異譚10 すすり泣く声
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学校も終わり、春花と朱里は対策軍へと向かおうとしたのだけれど、不意に春花はある事に気付いた。
「お夕飯作ってない」
思い出したようにぽそりと呟けば、朱里は呆れたように溜息を吐いてから春花を見る。
誰の、とは言わないでも分かる。
「良いわよ別に。あっちも良い大人なんだから、お夕飯ぐらい自分で用意してるわよ」
「でも、お昼ご飯も作ったし……」
家を出る前に、お昼ご飯のオムライスが冷蔵庫にあると、扉越しに伝えてあるのでお昼ご飯を食べ損ねる事は無いだろう。だが、お夕飯の準備までは頭が回っていなかった。冷蔵庫の中身を思い出しても、お夕飯を作れるまでの材料は残っていなかったはずだ。
「僕、スーパーに寄ってから一回家に戻るね。お夕飯作ってから、対策軍の方に向かうから」
「冷食もあるし、あの人だって料理出来ない訳じゃ無いんだから大丈夫よ。アンタ気にし過ぎ」
朱里はそう言うけれど、春花は朱美の状態を楽観視は出来なかった。
日を浴びていないであろう青白い肌。春花からお盆を受け取った時の骨の浮き出た細い腕。髪はぼさぼさで、肌も荒れていた。
一目見ただけの春花でも分かる。不摂生な食事に加え、ろくに外出もしていないのだろう。
不摂生な生活を続ければ健康にも悪い。どうしてこんな生活をしているのかは春花には分からないし、そこまで踏み込むべきでは無い事も分かっている。だけど、お世話になっている間は料理くらい作っても怒られはしないだろう。
「冷食だけだと栄養偏っちゃうから」
「必要な栄養が摂れる冷食よ。健康志向の人に人気のやつ。だから平気よ」
朱里の言っている事は間違いではない。冷凍食品でも栄養が摂れるようにと開発された、栄養バランスに優れた冷凍食品を常備している。レンジで温めれば直ぐに準備ができ、栄養も摂れる優れものだ。
それは、春花も確認している。
「……僕なんかが言えた事じゃないとは思うんだけど」
「なによ?」
「栄養だけじゃ足りないものも、きっとあると思うんだ」
菓子谷姉妹の家で一緒に食卓を囲んだ時、もっと言えば、黒奈と沙友里と一緒に食卓を囲んだ時。きっと、その頃から心の奥底では感じていた事で、表には出してこなかった感情。
一人で食べるご飯はとても寂しい。
今までの春花であれば、無視していた感情だ。
一人暮らしを始めた時、春花にはチェシャ猫が居た。その時の春花はチェシャ猫が居たからそんなに寂しくは無かった。それでも、自分の作った料理でも味気無かった。それが温かみの無いものとなればなおさらだ。
今の朱美の状況を考えれば、一緒にご飯を食べる事はきっと無理だろう。であれば、せめて人の手で作った温かみのある料理を食べて貰いたい。
「だから、お夕飯作ってくるね。あ、東雲さんも食べるなら、東雲さんの分も作っておくよ?」
春花が折れないと分かったのか、朱里は大きく溜息を吐いてから頷く。
「好きにしなさいな。アタシの分も作ってくれるんなら作っておいて。食べられなくても、明日のお弁当に入れられるから」
「うん、分かった。因みに、東雲さんの好きな食べ物って何?」
「アンタの料理なら、何でも食べるわよ。強いて言えば、洋食の方が好きかしらね」
「分かった。洋食メインで考えてみるね」
「ええ。……ありがとう」
「じゃあ、僕はお夕飯作ってから対策軍に行くから」
「ええ、分かったわ」
春花は鞄を持って、教室を後にする。
「隠す気が無いのかしら? それとも、見せつけてるのかしら?」
春花が教室を去った後、白奈が朱里の隣に並んでしらーっとした目で言う。
二人は教室で声を抑える事も無く会話をしていた。そもそも、お昼休みの段階で四人は大騒ぎをし過ぎた。ただでさえ四人は目立つ容姿をしており、なおかつ三人は魔法少女だ。クラスでも目立つ存在である。
クラスメイト達はお喋りをしながらも、四人の会話には意識を割いていた。そのため、早い段階で春花と朱里が同棲しているとクラスメイト達は感づいている。
「思ったのよ。こそこそするからやましく見えるんだって。アタシは、家が無くなったアイツに住居を提供してるだけ。やましい気持ちなんて欠片も無いわ。それに、二人で暮らしてるならともかく、親だって一緒なんだから。誰に何を言われる筋合いは無いわよ」
クラスメイト達に聞かれる事を気にした様子も無く、むしろ聞かせてやるくらいのつもりの声量で白奈に返す朱里。
「ていうか、アンタ達が変に騒がなければ、アイツが部屋を見付けるまでの間くらいはバレずに済んだと思うんだけど?」
「主に騒いでたのは朱里だけどね」
「そ、そうだね。ツッコミの声が大きかったよね」
「アンタ等が余計な事言わなきゃ良かっただけでしょうが!」
二人が何も言わなければ、朱里だって声を荒げずに済んだのだ。まぁ、興奮して声が大きくなってしまったのは、朱里の落ち度ではあるけれど。
ともあれ、朱里としてはやましい事をしているつもりは無い。クラスメイトに何を言われようが、朱里は朱里のしたい事をする。
誰に何と言われようとかまわない。煩く喚く有象無象よりも、春花や仲間達の方が大事なのだから。
スーパーでお買い物をした後、春花は朱里の家で料理をする。
とんとんとんっと包丁を躍らせ、くつくつと鍋が具材を煮込んでいく。
オーソドックスだけれど、今日のお夕飯は肉じゃがとほうれん草のおひたし。なめことしいたけのお味噌汁。後は白米と冷奴。対策軍で仕事をしなければいけないので、作りなれた料理を選んでいる。
肉じゃがは煮込まなければいけないので時間はかかるけれど、それ以外はさっと作る事が出来る。冷奴なんて三パック入りの物をお皿に移して醤油をかければ良いだけだ。それでも、冷凍食品よりは味気あるだろう。
料理を作り終わると、春花は料理をお皿に盛り付け、そのお皿をお盆に乗せる。
春花が今朝使ったお盆がキッチンに戻っているのと、お昼ご飯に作ったオムライスが無くなっているので、しっかりとご飯は食べてくれているのだろう。
食欲はしっかりあるようで何よりだ。
料理をお盆に乗せた春花は、こんこんっと朱美の部屋をノックする。
「朱美さん。お夕飯です。今日は、肉じゃがとほうれん草のおひたし、冷奴にきのこのお味噌汁です」
扉越しに春花が声を掛ければ、暫くしてからゆっくりと扉が開く。
相も変わらず、不健康そうな見た目をしている朱美は、春花が手に持ったお盆を見ると、ぺこりと頭を下げる。
「どうぞ」
「……ありがとう」
お礼言を言って受け取り、朱美は部屋に戻ろうとする。
「あの」
そんな朱美に、春花は声を掛ける。
「好きな食べ物はありますか? それに、苦手な食べ物とか」
春花がそう訊ねれば、朱美は少しだけ固まった後で、静かに答える。
「……特に」
「分かりました。じゃあ、献立はこちらで考えますね」
春花がそう言えば、朱美はぺこりと頭を下げて今度こそ部屋に戻る。
春花はキッチンに戻り、料理を冷蔵庫に移してから対策軍へと向かった。
このマンションは防音がしっかりしている。扉の近くであれば多少は音が漏れるものの、普段であれば気にする事も無い。
だから、春花も気付く事は無かった。朱美の部屋の中から微かに漏れるすすり泣く声に、気付く事は無かったのだ。




