異譚1 傷痕
新章開始です。頑張ります。
大切な仲間を失っても、世界は変わらず回り続ける。
異譚の復興も終わり、生き残った各々がそれぞれの生活を過ごす。
そしてそれは、当事者であったアリス達も変わらない。
瑠奈莉愛を失っても、アリス達は自分の人生を過ごさなければならない。喪失に痛む心を抱えながら、居なくなった事を実感しながら、それでも前に進んでいく。
学校に行き、放課後には対策軍に向かい、強くなるために訓練をする。
皆、それぞれ思う所があるのか、最近はいつも以上に訓練に熱が入っているように思える。特に、イェーガーはあの日の事で責任を感じているのか、熱心に訓練に取り組んでいる。
あの異譚は、誰が悪いわけでもない。異譚が発生した時点で瑠奈莉愛の家族は全員異譚支配者となっており、彼女達を助ける手立てはその時点で皆無だった。
だが、瑠奈莉愛だけは救えたかもしれない。あの時、瑠奈莉愛が赤い服の女から鍵を受け取るのを阻止出来ていれば、瑠奈莉愛が異譚支配者に成る事は阻止できた。
その思いが強いからこそ、熱心に訓練に取り組んでいるのだ。
責任感というより、もう二度と後悔しないために力を付けたい、という気持ちが芽生えているのだろう。
程度は違うけれど、全員が心に傷を負い、全員が異譚に対する姿勢が変わっていった。
「だぁっ……疲れたぁ……」
訓練後、シャワーを浴びてからカフェテリアに向かい、大きなビーズクッションに身体を沈めるように倒れ込む珠緒。
通常メニューの量を増やし、自分に足りないモノを補うための訓練を取り入れた。
「この程度で音を上げるだなんて、だらしないわねぇ」
ビーズクッションに顔を埋める珠緒の頭の上に、経口補水液の入ったペットボトルを置く朱里。
「うるへー……」
疲れ果てているのか、ろくに悪態も付かない珠緒。
「ストローくれよ」
「起きて飲みなさいよ」
寝そべったまま飲もうとした珠緒だけれど、朱里に言われてもぞもぞと起き上がろうとする珠緒。
しかし、珠緒が起き上がる前に突然ペットボトルのキャップが開き、空中に現れたストローがすっとペットボトルに入れられる。
突然の事ではあるけれど、特に驚く事は無かった。
「あんがと」
誰がストローを入れてくれたのかなんて考えなくとも分かる。
お礼を言いながら、起き上がる事無くストローを咥えてずごごっと勢いよく飲む。
「甘やかすんじゃ無いわよ」
「甘やかしてない」
珠緒を甘やかした犯人――アリスを見やる朱里。
アリスも訓練を終えてシャワーを浴びたのか、微かに石鹸の香りがする。本来、アリスはシャワーを浴びる必要は無い。魔法を使えば一瞬で清潔な身体を保つ事が出来るのだから。
だが、魔法で全て片付けるより、しっかりとシャワーを浴びた方が心身共に疲れを癒せるわよ~と笑良に言われたので、自身の私室に向かってシャワーを浴びてみたのだ。
確かに、魔法で清潔にするよりもリラックスは出来た。
アリスは珠緒の隣に同じようなビーズクッションを作りそこに座る。
「むふー」
リラックスしたように息を吐いて、経口補水液を呑むアリス。
「キヒヒ。皆ダメになっちゃうね」
そして、いつの間にか姿を現したチェシャ猫が、アリスの乗っていない部分に座ってリラックスする。
「……アタシのも用意してちょうだい」
珠緒程疲れてはいないけれど、まったく疲れが無いわけでは無い。朱里はアリスに自身にも同じようにビーズクッションを出すように言ってからキッチンに向かう。
「ええっと……バナナ、ヨーグルト……あっ、おにぎりあるじゃない。後はオレンジジュースとプロテインね」
運動後の食事を三人分用意して、朱里は二人の所に戻る。
「はいこれ。きついかもしれないけど、少しでも食べておきなさい。プロテインだけでも良いから」
「んー……」
疲れ果てていてあまり食指が動かないけれど、朱里が用意してくれた食事に手を伸ばし、頑張って少しずつ食べる珠緒。
いつもだったら反発して、憎まれ口の一つや二つは言うけれど、今回は珠緒の方からお願いしているので、憎まれ口を叩く事も無い。
射撃の腕は珠緒の右に出る者はいない。その自負はある。
だが、近接戦はまだ拙い。雑魚相手であれば問題は無かったけれど、相手が異譚支配者、それもより人間に近い戦い方をする人型となれば、珠緒は苦戦を強いられる事になる。
自分の弱さを助けられなかった事の言い訳にはしたくない。
だから、珠緒は朱里に頭を下げて近接戦の訓練をお願いしたのだ。現状、近接戦闘で一番強いのは朱里である。戦い方に違いはあれど、近接戦最強の朱里と模擬戦を繰り返し、トライアンドエラーを繰り返す事で今よりもっと強くなれるはずだ。
アリスにも同様に訓練の手伝いをして貰った。フィールドを用意して貰ったり、多対一の近接戦の練習をしたりと、今日一日だけではなく、ここ最近はずっと二人と訓練をしている。
自身が嫌っている朱里に頭を下げてでも、珠緒は強くなりたかった。もう二度とあんな思いをしないために。
それに、瑠奈莉愛を殺して、ようやくアリスと朱里の覚悟が分かった。
どうしようもない程苦しくて、どうしようもない程の後悔が心中で渦巻いている。こんな気持ちを一人で抱える覚悟を、二人は戦っている時から、いや、それよりもずっと前から決めていたのだ。
珠緒だって、こんな思いを他の誰かにして欲しいとは思わない。それが苦楽を共にした仲間であれば尚更だ。二人が自分達だけで責任を抱えようとした理由も今なら分かる。
もぐもぐとおにぎりを食べながら、気付けば珠緒はうとうとと舟をこぎ始めてしまっていた。
疲労が溜まっていたのか、珠緒はそのままおにぎり片手にすやすやと眠ってしまう。
おにぎり片手に寝落ちしてしまっている姿を、後からカフェテリアに戻って来る面々に写真に撮られているだなんて思いもよらず、珠緒はすやすやと気持ちよさそうに眠る。
そんな珠緒にブランケットをかけてあげながら、アリスも疲れた身体を休めるためにビーズクッションに深く身体を預けた。
珠緒達のように、少しだけ身体を休めた後――朱里が帰る時まで珠緒は爆睡していたけれど――朱里は他の面々より早く帰途に付いた。
家に帰り、慣れ親しんだ自室に入る。
『お帰りなさい。今日は早かったですね』
その瞬間、音を介さずに脳内に直接言葉が届く。
「はぁ……」
その声が届いた途端、朱里は深々と溜息を吐く。
『それにしても、地球産の栄養剤は美味しいですね』
朱里の溜息など気に留めた様子も無く、声の主である絶世の美女の形をした小さな植物はお人形遊びで使うようなサイズのコップに入った植物用の栄養剤を優雅に飲む。
彼女は元異譚支配者・ヴルトゥーム。朱里やアリス達魔法少女と死闘を繰り広げた人類の敵である。




