異譚36 終焉の虫
旧支配者アトラク=ナクアの真実を知る者は数少ない。それこそ、全宇宙でたったの数体と言っても過言ではない。
長い間宇宙を放浪したヴルトゥームもその真実を知らなければ、海底に眠る都市に住む少年も、胡散臭い訳知り顔のエイボンも知らない。
誰も彼も、アトラク=ナクアが何故巣を作るのか、巣を作った先で何が起こるのかを知らない。
「つまりまぁ、此処に居る全員が歴史の目撃者であり、真実を知る者達となる訳だけど……どうしてその真実が語られないか、君は分かるかい?」
『馬鹿にしているのですか? アトラク=ナクアの巣の完成は即ち世界の終焉です。世界が終わればそれまでです。語り部が消え去るのですから、真実が語られないのも当然です』
「小さくなっても頭脳は変わらない、か。ちょっと子供っぽくなったから、子供らしい返答かなって思ったけれど、違ったようだね。ともあれ、同じ旧支配者としては君の息災は素直に喜ばしいよ、ヴルトゥーム」
『心にも無い事を……』
鉢植えに植えられた元旧支配者ヴルトゥームは、その美しい顔を不快そうに顰める。
自身の目前に座る女――なのかどうかも怪しいけれど、女性的な身体付きだし、赤いドレスを着ている以上は女なのだろう。いや、多様性の世の中だ。男が赤いドレスを着ていて、身体も手術をしたという事もある。
正直どちらでも良い。顔は子供がクレヨンで描いた落書きのように黒い靄で覆われているので判別も出来ないし、ヴルトゥームにとっては目の前の存在が男か女かなんてどうでも良い事だ。
どっちにしたって、自分が殺される事に変わりはないのだから。
『最初から気付いていて、私を泳がせましたね?』
「そうだよ。君に出来る事なんて高が知れてるからね。泳がせたところで、私には何の不都合も無い。それでも、余計な事は喋って欲しく無かったからね。少しアンテナを張ってはいたよ」
アンテナを張っていた。という事は、ヴルトゥームが朱里に情報を開示していた事も知っているのだろう。
『……ロデスコを殺すのですか?』
「まさか。君が開示した情報は許容範囲内だ。それに、今まさに危機的状況だからね。どう転ぶか楽しみだよ」
表情は伺えないけれど、彼女がいやらしい笑みを浮かべている事は想像に難くない。
「彼女の事はさて置き、だ。君はこの後何が起こるか分かるかい?」
『星間重巡洋艦が在れば計器を使っての予測は出来たでしょうが、この姿ではとんと分かりかねます。……と、言いたいところですが、曲がりなりにも神だった私です。小さな頭で考えた予測で良ければお話しましょう』
「どうぞどうぞ。聞かせてくれたまえよ」
赤い服の女は話を聞く姿勢を取り、手ずから入れたコーヒーを優雅に口に運ぶ。勿論、朱里の買ったコーヒーを勝手に飲んでいる。
『私の予測では、彼等が編んでいたのは巣ではありません』
「ほう? ではなんだと?」
赤い服の女の問いに、ヴルトゥームは勿体ぶったように間を空けてから答える。
『神です』
アリスは上空から何度も致命の極光を放つ。だが、致命の極光は巣に大きな窪みを作るだけで大きなダメージを与えてはいなかった。
強固にして堅牢。アリスの致命の極光すら防ぐ巣に、他の魔法もまた痛痒すら与えられてはいなかった。
致命の極光を放ち続ければ何とか巣の破壊は可能だ。だが、残り七ヵ所に加えて本体も倒さなければいけない。
この巣が完成しきる前に、なんとかしなければいけない。
アリスが見たのはアトラク=ナクアの真実。誰も予想し得ない、アトラク=ナクアの本当の姿。
アトラク=ナクア、チィトカア、灰色の織り手。彼等が巣を作っていた本当の理由。あれは、巣では無い。
蜘蛛達が編んでいたのは、一柱の神。
糸は細胞であり、蜘蛛は細胞を増殖させる装置。決められたデザイン通りに巣を編み、決められた形を作っている。
亀裂に編まれた巣は形を作り、ゆっくりとその脚を持ち上げる。
亀裂が細いから衛星写真で見ても気付く事が無かった。それは、よくよく見てみればとある形をしていた。
八本の長い脚。細長くも、腹部の膨らんだ胴体。歪ながらも、その形は確かに蜘蛛を模っていたのだ。
八体のアトラク=ナクアは脚の亀裂に陣取っていた。それは、神核のある胴体から遠ざけるためだ。アトラク=ナクアを倒せばそれで終わり。ヴルトゥームの時と同じ要領で戦えば良い。アトラク=ナクアを倒せば全て終わる。そう思っていたからこそ、見事にその誘導に引っ掛かってしまった。
「――ッ。間に合わない……!!」
編み込まれた脚はゆっくりと、その重く巨大な身体を持ち上げる。
八体のアトラク=ナクアは旧支配者アトラク=ナクアの手足であり、アトラク=ナクア本体では無い。
編み込まれた巨大な身体こそ、アトラク=ナクアなのだ。
語る者が居ないのは、誰も知らないからだ。語る者が居ないのは、目撃者が消えるからだ。
アトラク=ナクアの正体。それは、惑星を食らって渡る害虫。
数多の卵が隕石に乗り流星群となって惑星に降り注ぎ、孵化の時を待つ。
そうして孵った蜘蛛が地中で数を増やし、ゆっくりと、着実に巣を広げていく。
亀裂として現れる頃には、巣は広がりきっており、アトラク=ナクア完成まで秒読みの所まで辿り着いてしまっている。
編み込まれたアトラク=ナクアは星を食らう。星を食らい、星を構成する核を食らい、核のエネルギーを蓄え星が消えた後に無数の卵を宇宙へ生み放つ。産み放たれた卵は途方も無い旅を続け、次の星へと宇宙を渡る。
無数の卵は産宙を放浪し、次の惑星に産み付けられ、巣を編み、惑星を食らい、また卵を宇宙へ産み放つ。
アトラク=ナクアはそうやって宇宙を渡る。この惑星だけでは無い。他の惑星にもアトラク=ナクアは存在している。
一本の脚が一歩を踏みしめる。それだけで地盤を砕き、文明を破壊する。
惑星を喰らう終焉の虫。それこそが、旧支配者アトラク=ナクアの本当の姿。




