異譚14 暴力
学校が終わり、春花はいつものようにお夕飯を作っていた。
お夕飯を作りながら、春花はお婆さんの言っていた事を考えていた。
朱里が春花になにかを期待しているのかもしれないと、お婆さんは言っていた。その期待しているであろうなにかがなんなのかを春花はずっと考えている。
朱美との関係である事は確かだろうけれど、その関係をどうして欲しいのかが分からない。
普通であれば母親との関係を取り持って欲しいと思うかもしれなけれど、そう思わない可能性もある。それこそ、菓子谷家や上狼塚家のように。
朱里が朱美とどうなりたいのか、それが春花には分からないのだ。そもそも、朱里は朱美と話さないし、朱美も朱里と話さない。これでは二人が互いをどう思っているのかなんて分かりっこ無い。
「……?」
そこまで考えて、春花は少しだけ違和感を覚える。
何か、重要な要素を見落としているような、そんな違和感。
しかし、その違和感の正体に気付く前に、不意に聞こえて来た物音に意識を割かれてしまう。
がちゃりとドアノブが回され、ゆっくりと扉が開かれる。
この時間、朱里は対策軍に居る。家に戻って来る前に朱里からそう言われている。
必然、この扉を開けた者の正体は一人だけである。
「……」
ぼさぼさの髪の隙間から、怯えた小動物の様な目で春花を見やるのは、お昼に食べたであろう食器を持った朱美だった。
朱美が部屋の外に出ている姿を見るのは初めてなので、少し驚く春花。しかし、その驚きを覚らせないように、春花は出来るだけ柔らかい表情を浮かべて朱美を見やる。
「ただいまです。食器、流しに置いておいてください。洗っておきますので」
春花がそう言えば、朱美はこくりと一つ頷いて、流し台に食器を置く。
「今日のお夕飯はハンバーグにしました。目玉焼き付きですよ」
春花から声を掛けてみるも、朱美はこくりとしか頷かない。
そんな朱美の様子にどこか既視感を覚える春花。いや、既視感というよりは、何処か覚えがある、と言った方が正しいだろう。
「あっ、の……!」
流し台に食器を置いた朱美が、突如として大きな声を出す。
思わず、春花はびくっと身を震わせるけれど、朱美がただ声を掛けたかっただけだと気付く。朱美の様子を見るに、朱里以外の人間と接触するのはかなり久し振りなのだろう。声の掛け方が分からなくて、ちょっと声が大きくなってしまうのも仕方の無い事だ。
多少驚きはしたけれど、それだけだ。直ぐに平静を取り戻して言葉を返す。
「どうかしましたか?」
優しい声音で春花が訊ねれば、朱美は忙しなく視線を彷徨わせながら、口をパクパクと開閉して言葉を発そうと苦心する。
春花は朱美の様子を気にしながらも、変に注目しても朱美を焦らせてしまうだけだと考え、料理を作る手を止める事はしなかった。
朱美は暫く言葉を発そうと苦心している様子だったけれど、やがて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……こ、怖く、無いの……?」
「何がですか?」
主語の抜けた言葉では、付き合いの短い朱美が相手では汲み取る事は難しい。
聞き返した春花に、朱美は確かな恐怖を孕んだ声音でその対象を告げる。
「あ、あの子……」
「あの子……。って、もしかして、東雲さんの事ですか?」
春花がそう聞き返せば、朱美はこくりと頷いた。
朱美の言葉に困惑しながらも、春花は素直に朱美の問いへの答えを返す。
「怖くは無いですよ」
春花がそう言えば、朱美は一瞬だけ春花を見て、また目を逸らす。
「……そう」
頷きはするけれど、納得した様子は無い。
朱美は朱里の事を怖いと思っているのかと聞こうか、聞くまいか、判断に悩む。果たしてそこに踏み入って良いのか、それとも何も聞かずに待ちの姿勢でいるべきなのか。
暫く無言の時間が訪れるけれど、ややあってから朱美がゆっくりと口を開いた。
「……アタシは、朱里が怖いの」
ぽそりと、小さな声でそう告げる朱美。
「どうしてです?」
「……たまに、思うから。あの子、アタシの子供じゃないんじゃないかって」
「そう、ですか? お顔とか、よく似てらっしゃると思いますけど」
朱里は母親似なのだろうと思う程に、朱里は朱美の特徴を受け継いでいるようだった。親子揃って赤髪だし、目元も似ていた。朱美の方は自信無さげに目尻が少し下がっているけれど、それでも親子だと分かるくらいには二人は似ている。
「……でも、アタシは人に暴力を振るった事なんて無いわ」
「え?」
信じられない言葉が朱美の口から飛び出してきたものだから、思わず春花は呆けた声を出してしまった。
暴力を振るった。朱美は確かにそう言ったのだ。
確かに、口調が荒かったり、春花の頬をつまんだりする事はあるけれど、それはじゃれ合いの範疇だ。それが分かっているから、春花は何も言わないし、春花以外も特に何も言わないのだ。
魔法少女として戦う事を暴力と言っているのかとも思ったけれど、朱美は『人に暴力を振るった事が無い』と言った。つまり、魔法少女として戦う事と、暴力との違いをちゃんと区別している。
そうなると、朱里が誰かに暴力を振るった事があると言っている事になる。
「それは、どういう意味ですか?」
春花が訊ねれば、朱美は口を開きかけたけれど、直ぐに何かに気付いたような顔をして慌てた様子を見せながら「な、何でもないの」と言い放って、そそくさと部屋から出て行ってしまった。
恐らく、春花が朱里に今の会話の内容を言ってしまうと思い至ったのだろう。そんな事をすれば二人の仲が悪くなる事は明白なので、そんなの事はしないのだけれど、春花の事を知らない朱美からすればそう危惧してもおかしくは無い。
「東雲さんが、暴力……」
残された春花は、思わずそうこぼしてしまう。けれど、言葉にして言ってみても、そんな朱里の姿は想像が出来ない。
あり得ないと一笑する事は出来ない。朱美の怯えようは本物で、その言葉が朱美の勘違いの類いではない事は明白だった。
朱美から話をしてくれたのは嬉しい事だけれど、謎は一層深まるばかりだった。




