カム・チェウォンの一日
チェウォンの一日は早い。朝早くに起床し、日課であるランニングを行う。家にランニングマシンは置いてあるけれど、雨天の時くらいしか使わない。
朝独特の冷たい空気の中を走るのが好きだ。移ろう景色も、少しだけ顔を覗かせた朝日も、自分と同じく早くに犬と散歩をしている人も、清々しい朝を彩っている。まさに清々しい一日の始まりにうってつけなのだ。
それから家に帰ってシャワーを浴びて汗を流す。朝食にエビ粥を作り、ネットニュースに目を通しながらエビ粥を食べる。
見ているニュースは主に世界で発生した異譚についてだ。職業柄、手柄を上げた人物やどういった異譚だったかは常にチェックしておきたい。手柄を上げた人物がどういった戦い方をするのか、それが自分に合うのかを確かめる。強くなるためには常日頃の鍛錬を怠らない事と他者の優れた部分を吸収する事が重要だ。日々鍛錬。少しでも強くなれるように、努力は惜しまない。
朝食を終えると、そろそろ起床している頃であろう異国の友人――春花にメッセージを飛ばす。
『おはようございます。こちらはとても清々しい朝です。朝食にはエビ粥を食べました。日本で言うお粥のようなもので、韓国では一般的で健康的な朝食です。貴方は朝食をあまり食べないと聞きましたが、お粥であれば食べやすいかもしれません。朝食は一日の原動力です。朝に食べるのが苦手でも、少しでも良いので食べてみてください。後でレトルトの詰め合わせを送ります。気に入る味があれば幸いです』
たたたっと慣れた手付きで長文のメッセージを送るチェウォン。チェウォンとしては普通の事なのだけれど、以前に同僚であり友人のジアンとユナに進展はどうかと良く分からない事を聞かれた際に、仲良くはしていますと伝え、特に恥ずかしい事でも無いので二人にメッセージの履歴を見せたところ――
『日記か』
『いや手紙だろ』
『有栖川くん二言三言しか返してないじゃん』
『返って来るだけ良い方じゃねぇか?』
『それもそうか。てか、内容お母さんみたい……』
『確かに。……チェウォン、あいつの身体労わってばっかだな……』
――と、散々な言われ様だった。
確かに、身体を労わるような内容は良く送っている。
今日は日本の天気が崩れているようだから風邪をひかないようにだとか、季節の変わり目だから風邪をひかないようにだとか、あまり食べてないようだからしっかり食べないと身体にエネルギーを補充出来ないとか、菓子パン一つでお昼を済ませるものじゃないとか、それはそれは身体を気遣った内容を送っている。
だが、それは友人として春花の身体が心配なだけだ。プールに行った時に腕を掴んだけれど、かなり細かった。それこそ、心配になるくらいだ。
友人として心配なので、少量でも良いので健康に良い物を食べるようにと口を酸っぱくして伝えている。身体が栄養を摂取しにくい体質なのかもしれないけれど、であるならば少量で少しでも栄養価が高い物を食べるべきだ。
理路整然と二人に反論をしたチェウォンだけれど、二人は顔を見合わせた後に処置無しとばかりに肩を竦めるだけだった。
なんだかイラっとしたので二人の訓練メニューをいつもより過酷なモノにした。ずっとひーひー言っていたので多分喜んでいたのだろう。独特な鳴き声なのだきっと。
閑話休題。朝食を終え、学校へ向かうチェウォン。難関大学への受験を目指す学校なので、授業内容は難しい。それでも、勉強が嫌いでは無いので授業は楽しい。ジアンには珍しいタイプの人間だと言われたけれど、改めて周りを見てみると確かにそうなのかもしれないと思う。
勉強が好きというより、難関校を目指すために勉強をしている者も一定数いるように思える。親の影響だったり、将来の夢のために頑張っている。勉強は目的を達成するために必要なプロセスなだけであり、勉強そのものを楽しいとは捉えていない。
『貴方は勉強が好きですか? 私は好きです。自分の知らない事を知り、自分の知識を惜しげなく押し付けても文句を言わない。それどころか、点数といった明確な答えが返って来るのも良いところです。知識欲と達成感を満たせるので、授業を聞いているのは楽しいです。それを友人に言ったら、奇特な人だと言われました。貴方はどうでしょうか? 勉強でなくとも、貴方が夢中になれる事を教えて欲しいです。習い事を幾つかしてきたので、もしかしたら話が合うかもしれませんから』
自分は勉強が好きだけれど、一般家庭で生きる春花はどうなのだろうかと思い、またしても長文のメッセージを送る。
もし春花が楽器などが好きなのであれば、自分が履修していないものであれば習おう。あまり活動的な子では無いので、もしかしたら室内で行える遊びが好きなのかもしれない。ボードゲームに映画鑑賞。映画鑑賞であれば吹き替えや字幕があるので同じ内容を共有できる。それに韓国映画は面白い物が多い。こちらからおすすめをピックアップしておくのも良いだろう。
「ふふっ」
「なんか良い事あったの?」
「いえ、別に」
昼食の最中、突然携帯端末でメッセージを送ったと思えば、嬉しそうに笑みを浮かべるチェウォンを見て、一緒にお昼ご飯を食べていた友人の一人が声を掛けた。
「いやいや、明らかに良い事があった時の笑みだったよ? ねぇ、ほんとはなんか良い事あったんでしょ~?」
「無いです。ただ友人と連絡を取り合っていただけです」
「友人って、前に言ってた日本の男の子?」
「はい」
「え、なにそれ聞いてないけど!? 男の子!? しかも日本人!?」
もくもくと美味しそうにご飯を頬張っていたもう一人の友人が、驚いた様子で声を上げる。そこそこ大きい声で言うので、近くに居た人達が好奇の目をチェウォン達に向けて来る。
チェウォンは多少周囲の人の眼が気になったけれど、二人はお構いなしに続ける。
「え、い、いつ? いつ日本人の男の子と知り合ったの?」
「いつって、この間の我らがチェウォンが大大大大活躍した異譚の時に決まってるじゃん」
「止めてください。イギリスの魔法少女の方々にかなりお膳立てして貰ったんです。あの方達の実力であれば、私が居なくても勝ててましたよ」
「いやいやご謙遜なさるなって! チェウォンが強強レディだって、あたし知ってんだから! そのために努力を欠かさない事もね」
「ありがとうございます。自分の努力を褒められると、むず痒いですね……」
照れたように微笑むチェウォンに、彼女達の様子を見ていた男子達は思わず見惚れてしまう。
最近のチェウォンは表情が豊かになった。昔はいつも眉間に皺が寄っていたというのに、事在る事に笑みを浮かべるようになったのだ。
元々人気があったけれど、近寄りがたい雰囲気が抜けて来たからか、最近は更にその人気に拍車がかかっている。
「って、こっちの話が終わってなーい! 日本男児とお友達って本当なの!?」
「はい。本当ですよ。ほら」
言って、チェウォンは友人に携帯端末の画面を見せる。見せるのは、プールに行った時に二人で自撮りをした時の写真だ。何やら自撮りという文化があるらしく、試したいと言ったチェウォンに春花が特に何も考えずに了承したのだ。
「ほうほうどれどれ~。このわたしが審査してや、ろ……」
「どうしました?」
チェウォンの携帯端末を見た友人は、何故だか黙り込んでしまう。そんな友人の姿を見たもう一人の友人は、分かる分かると何度も頷く。
「これ、この映ってる子……だよね? そうなの?」
「はい。私の隣に映っている子が、私の友人の有栖川春花です」
「これ、男?」
「正真正銘男子です」
「はぁっ!? めっかわか!? 人類の神秘詰まって無いか!?」
「め、めっかわ?」
「めっちゃ可愛いって意味! 嘘、わたしより可愛い……細い、色白い……」
衝撃を受けたように呆然とする友人を前に、うんうんと頷いていた友人が慰めるように肩にぽんっと手を置く。
「分かるよ。可愛いが過ぎるよね。これで男子かって思うよね」
「いや可愛い過ぎるでしょ!! 傾国の美女も裸足で逃げ出すね!! いや、なんなら裸で逃げ出すよ!!」
「言ってる意味は分からないけど、楊貴妃もクレオパトラも小野小町も多分負けるね。ハットトリックってやつ」
「ハットトリックは三点獲得した人ですよ」
「それだけ衝撃って事さ」
「まあ、確かにハットトリックは凄い事ですね。それだけの衝撃だというのも、分かります」
実際、春花を見て本当に男なのかどうか疑った。
「はぁ……この人がチェウォンの良い人かぁ……」
「良い人では無いです。友人ですよ」
「友人、ねぇ……」
疑わしそうな視線を向ける友人二人。
二人は互いに視線を合わせた後、納得したように頷く。
「ま、良いわ。んでんで、その子とどんな話するの?」
「それは気になる。日本のトレンドとかも興味あるし!」
「特に特別な事は……こんな感じで、日々あった事を話しています」
そう言って、メッセージの履歴を見せるチェウォン。
その履歴を見た瞬間、二人が『『日記か。いや手紙か?』』と言った事は今でも納得は行っていない。
友人達と楽しく学校生活を送った後は、対策軍に行って訓練と異譚についての意見交換、魔法少女ごとの能力を考慮したトレーニング内容の再編などを行う。
一通りの訓練をこなし、端末と向き合ってチームの訓練メニューを考える。今まで通りでも良いかもしれないけれど、少し特殊なメニューを加えても良いとも考えている。
「あんまし根詰め過ぎないでよ。体調崩したら元も子も無いんだから」
チェウォンが端末とにらめっこしていると、ジアンがコーヒーをデスクに置く。
「ありがとうございます」
暫く端末とにらめっこをしていたので、小休止には丁度良いだろう。
コーヒーを飲みながら、適度に糖分を取るためにジアンが一緒に持って来てくれたお菓子を食べる。
「訓練メニューの再編?」
「はい。少し見直そうかと」
「そ。実戦訓練多めに入れる? ……って、こんな事聞いちゃ休憩の意味無いね。失敬失敬」
「良いですよ。一人で考えるよりも多角的な意見が得られるので」
「それじゃあ休憩の意味無いっしょ~。別の話しよう。彼とは最近どう? いっぱい話してる?」
彼、と曖昧に言われても分からない……という訳では無い。チェウォンの交友関係を考えれば、親しい異性など一人しかいないのだから。
「ええ。それはもう仲良くしていますよ。週に一度、通話もしています」
「ほーほー。良い感じに進展していますな~」
「はい。友人として、とても仲良くなれていると言っても過言では無いでしょう」
ジアンの言葉にチェウォンが得意げに返せば、ジアンは呆れたような笑みを浮かべる。
「あー……そだねー」
「む、なんですか。その物言いたげな顔は」
「別に~? チェウォンちゃんにはまだ早いお話だったなって話ですよ~」
「まだ早い……? 言っている意味がよく分かりませんが、馬鹿にされているのは分かります」
「馬鹿にしてる訳じゃ無いよ。その純真を忘れないで欲しいって気持ちが溢れ出てるだけ」
「……馬鹿にしてますよね?」
「してないって~」
うふふと笑うジアンを問い詰め続けたけれど、結局のらりくらりとはぐらかされてしまった。そこそこ話をしていたので、終業の時間となってしまった。当直でも無いので、チェウォンは訓練メニューの再編を翌日の自分に託して帰宅した。
お夕飯を食べ、お風呂に入り、さてそろそろ寝るかと言った時間。いつもだったらそのまま就寝するけれど、今日は違う。
ソファに座り、一旦鏡を見て自身の髪に乱れが無いか、服は綺麗かを確認した後、スタンドに置いた携帯端末を使ってビデオ通話を起動する。
「こんばんは、有栖川さん。今日も色々な事がありましたよ」
嬉しそうに、楽しそうに、笑みを浮かべるチェウォン。
その笑みを見れば全員が確信し、その笑みを見なくとも二人のメッセージのやり取りを見た者であれば確信するだろう。
そう。彼女の笑みの真実は――――ここで語るのは野暮、と言ったところだろう。




