気付いた真弓は慌てていつも通りの笑みを浮かべ直し、美味しそうにご飯を食べる。
春花は親の愛情を知らない。いや、思い出せないと言った方が正しいのだろう。何せ、春花に記憶は無いのだから。
けれど、親代わりになってくれた人ならいる。今なら、その人が自分に愛情を注いでくれていた事が理解できる。
親から注がれるべきだった愛情を受け取っていない二人の悲しさや虚しさが、少しだけ分かる気がする。
「分かりました。僕で良ければお力になります」
「にゅふふ。あいあと~」
「ですが、料理を教えるのは真弓さんだけにではありません」
「にぇ? 他に誰かいゆの?」
「はい。料理を憶えなければいけない人は、もう一人居ます」
春花の言葉に、思い当たる節が無いのか、きょとんとした顔で小首を傾げる真弓。
そんな真弓に春花は真っ直ぐ目を見ながら告げる。
「千弦さんにも料理を憶えていただきましょう」




