異譚20 亀裂
旅行を終え、疲れた身体で帰宅する朱里。遊ぶだけとは言え、遠出は疲れるものだ。
「はぁ……ただいまぁ」
『お帰りなさい』
荷物を放り、ベッドに倒れ込む朱里。
ヴルトゥームの返事に返す事無く、朱里は深く息を吐く。
『どうです? 休暇は楽しめましたか? この私を置いて行っての休暇は』
「アンタを連れてける訳無いでしょうが」
拗ねたように言うヴルトゥームだけれど、本人も自分を連れて行けない事は承知の上だ。だが、それとこれとは話が別だ。
神核が無くなり、もう神様では無いヴルトゥームの思考回路は人間に近しいものとなっている。そのため人並みの感情に振り回されて、理にかなわない事を言ってしまう事がある。以前の自分であれば在り得ない事だ。
『分かってますよ。私は新しい友人達と一緒に楽しくお留守番をしていたので、別に寂しくなんか無かったですし。ええ、置いて行かれた事なんて、微塵も気にしていませんとも。ですよね、ニーナ、アレキサンダー』
鉢植えの中段と下段に植えられたサボテンにそう声を掛けるヴルトゥーム。旅行前に、ヴルトゥームの鉢植えの中断と下段が空いている事を思い出し、そこに入る大きさのサボテンを二つ買って来たのだ。
サボテンであればそうそう枯れる事は無いだろうと思って買って来たのだけれど、ヴルトゥームが居るのだから枯れる心配などはしなくても良かったのだと後になって気が付いた。
『浮気ですか? この私が居ると言うのに、もう別の植物に浮気をするのですか? 完全無欠な植物であるこの私が居ると言うのに、どうして浮気をしようだなんて思うんですか?』
サボテンを買って来た当初はそのように憤慨していたけれど、朱里が旅行に行っている間に仲良くなったのか、以前のように憤慨した様子は無い。
朱里がサボテンに名前を付けた訳では無いので、ヴルトゥームが自分で名前を付けたのだろう。いや、植物と会話が出来るヴルトゥームであれば、植物自身から名前を聞き出した可能性もある。
「ちゃんと仲良くしてるようで安心したわ」
『ええ。この鉢植えの支配者が誰であるか、懇々と教え込みました。彼女達の私への呼称も『ぶるとぅーむさま』に統一しました。IQが低いので思念が少し幼稚ですが、まぁ仕方ないでしょう。地球産の植物などその程度です』
偉そうにふんぞり返るヴルトゥームに、思わず呆れたような視線を向けてしまう朱里。
「……ま、アンタが楽しそうで何よりだわ」
言いながら起き上がり、朱里は鞄の中からペットボトルの水を取り出す。取り出された水は地方でのみ販売している名水。目に付いたものを幾つかヴルトゥームへのお土産に買ってきていたのだ。
「はいこれ、お土産。アタシは違いとか分からないから、あんまし期待しないでよ」
『お土産! その文化、漫画で読みました。ありがとうございます。味より何より、その気遣いが私にはとても嬉しいです。ニーナとアレキサンダーもそう言っています』
「あらそ」
中々人間臭い事を言うヴルトゥームに少しだけ感心しながら、朱里はヴルトゥームの鉢植えの近くに買って来た名水を並べる。やはり、以前戦った時のヴルトゥームとのギャップを感じずにはいられない。
『このお土産で全てを許しましょう。私は貴女の観葉植物であると同時に、全てを許せる心を持つ寛容植物なのです』
「ちょっと何言ってるか分からないわ」
『嗚呼、水道水でも無く、飲みなれた天然水でも無い……のか……? あまり分かりませんね。美味しい事は分かるのですが……え? ちょっと深みが違う? 喉越しも? 貴女達に喉は無いでしょう?』
早速名水を空けて飲むヴルトゥーム達。そのまま楽しそうに会話を始めたので、朱里は再度ベッドに身体を預けた。
疲れが溜まっていたのか、気付けば眠りについてしまった。
眠った朱里を見て、ヴルトゥームは思念の声を朱里に聞こえないようにした。戦士の休養を邪魔するつもりは無い。これから先の事を思えば、尚更である。
『次は……どうなる事やらですね。ま、頑張ってください。か弱き花では、もうどうする事も出来ませんので』
〇 〇 〇
楽しい楽しい旅行が終れば、またいつもの日常が戻って来る。
良いリフレッシュにはなったのか、少女達の張り詰めていた空気は幾分か柔らかくなり、訓練に熱は入っているものの焦燥からくる打ち込みでは無くなった。
無理な打ち込みでは身体を壊す。そうなってしまえば元も子もない。
そうならないための休暇だったけれど、上手く行って良かった。
以前よりも明るくなった少女達の顔を見て、こっそり笑みを浮かべる朱里。
責任感は大事だし、強くなりたいという気持ちも大事だ。朱里だってその気持ちは持ち合わせているし、その気持ちを否定する事は無い。
だが、何事も限度が大事なのだ。適度に肩の力を抜く事もまた、強くなるのに必要な事の一つである。
いつも通りの日常だけれど、メリハリの付いた訓練の様子を見て思わず安堵する。こちらが心配になるくらいには、誰もが訓練に没頭してしまっていた。
ほっと一安心。これから、気持ちを切り替えて強くなっていこう。
そう思った矢先――
――世界に、亀裂が走った。




