異譚18 笑顔の圧
掃除を始めてから二時間が経過した頃、キッチンの掃除は一段落付いたけれど、リビングはそうもいかなかったようだ。
「これ、こんなとこにあったんだ」
「マンガの続き、こんなとこにあったんだにぇ~」
矢羽々姉妹は掃除そっちのけで、今まで見つからなかった物や途中で見付けたマンガに夢中になっている。
いつから掃除の手が止まっていたのか分からないけれど、春花が掃除に夢中になる前に見た光景からそんなに変化が無い事を考慮するに、相当な時間サボっていた事になる。
「二人共?」
キッチンから、静かな声音で声を掛ける春花。直後、掃除の手を止めていた二人はびくっと身を震わせて、恐る恐る春花の方を見やる。
「掃除はどうしたの?」
最早敬語すら忘れた春花がそう問えば、二人はたらぁっと冷や汗を垂らして目を泳がせる。
「……し、してゆよ? ほら、さっきより進んだでしょ? にぇ?」
隣で同じように掃除の手を止めていた千弦に同意を求めれば、千弦もこくこくと頷く。
「し、してますしてます! ほらっ、ごみも沢山捨てました!」
そう言って、半分程入ったごみ袋を見せる千弦。しかして、ごみ袋に入っているごみの量よりも、部屋に散乱しているごみの量の方が多い事なんて比較しなくとも分かる事だ。
「その割に、全然綺麗になってないけど?」
「「うっ……」」
「僕がキッチンの掃除をしてから大体二時間。お皿を洗って、ごみをまとめて、汚れを落として、最低限綺麗になりました」
春花の言葉通り、キッチンは二時間前の無残な姿から一変、一般家庭並みの綺麗さにまで変貌を遂げていた。皿は綺麗に洗われ、ごみはごみ袋にまとめられ、シンクやコンロは普通に使えるまでになっている。
「で、二人は?」
笑顔で二人の成果を訊ねる春花。最近、良く笑顔を見せるようになった春花だったけれど、今の笑顔はそのどれとも違う。愛らしい笑顔のはずなのに、その笑顔からは今までにない圧を感じる。
「僕がキッチンを綺麗にしてる間に、二人は何をしていたのかな?」
背後に『ゴゴゴ』と擬音が付きそうな程の圧のある笑み。
「ど、どどどうしようお姉ちゃん。め、女神さまが怒ってるよ!」
「あ、あわわわ。ど、どうしようにぇぇ……」
二人が笑顔で怒る春花に戦慄していると、不意に「くぅ~」っと可愛らしい音が鳴った。
「こ、こんな時にお腹鳴らさないでよ!」
「し、仕方ないんだよ! お腹はどーしても空いちゃうものなんだからにぇ!」
音の正体は真弓のお腹であり、空気を読まない事に空腹を主張してきたのである。
「はぁ……」
真弓のお腹の音に毒気を抜かれ、溜息を吐く春花。
掃除に熱中していたから気付かなかったけれど、時間的にもお夕飯時だ。
「今日は此処までにしましょう。明日はきっちりお掃除をして貰いますからね?」
「え、明日もなの?」
千弦が真弓に訊ねれば、真弓は諦めたようにこくりと頷いた。
「ちょっと早めの大掃除だにぇ……」
「常日頃からこまめにお掃除していたら、こんな事にはならないんですよ?」
「分かってゆんだけどにぇ……」
「姉妹揃って掃除苦手だもんね~」
「にょんにょん! 家事全般苦手だよ!」
「確かに! 全部出来ないや!」
「「わはははははっ!」」
「胸を張って言う事ですか……」
自信満々に胸を張って大笑いをする真弓と千弦を見て、思わず呆れた声が漏れる春花。けれど、家事全般が苦手だと豪語する真弓がお料理を教えて欲しいと言うのはただ事では無いのだろうと分かる。
掃除にも前向きな様子ではないので、自然と自ら進んで料理をしようと考えるとは思えない。千弦に知られたく無い事も相まって、やんごとない理由があるのだろう。
ともあれ、今日の掃除は一段落付いたので、今考えるべきはお夕飯だ。
「キッチンは綺麗にしたので、このまま僕が料理を作っても良いんですけど……」
そう言いながら、春花は冷蔵庫を開ける。冷蔵庫の中身はすっからかんで、ジュースやプリンなどが入っているくらいだ。野菜室は文字通りすっからかんであり、ただただ冷たい空気が入っているだけである。まぁ、腐った野菜が入っていないだけましであろう。
逆に、冷凍庫には冷凍食品がみっちり入っている。だが、アリスのプライベートルームや童話のカフェテリアに常備されているような栄養バランスの考えられた冷凍食品では無く、パスタやらお好み焼きやら栄養が偏っている物が入っている。
きっと、冷凍食品だけではなく、外食やコンビニ弁当も食べているのだろうけれど、どうしたって栄養は偏ってしまう。
「今日は外食ですね……。なるべく、栄養バランスの取れた物を食べてくださいね?」
「うにゅ? 一緒に食べにゃいの?」
春花の言い方から察したのか、真弓は小首を傾げて訊ねる。
「一緒に食べに行きましょうよ! ハンバーグ食べに行きましょう! ハンバーグ!」
千弦は既に外食の気分になっているのだろう。ぴょんぴょんと跳ねてハンバーグを食べに行こうと主張する。
今日は対策軍に寄らず、帰ってご飯を食べようと思っていたので別段外食にしたところで問題は無い。
「分かりました。じゃあ、ハンバーグを食べに行きましょう。けど、ちゃんとサラダも食べる事。良いですね?」
「「はーい!」」
春花の言葉に元気良く手を上げる真弓と千弦。
薄々思っていたけれど、血が繋がっていないと言う割には言動や表情、仕草がそっくりである。
血が繋がっていなくとも、環境や過ごした時間が同じであれば似通うと言う事なのだろうかと考えながら、春花は割烹着を脱ぐ。外食をするのに割烹着は必要無いのだから。
「わっ、割烹着だ! 似合ってるから全然違和感無かった」
「にぇ。ちょー似合ってる。かわちいよね。男の子に見えないよにぇ~」
「そうだにぇ~……って、男の子!? ほんとに!?」
「ほんとにほんとにほんとにほんとに男の娘~♪」
なぜかリズミカルに言う真弓。
「ほえぇ……マジかぁ……」
まじまじと春花を見やる千弦。
「どっからどう見ても、可憐な女の子……」
「にぇ~」
千弦の言葉に真弓は同意の鳴き声を漏らす。
「さ、遅くなる前にご飯を食べに行きましょう」
まじまじ見られても春花は気にした様子も無く、二人を促す。
「「はーい」」
春花に促され、二人はまたも仲良く返事をする。
そうして、三人は近くのハンバーグ専門のチェーン店へと向かったのだった。なんだか少し、唯と一と接する時の気持ちになってきていると思わないでも無いけれど、きっと気のせいだろう。




