異譚2 居候
優雅に栄養剤を呑み、伸ばした蔓でクッキーを割り、小さくしてから自身の口に運ぶ。
朱里の部屋であるにも関わらず、悠々自適に過ごすヴルトゥームを見て、朱里は一つ溜息を吐きながら制服から部屋着に着替える。
『あ、タブレット端末お借りしますよ。少し調べものをしたいので』
「勝手にして。あ、変なサイト踏まないでよね」
『踏んでも大丈夫ですよ。私の知識と技術があれば、サイトの主に百倍返しが出来ますので』
「アンタ、潜伏してるんだから派手な事ダメなんじゃ無いの?」
『この程度であれば大丈夫ですよ』
たたたっと蔓を使ってタブレット端末を操作するヴルトゥーム。
あの日と同じように調べものをするヴルトゥームを見て、朱里はヴルトゥームが来た日の事を思い出す。
葬儀を終えて、安心できる家に帰って来れたと思ったら、デスクの上に陣取るかつての強敵。
一瞬の思考停止。しかし、即座に赤い靴を出現させ、魔法少女に変身しようとする。
『お待ちください。こちらに敵意はありません』
「それを信じられる訳無いでしょうが……!!」
かつて殺し合った間柄だ。ヴルトゥームに至っては、世界を支配しようとすら企んでいた。そんな相手の言葉を素直に信用できるはずが無い。
『此処で変身をすれば、貴女も困りますよ? 此処は貴女の自宅ですし、それに、貴女は貴重な情報源を失う事になりますよ。私の性能は見たままです。殺そうと思えば、変身せずとも殺せます。私を殺すよりも、私から情報を聞き出す方が貴女にとっても有益です』
淡々と状況と朱里の損益を語るヴルトゥーム。前回同様に淡々とした語り口調ではあるけれど、前回には無かった焦りが見受けられる。
その姿はまるで命乞いをしているように思えた。
それに、ヴルトゥームの言う通り、ヴルトゥームからはかつての脅威を感じない。魔力がかなり薄い。それこそ、異譚侵度Dの異譚生命体よりも薄い。ともすれば、チェシャ猫と同じくらいには弱々しい。
何を企んでいるのかは分からないけれど、確かに朱里には知りたい事が山ほどある。その答えをヴルトゥームが持っているのであれば、この場で殺すのは早計なのかもしれない。
「……良いわよ。ひとまず、アンタの話を聞こうじゃない」
『ありがとうございます。ですが、その前にお願いが一つ』
「何よ?」
『お水を貰っても良いですか?』
『ああ、ああ! カルキ臭い! 何ですかこの水は!? ぺっ、ぺっ! 臭すぎて吐きそうでオロロロロロロ』
水くらいならあげても良いかと思い、水道水をコップに入れて上からかけてやったけれど、カルキの匂いに耐えられなかったのか、何やらキラキラとした物体を嘔吐するヴルトゥーム。
『なんですかこれは? 拷問ですか? 貴女が私を信用していないのは分かりますが、無抵抗の相手にこんな酷い事をするなんて幻滅しました』
「どの口が言ってんのよ」
『ああ、ああ! 土まで臭くなってしまったじゃないですか! 土を変えてください! こんな臭い所に居られません! それに、上質な鉢植えを要求します! 簡易的にこの入れ物を使っていますが、小さい上に質が悪いです!』
「って、それアタシのマグカップじゃない! お気に入りだったんだけど!?」
よく見やれば、鉢植え代わりに使っていたのは朱里が大切に使っていた赤色のおしゃれなマグカップだった。長く愛用している物だから愛着もある。それを何処で拾って来たかも分からない土を入れている上に、理解不能な怪生物が使っているのだ。
警戒や慎重さが一瞬で無くなり、朱里はヴルトゥームを乱暴に掴んで引っこ抜く。
『きゃあっ。何をするのですか! 今の私は神核を失い、ただ綺麗なだけのひ弱な花なのですよ? 愛玩植物のように丁重に扱ってくだ――ちょっと! そこゴミ箱ですよね!? 止めてください! この私をゴミ箱に入れようだなんて酷いです!』
「黙りなさい雑草。アンタなんてゴミ箱で充分だわ」
『や、やめ……ちょっ、本当に入れようとしないでください! あ、謝りますから! ごめんなさいごめんなさい!』
ゴミ箱に突っ込もうとする朱里を見て、慌てて謝るヴルトゥーム。
『本当にひ弱な植物に成り下がっているのです! 今もかなり衰弱していますし、安定して休める場所が必要なのです! 貴女の愛用のマグカップを使った事は謝ります! ですからゴミ箱に捨てるのはおやめください! 尊厳が、旧支配者としての尊厳が!』
尊厳破壊を目前に見た事無いくらい慌てるヴルトゥーム。これがあの時、命を削り合った相手だと思うと、なんだか残念な気持ちになる。
「……はぁ……もう良いわよ」
掴んだヴルトゥームをマグカップの中に戻す。
『ほっ……』
安堵したように息を吐くヴルトゥーム。
「はぁ……アンタ、本当にあのヴルトゥーム? てか、どうやって生き残ったのよ」
『先程申し上げた通り、私はか弱き生き物に成り下がりました。貴方に神核を砕かれ、神としての権能は消え去りました。どうか、丁重に扱ってください。すぐ死んじゃいますので。ああ、生き残った方法は貴女に殺される直前に私のクローンである種を幾つか遠方に飛ばしたのです。ですので、あの時戦った記憶は有していますが、厳密にはあの時の私ではありません』
「もっとくまなく探さきゃいけなかった訳ね……」
『種は小さく、魔力も殆ど無いので探知が出来なくとも仕方ないですよ。まあ、あまりにも脆弱なので私以外は発芽出来ませんでしたが』
種子を飛ばすのはヴルトゥームとしても賭けではあった。複数の種子を飛ばしても、発芽する可能性は殆ど無かった。鳥に食われ、海に落ちて藻屑となり、車に轢かれたりもした。
このヴルトゥームは運良く森の中に落ち、運良く発芽までの数日間に天敵に食べられる事も無かった。そうして発芽して、這う這うの体でこの街に戻って来たのだ。
「アンタにフォローされてもね……まあ良いわ。とりあえず、鉢植えと土、植物用の栄養剤を買って来れば良いかしら?」
『土、腐葉土、肥料、天然水、栄養剤。それと……』
「それと?」
『私のプライベートルームをお願いします。やはりプライベートな空間は大事ですので』
「図々しい事言うな居候」
それだけ言い捨て、朱里は財布と携帯端末を片手に家を出た。
『いってらっしゃいませ』
家を出ても頭に響くヴルトゥームの声に、朱里はまた一つ溜息を吐いた。




