異譚39 新しい力
編み込まれたアトラク=ナクアは大地に鉤爪を突き立てようと脚を上げる。
「ちっ、かってぇなこいつ!」
「……骨密度、低い癖に、くそ硬……」
マーメイドの背に乗せてもらいながら、イェーガーは銃弾を撃ち込む。
マーメイドは手でメガホンを作り、音の衝撃波で脚にダメージを与え続けてはいるけれど、それでも脚はびくともしない。
「アリス、これの事脚って言ってたけど……」
「……あっちに、根元、ある……」
「せっそく……だっけか、こういう脚」
「……そ。良く、勉強してて、偉いぞ……」
「うるへー。……ていうか、まさか、巣自体がでっけぇバケモンだったとはな……」
こうなってしまえば、何のために蜘蛛達が巣を編んでいたのかは理解が出来る。この巨体だ。星を終焉に追いやるなんて訳無い事だろう。
「どーすんだこれ……あたしの銀の弾列も効かねぇし……」
イェーガーは初手から銀の弾列を撃ち込んでいた。リボルビングライフルには八発の致命の弾丸が込められているので、一発を様子見として撃ち込んだ。
結果としてダメージは波及したけれど、脚を貫通する事は無かった。
だがマーメイドの言う通り、脚はスポンジのように幾つもの穴が空いている。穴を塞ぐように徐々に成長している様子を見るに、まだ未完成なのだろう。倒すなら今しかないけれど、その倒す手立てが無い。
崖際でスノーホワイトが氷の矢を飛ばし、脚を少しずつ氷漬けにして行くけれど、その侵食力は弱い。スノーホワイトの魔法が弱いのでは無く、アトラク=ナクアの方が魔力に対して抵抗力が高いのだ。
だが、まったくの無意味という訳では無い。氷に侵食された箇所はヘンゼルとグレーテルの爆撃によって簡単に破壊される程に脆くなっている。
それでも、致命的なダメージにはならない。それほどまでの巨体。あまりにも今までの敵とは規模が違い過ぎる。
アリスも先程からずっと致命の大剣を使ってはいるけれど、脚を破壊する事は出来ていない。効いていない訳では無い。スケールが違い過ぎて、破壊力が足りないのだ。
「まだ、今なら倒せる……ッ!! どうにか、どうにかしないと……ッ!!!」
今はまだ完全体では無い。アリス達魔法少女の襲撃のタイミングが少しだけ早かったので、巣の完成手前でアトラク=ナクアは覚醒をする事となった。現在進行形でアトラク=ナクアは編み込まれている最中であり、完全な覚醒には至っていないのだ。
アリスの致命の極光ですら貫く事が出来ない程に堅いのだ。アトラク=ナクアが完全に覚醒してしまえば、誰も手を付けられなくなる。
「何か、何か方法を……ッ!!」
アリスが超時間致命の極光を放ち続ければ、脚の切断は可能だろう。幸いな事に、アトラク=ナクアや灰色の織り手は遠距離攻撃をする事は出来ない。空を飛べるアリスは完全にフリーな状態で戦う事が出来る。
だが、残りの七本は? 神核が在るであろう本体は? 脚一本を落すのにどれだけの時間が掛かるのか分からない。その間に脚一本以外が完成してしまえばアリスであっても手が付けられない状況になる。
本体を攻撃しに行く事も考えたけれど、アリスが本体を攻撃している間に脚による被害を防ぐ事が出来なくなる。脚一本で地面が割れ、街に甚大な被害が広がる。たった一歩で地震が起き、それが世界中で発生する。
「キヒヒ。アリス、まずいよ」
対応を考えあぐねていると、いつの間にか肩に乗っていたチェシャ猫が常には無い深刻な声音で報告をする。
「どうしたの!?」
「キヒヒ。頭部が捕食を始めたらしいよ」
「――ッ!!」
アトラク=ナクアの頭部が捕食を始めたと言う事は、その分のエネルギーが身体の構成に使われると言う事だ。つまり、完全覚醒までの猶予が短くなったという事。
このままだと、星を喰らい尽くされて終わってしまう。
そんな事は絶対にさせない。けれど、現状のアリスにそれを阻止する手立てはない。
考えろ。考えろ考えろ考えろ。
あの時、海上都市でアリス・エンシェントの本当の力を自覚した時。その時は、どうしていた? 完全に憶えている訳では無いけれど、薄っすらと記憶はあるはずだ。
あの時は、自分の記憶を見ていた。その忘れていた記憶自体は憶えている。こんな事思いたくはないけれど、いじめられていた自分の過去。
それを思い出して、それで――
「……扉」
――そう。扉の前に立っていたはずだ。
「アリス……?」
心配そうなチェシャ猫の声は、今やアリスの耳には届いていない。
あの時。五つの錠によって閉ざされた扉を見た。上二つは既に鍵が刺さっていて、残る鍵穴は三つ。
自分はそれを、あの時は開けなくても良いと思った。いや違う。開けたくないと思ったのだ。あの扉を開ける事に、言い様の無い不安を感じたから。
けれど、そうは言っていられない。あの鍵を一つ開ければ、アリスは今以上に強くなれる。その確信がある。
アリスにとって、思い出す事が鍵になるのであれば、今この場で思い出さなければいけない。
向き合わないといけない過去。自分が何者であったのか。自分が何者になったのか。
『もう分かるでしょう? 箍は外れている。そこから漏れ出る記憶を手繰り寄せれば良い。』
気付けば、あの時と同じ扉が見える。決して開けてはいけない巨大で豪奢な扉。五つある鍵穴の内、記憶の通り二つは開錠されている。残りは三つ。
前回は、拒んだ。だって、開けてはいけないと思ったから。それに、アリス・エンシェントの力を十全に発揮できたから。あの時は、それで良かった。
でも、今回は駄目だ。新しい力が必要なのだ。この状況を打開できる、新しい力が。自分に価値は無くとも、他の誰かに価値がある事をもう充分に分かっているから。
意識を過去に向ける。遠い遠い過去。扉から漏れ出た記憶の糸を手繰り、アリスの意識は遠い過去に誘われる。
この世界の誰も知らない。アリスだけの過去。その、一欠片。




