異譚66 絶対に救う
「だめ。パレスは解かない」
アシェンプテルの答えを聞いて、イェーガーは落胆するでも憤慨するでもなく、ただ何となく納得出来てしまっていた。
いくらイェーガーが心の内をさらけ出したところで、優しいアシェンプテルは死に体のイェーガーを戦いに向かわせる訳が無い。
「……そうか。お前らしいや」
頷き。イェーガーは、空いた手に持った短銃をアシェンプテルの方を向ける。
「ちょぉ!? なにしとん自分!!」
「早まった真似はよせ!」
アシェンプテルに銃口を向けるイェーガーを見て、りぃちゃんとせりりんがイェーガーに制止の声を掛ける。
「安心しろ。殺す訳じゃない。ちょっと眠ってて貰うだけだ」
「そんなやり方をしたら禍根が残るだろ!」
「せやせや。それに、回復しきっとらんやろ? そないな身体で行っても何も出来ひんて」
「だとしても、やんなきゃなんねぇんだよ。こんなあたしにだって、譲れねぇもんがあんだからな」
会話をしながらも、イェーガーの眼はアシェンプテルを捉えている。
幸い、消耗しきっていても至近距離で狙いを外す程落ちぶれてはいない。
「イェーガーちゃん」
「なんだよ」
銃口を突き付けられているアシェンプテルだけれど、誰よりも冷静な表情でイェーガーを見ていた。
だが、直ぐにいつもの柔らかい笑顔に変わる。
「勘違いしないで欲しいんだけど~、イェーガーちゃんを行かせないって訳じゃ無いよ~」
銃口を向けるイェーガーに何の気負いも無く近付くアシェンプテル。
そして、自身に向けられる銃をゆっくりと降ろす。
「今のイェーガーちゃんが行ったところで、銀の弾列を一発不意打ちで撃って、反撃されて終わっちゃうでしょ~? だから、出来るだけパレスで回復してから行って貰いま~す」
アシェンプテルがそう宣言した直後、パレス中に楽器が出現する。
指揮棒が勝手に動き出し、楽器達は荘厳な音楽を奏でる。
「このパレスでの付与能力は、回復と魔力譲渡、強化よ~。付与対象はイェーガーちゃんだけ。ワタシの残った魔力の全てをイェーガーちゃんに注ぎ込むわ~」
奏でられる音は光の粒子となり、イェーガーに注ぎ込まれる。
「本来なら、パレスが解かれたら付与能力も消えてしまうわ~。強力な能力を付与する分、パレスが無ければ発動しない。シビアな条件だからこそ発揮される強力なバフだもの~」
耳にタコができる程聞いた灰被りの城の説明だけれど、アシェンプテルは『本来なら』と頭に付けている。
「今回は回復優先よ~。それと、パレスを解いても能力の付与が継続するようにしてるから、いつもよりは能力の上昇は抑えめよ~。だから、ね~?」
アシェンプテルはイェーガーの手を握る。ぎゅっと、包み込むように、温もりを預けるように、優しく握る。
「その先は、イェーガーちゃん次第よ~。ワタシには、万全の状態にちょっと色を付けて送り出してあげる事しか出来ないから~」
「……十分助かってる」
「でも、きっと護れなかった辛さはワタシ以上でしょ~? ワタシ達は、皆が傷付かないようにして、皆が傷付いたらその傷を癒してあげる事しか出来ないわ~。相手を打ち倒す力は持って無いもの、当然よね~。でも、イェーガーちゃん達は、誰かが傷付かないように敵を退ける力を持ってる。その力を持ってる分、実際に敵と対峙した分、護れなかった時の悔しさは、ワタシ達以上でしょ~?」
アシェンプテルの魔力がイェーガーに注ぎ込まれる。
みるみるうちに傷が治っていき、少なくなった魔力が満たされていく。
「そんな事……」
「無い~? ふふっ、もう分かってるくせに~。そんな訳無いわよ~。イェーガーちゃんがそう思い込んでるだけよ~」
イェーガーの治癒や魔力の譲渡をし続ける灰被りの城は徐々に光の粒子となって崩壊する。
アシェンプテルの銀色のドレスも徐々に消え去り、変身する前の私服が露わになる。
「イェーガーちゃんは、ず~っと前から、ちゃんと人を思いやれる子だって、ワタシは知ってるわ~。だからこうして、頑張れるんでしょ~?」
とうとう灰被りの城が跡形もなく消え去り、アシェンプテルも新田笑良に戻る。
「ねぇ、イェーガーちゃん。イェーガーちゃんに押し付けちゃって、本当にごめんなさい。でも、お願い。ワタシも本当の気持ちはイェーガーちゃんと同じなの。ヴォルフちゃんに誰かを傷付けて欲しく無い。だから、ごめんなさい。卑怯な事を言うけど……ヴォルフちゃんを――」
「言わなくて良い。そんな事、お前は言わなくて良い」
笑良の言葉を遮るイェーガー。
お願いという形で笑良はイェーガーと共犯者になろうとした。少しでも、イェーガーの気持ちが軽くなるように。少しでも、イェーガーの罪の意識が薄れるように。
でも、イェーガーだって、笑良にそんな事を言って欲しい訳じゃ無い。皆の気持ちが同じだと言う事も分かっている。
皆、ヴォルフと本気で戦っている。個々が思いと覚悟を内に秘めて、本気で立ち向かっている。
迷いも、罪悪感も、戸惑いもあるだろう。それでも戦うのは、本気でヴォルフを思っているからだ。
絶望の果てに、その道が間違いだと分かっていても、最後に残った自分にとっての微かな希望だけを選んだヴォルフを誰も責められない。その絶望を知っているのはヴォルフ本人だけだ。その絶望を理解できるだなんて、軽口だったとしても言えない。
だからといってヴォルフの行動を許容できる訳では無い。なにせヴォルフが捨てたモノが自分達にとっては護りたいモノなのだから。
本当は誰も傷付けたくないはずだ。今のヴォルフがどういう思考で動いているかは分からないけれど、異譚支配者になる前のヴォルフであったら、誰かが傷付く事を許容する訳が無い。
きっとこの考え方は自分本位なのかもしれない。自分達の知っているヴォルフのままで居て欲しい。優しく元気で明るいヴォルフのままで居て欲しい。そう思う事は、押し付けなのかもしれない。
ヴォルフにとっては家族が全てで、その全てが損なわれた今、この世界に未練は無く、壊した所で何も問題は無いと、本当にそう考えているのかもしれない。
けれど、それでも、やっぱりヴォルフには誰も傷付けて欲しくは無い。
例えそれがエゴだとしても、少しの間とはいえヴォルフと一緒に過ごしたイェーガーの答えなのだ。
「お前の覚悟は十分伝わってるよ」
覚悟が無かったら、ヴォルフを殺すと言っているイェーガーを万全の状態に回復させたりはしない。それに、回復だけして知らん顔が出来る程、笑良は無責任ではない。
「あいつの事は任せろ。あたしがケリをつけて来る」
「うん。ヴォルフちゃんを、どうかお願いね」
「ああ。悪いけど、こいつを頼む」
「ああ、任された」
「任しといて~」
頷き、りぃちゃんとせりりんに笑良を託すと、イェーガーは踵を返してヴォルフの元へと走り出す。
もう迷わない。自分は、ヴォルフを――
「絶対に救う」




