異譚1 アタシん家、来る?
新章突入いぇー!
頑張ります。
「それじゃあ、この部屋使って。好きに使ってくれていいから」
言って、空き部屋に春花を案内する朱里。
案内された空き部屋は、春花が借りていたアパートの一室よりも広く、春花からすれば必要十分以上であった。
「お風呂とか、細かいルールは後で決めましょう。自分家だと思って、ゆっくり休んで。あ、そうそう」
腰に手を当て、ふふんっと得意気な表情で朱里は言う。
「ようこそ、我が家へ。自分の家だと思って、しっかり寛ぎなさい」
快く迎え入れてくれる朱里を見て、どうしてこうなってしまったのかと当時の事を思い出す。
あれは、海外組がまだ日本に居た時の事。
女子会が終われば春花はいつもの生活に戻る。と言っても、春花の住んでいたアパートはアトラク=ナクアのせいで建物に罅が入ってしまった。安全性に問題が出てしまったため、とても住める状況では無くなってしまったので、荷物を纏めて持ってきてアリスのプライベートルームで生活を始めていた。
プライベートルームでの生活には慣れているので、特に苦ではないけれど、いつまでもプライベートルームに居座る訳にもいかない。次の住居を探さなくてはいけないと考えていた。
「キヒヒ。家が無くなっちゃったね」
「そうだね」
「キヒヒ。どうしよっか?」
「暫く此処で寝泊まりすれば良いよ。荷物だってバッグ一つで済む程だったから、いつでも引っ越せるし」
「キヒヒ。そうだねぇ」
春花の持ち物は驚く程少ないので、大きめのボストンバッグに全部入り切ってしまった。多少無理して入れたけれど、それだけで済む程の物しか家に置いてないと考えると、チェシャ猫は少し寂しい気持ちになってしまう。
「キヒヒ。もっと色々あっても良いと思うんだけどね」
「必要な物は揃ってるから」
「キヒヒ。必要十分が満足に繋がる訳じゃないさ」
「……特に欲しい物も無いし、別に無理して物を買う必要は無いと思うけど……」
「キヒヒ。そうかい」
少し寂し気に髭を揺らすチェシャ猫。
特に欲しいものが無いと言う事は、興味を惹かれる事が無いと言う事に他ならない。自分の中でアレコレ吟味して要る要らないを決めて必要十分で満足するのと、そもそも何にも興味が湧かないで必要十分で事足りると考えるのとではスタンスが違う。
チェシャ猫としてはもっといろんなものに興味を持って欲しいと思う。色んなものに興味を持って、感性を育んで、少しでも笑顔が増えたら良いと思うのだ。
だって、そうじゃ無ければ、何のために……。
「キヒヒ。次はもう少し良い所に住もうか。タワマンなんてどうだい?」
「昇り降りが面倒臭い。普通の部屋で良い」
どうしてあんな高くて面倒なところに住もうと思うのか、春花としては理解に苦しむ。メリットもあるのだろうけれど、そのメリットが春花には良く分からない。
「ちーっす。元気~、家無き子~?」
失礼極まりない挨拶と共に、アリスのプライベートルームに入って来たのは、私服姿の朱里だった。
「うん、元気だよ」
「キヒヒ。随分無礼だね、ロデスコ。品性をお家に忘れて来ちゃったかい?」
気にした様子の無い春花と、少しだけ目付きを鋭くさせるチェシャ猫。
「アンタ達相手に品性もクソも無いわよ。てか、そんな事どうでも良くて……」
一瞬、視線を泳がせる朱里。
二回程口を開けては閉じてと繰り返した後、一つ息を吐いてから何でもない風を装って春花に告げる。
「住むとこ無いんでしょ? アタシん家、来る?」
朱里が何を言っているのか理解するのに少しだけ時間を要した。
「えっと……」
朱里の言いたい事は分かる。住むところが無くなった春花に、棲み処を提供してくれるという話だ。
だが、誘った相手と、誘う相手が問題なのだ。
「……一応、僕は男の子だから……気を遣ってくれるのは、嬉しいけど……」
流石に、男女で同棲する事の危うさを分からない程ではない。
「で、住むところはあるの?」
「まだだけど……」
「なら良いじゃない。別に、アンタに家賃を折半して貰おうとか考えてる訳でも無いし」
「でも、一応僕男の子だから……」
「お泊りとかしておいて今更でしょ? それとも何? アタシの家に来たくないって訳?」
「そう言う訳じゃ……」
いつにも増して押しの強い朱里に、少しだけ違和感を覚える春花。
「アタシん家だったらセキュリティも万全だし、空いてる部屋はアンタが前住んでた場所よりも広い。ペットも大丈夫だし、対策軍までの距離も近い。ずっと仕事場に居るのも落ち着かないだろうし、次の住む場所が決まるまでウチで暮らすのも一つの手だと思うけど?」
「でも……」
「キヒヒ。良いじゃないか、アリス」
朱里の提案を渋っていると、思わぬところから朱里に援護が入る。
「これだけ言っているんだ。少しの間、お世話になろうじゃないか。キヒヒ」
「でも……」
「キヒヒ。なんだい? そんなに拒むって事は、アリスはロデスコにエッチな事でもするのかい?」
「しないよ」
「するって言ってたらひっぱたいてたけど、即答されるのもなんかムカつくわ」
チェシャ猫の言葉を即座に否定した春花だったけれど、何故だか朱里は不機嫌そうに文句を言う。
今更、春花に年頃の少年らしい反応なんて期待はしていないけれど、それでも、少しくらい意識してどぎまぎしても良いのではと思ってしまう。
別にそういう目で見られたい訳ではない。自分を性的な目で見られるのは嫌いだ。教室では愛嬌を振りまいては居るけれど、それでも男子とは一線を引いている。
それは、ひとえに過去に朱里が経験した事に起因している。
母親が入信してしまった新興宗教。そこの教祖による強姦未遂。あの事件以降、朱里は男性が苦手なのだ。いや、拭いきれない嫌悪感が在ると言っても良いだろう。
その嫌悪感はクラスメイトにすら向いている。分かっている。全員が全員、そういう事を考えている訳ではない。それでも、根底に残る男への嫌悪感を拭う事は出来ないのだ。
だが、春花に対してはその嫌悪感が無かった。
最初はきっとあった。少し、ほんの少し。元々春花の見た目は女の子のようだし、春花は女子に、というより、他人に対して興味が無いような雰囲気だった。胸も見ない、スカートからのぞく脚も見ない。それもそうだ。人と話す時は、必ずその人から視線を外していたのだから。
けれど、春花は段々と人に慣れて来て、人の目を見て話せるようになった。人と話す時は目を見て話し、その間、決していやらしい目を向けはしなかった。それは、朱里に対してだけではなく、他の少女達に対しても同じだった。
魔法少女でありながら自分が男である事に対する引け目からなのかもしれないけれど、それでも朱里はそこに好感を持った。引け目だろうが、自分を自制できる春花を尊敬している部分もある。
まぁ、それ以上に、死地を共に潜り抜けた中、というのも大きいだろう。アリスが春花と知って、一瞬だけ嫌悪感が鎌首をもたげたけれど、本当に一瞬だけだった。男という部分に条件反射で出た嫌悪。
当時、春花の事は良く知らなかったけれど、どの少女に対しても微塵もそんな気持ちを起こす事無く接していたのである程度の信頼はあった。
有栖川春花とアリス。その二人の事を信頼していたからか、春花の事を嫌悪する気持ちは直ぐに消え去った。むしろ、好感さえ持つ事が出来た。
今は嫌悪感なんて微塵も無い。むしろ、公私共に好ましい友人とさえ思っている。でなければ、何度も遊びに誘わないし、こうして家に来いだなんて言わない。
まぁ、朱里として打算が無いわけでは無いけれど。
男性を警戒する事を間違いだとは思っていない。だが、嫌悪感を抱き続ける事が正しい事とも朱里は思っていない。何せ、根底に嫌悪感があるのであれば、相手に対してのファーストインプレッションは必ずマイナスからスタートしてしまう。
男性を警戒はする。けれど、この嫌悪感を無くしたい。今の自分に生きづらさを感じているからこそ、朱里はそう思うのだ。
男に慣れるためにも、春花と一緒に過ごす事は朱里にとってプラスになると考えた。
そういう打算もあって、朱里は春花を誘っている。勿論、家の無くなった春花を気遣っての発言でもある。要は一石二鳥を取っただけだ。まぁ、もう一つ、期待している部分が無い事は無いのだけれど。
「で、どうすんの? アンタ次第なんだけど?」
朱里に言われ、春花は少しだけ考えた素振りを見せるも、直ぐに朱里に向き直る。
「……それじゃあ、お言葉に甘えて」
「よし。それじゃあ、早速行くわよ」
春花の答えを聞いて、朱里は意気揚々と告げる。
世間体を考えて断るべきだったかもしれないけれど、朱里がその事を考えていないとも思えなかった。何かしら朱里にも思うところがあって自分を誘ったのだろうと春花は考えた。
まぁ、少しの間だけ間借りするだけだ。そんなに問題も無いだろう。
ささっと荷物を纏めて、春花は準備万端と朱里に視線で告げれば、朱里は何も言わずに春花から荷物を奪って歩き出す。
「んじゃ、行くわよ」
きっとやっぱり無しと言われないために荷物を奪ったのだろう。まぁ、朱里なりの気遣いかもしれないけれど。
ともあれ、やっぱり無しは使えない様子なので、春花は黙って朱里の後を追った。




