異譚50 家無き子
アトラク=ナクアは倒され、世にまた平穏が訪れた。これにて万事解決、とはならないのが異譚である。いや、今回に限って言えば異譚ですら無いのだけれど。
ともあれ、甚大な被害を被ったのは事実である。巨大な亀裂に灰色の織り手の残党。
亀裂に関して言うのであれば、ある程度は埋まっている。アトラク=ナクアの残骸がそのまま亀裂に落ち、深すぎる亀裂の半分程を埋めたのだ。それでも、半分は残っている。埋め立てるには時間が掛かるし、ただ単に埋め立てれば良いというものでも無い。
地形を変える程の被害だ。そう簡単に元通りとはいかない。
灰色の織り手の残党は瓦解した本体が埋め立てた上に生息している。つまり、今でも亀裂の中で生きているのだ。
あれだけの数だ。あの戦いで全て倒せたとは思っていなかったけれど、予想を上回る数が亀裂の中で生息しているようで、魔法少女達は日夜灰色の織り手の残党との戦闘を繰り広げている。
アトラク=ナクアが喰らった地域については、その三分の一をアトラク=ナクアが埋めたようで、あと少しでも遅かったら核まで届いていたと言われている。地層や地盤にどれほどの影響が在るのかは目下調査中との事だ。
アリス達は専門的な話をされたけれど、皆ちんぷんかんぷんであり、誰一人として理解できた者はいなかった。アリスはしたり顔で頷いた後に「そう」とだけ言って誤魔化した。まぁ、地球が無事であれば良いので専門的な事は専門家に任せるしかないのだから、一つ頷くだけが正解でもあるだろう。
今重要なのは、少しでも早く日常を取り戻す事。そして、この亀裂のある生活に慣れる事だ。早々埋め立てられる訳では無いので数年は亀裂の向こうに行くのに不便する事となるだろう。一応、ライフライン部分の埋め立てをアリスも手伝う事にはなっているけれど、灰色の織り手の邪魔もあって中々思うようには進んでいない。
ただ土で埋め立てれば良いという訳でも無く、埋め立てられたアトラク=ナクアの残骸の強度の計測やその土地に合った土壌の検査等々、埋め立てる前にやる事は山積みである。
地球を危機に陥れ、生活に大きな打撃を与えたアトラク=ナクアはきっと来年の教科書に載る事だろう。今までにない大惨事だ。載らない方がおかしい。
幸いにして、アトラク=ナクアが脚を動かす前にアリスが対処出来たので、直接的な被害を受けていない地域は学校や会社の営業は再開している。それでも、亀裂が開く際に大きな地震があったためその復旧に追われているようだけれど。
今は何処もてんてこ舞い。忙しくない人の方が少ない。
アリス達も言うに及ばず、地域の復興やら自分達の家の掃除やらに追われている。春花の住むアパートは老朽化が進んでいた事もあって、残念な事に地震の影響で建物全体に罅が入ってしまっていた。
退去を余儀なくされた春花は、少ない荷物を持って対策軍本部に寝泊まり中である。因みに、白奈は既に父親と一緒に住んでいるので引っ越す手間はかからなかった。それでも、掃除が大変だとぼやいていたけれど。
「キヒヒ。家が無くなっちゃったね」
「そうだね」
「キヒヒ。どうしよっか?」
「暫く此処で寝泊まりすれば良いよ。荷物だってバッグ一つで済む程だったから、いつでも引っ越せるし」
「キヒヒ。そうだねぇ」
春花の持ち物は驚く程少ないので、大きめのボストンバッグに全部入り切ってしまった。多少無理して入れたけれど、それだけで済む程の物しか家に置いてないと考えると、チェシャ猫は少し寂しい気持ちになってしまう。
「キヒヒ。もっと色々あっても良いと思うんだけどね」
「必要な物は揃ってるから」
「キヒヒ。必要十分が満足に繋がる訳じゃないさ」
「……特に欲しい物も無いし、別に無理して物を買う必要は無いと思うけど……」
「キヒヒ。そうかい」
少し寂し気に髭を揺らすチェシャ猫。
特に欲しいものが無いと言う事は、興味を惹かれる事が無いと言う事に他ならない。自分の中でアレコレ吟味して要る要らないを決めて必要十分で満足するのと、そもそも何にも興味が湧かないで必要十分で事足りると考えるのとではスタンスが違う。
チェシャ猫としてはもっといろんなものに興味を持って欲しいと思う。色んなものに興味を持って、感性を育んで、少しでも笑顔が増えたら良いと思うのだ。
だって、そうじゃ無ければ、何のために……。
「キヒヒ。次はもう少し良い所に住もうか。タワマンなんてどうだい?」
「昇り降りが面倒臭い。普通の部屋で良い」
どうしてあんな高くて面倒なところに住もうと思うのか、春花としては理解に苦しむ。メリットもあるのだろうけれど、そのメリットが春花には良く分からない。
「ちーっす。元気~、家無き子~?」
失礼極まりない挨拶と共に、アリスのプライベートルームに入って来たのは、私服姿の朱里だった。
「うん、元気だよ」
「キヒヒ。随分無礼だね、ロデスコ。品性をお家に忘れて来ちゃったかい?」
気にした様子の無い春花と、少しだけ目付きを鋭くさせるチェシャ猫。
「アンタ達相手に品性もクソも無いわよ。てか、そんな事どうでも良くて……」
一瞬、視線を泳がせる朱里。
二回程口を開けては閉じてと繰り返した後、一つ息を吐いてから何でもない風を装って春花に告げる。
「住むとこ無いんでしょ? アタシん家、来る?」
これにて七章終了です。
お付き合いありがとうございました。
次はSSです。




