異譚63 弱さを認める時
「確かにアタシも言い過ぎた感じはあるけど、全部ってのは違くない?」
その場に座り、アリスの胸の中で泣き続ける珠緒。そんな珠緒の背中を出来るだけ優しく撫でながら、アリスはロデスコに返す。
「ロデスコがいっぱい言った」
「アタシがしたのは心得的な話でしょ? それが積りに積もったとしても、止めはアンタだから。比率は半々ってところじゃない?」
「一対九」
「一応聞くけどどっちがどっち?」
「一が私」
「ざけんな。半々よ。アンタとアタシが教育係。責任は等分されるわ」
「でもロデスコが悪い」
「いやアンタも悪い」
二人は泣いている珠緒を放っておいて責任の所在を押し付け合う。
「キヒヒ。帰りが遅いと思ったら、こんなところで何をしているんだい?」
いつの間にかアリスの頭の上に現れる、三日月のようなにんまり笑顔を浮かべる猫――チェシャ猫は、アリス、珠緒、ロデスコの順番に視線を巡らせる。
「キヒヒ。ピクニックかい?」
「んな訳無いでしょ」
「ロデスコが新人を泣かせた」
「キヒヒ。ロデスコ酷いや」
「ちょっと! アタシだけの責任じゃないでしょ!?」
「キヒヒ。可哀想にね」
アリスの頭から降りて、チェシャ猫は珠緒の頭の上に座る。
「泣いてる奴の頭に乗るとか……」
珠緒の頭の上に座っているので、アリスにはチェシャ猫しか見えない。
チェシャ猫が頭に乗っても気にした様子も無くすんすんと泣き続ける珠緒。
「チェシャ猫、邪魔」
「キヒヒ。酷いや」
チェシャ猫はぴょんっと珠緒の頭から飛び降りる。
「今回は、ロデスコが悪かったとして」
「おい」
「それでも、ロデスコの言っている事は間違いじゃない」
そのままロデスコに罪をなすり付けようとしているのかと思われたけれど、アリスはロデスコの言葉を肯定したので、ロデスコは不服ながらも挟もうとした言葉を飲み込む。
「泣いていても良いけど、泣き終わったら次にどうつなげるかを考える必要が在る。魔法少女を続けるのであれば、それは必要な事だから」
ぽんぽんっと子供をあやすように背中を叩くのを継続しながら、優しく言い聞かせるように続ける。
「私だって、最初の異譚では泣いてしまった。涙の意味は違うけど」
アリスの言葉を聞いて、珠緒は少しだけ意外そうな顔をしながらアリスを見上げた。アリスの言葉を意外に思ったのは珠緒だけではなく、ロデスコも目を丸くしてアリスを見る。
何せ、あの最悪の異譚を終わらせた英雄様だ。あの堂々たる記者会見や、アリスの素顔を知れば簡単に涙を流すようには思えない。
「驚いた。アンタも人の子だったのね……」
「そうだったみたい」
ロデスコの茶化すような言葉に、しかし、アリスもその時の事を思い出しているのか、素直な気持ちを吐露する。
「いっぱい泣いてから、いっぱい考えて……自分がどうするべきとか、何をしたいかとか、色々考えた。私も、ロデスコみたいに、終わったら『はい次』って考えられはしなかった」
「別にアタシだって何も考えて無かった訳じゃ無いわよ。前に進もうって決めてたから、うじうじ振り返らなかっただけ」
「それが出来るのはロデスコが強いから。でも、皆が皆、ロデスコみたいに強く在れる訳じゃ無い。だから、泣きたければ泣けば良い。私はそうした」
いつの間にか手に持っていたハンカチで、珠緒の目元を優しく拭う。
「でも、泣いた後は前に進むしかない。どれだけ間違えても、どれだけ失敗しても、どれだけ挫けても私達は前に進まなければいけない。私達の道は後ろには無いし、どんな困難な道だとしても、前に進む以外の選択肢は無い。私達が進む道は、そういう道」
涙の止まった珠緒を立たせ、アリスは赤いフード付きのポンチョを珠緒に着せる。
「皆、最初は弱い。でも、弱さから目を背けても何にもならない。私達は、弱さを抱えながら強くなるしかない」
珠緒に着せたポンチョのフードを優しく被せる。
「貴方達、大丈夫?」
三人が話していると、事後処理のためにやって来た魔法少女達が声を掛ける。珠緒は気付かなかったけれど、アリスとロデスコ、ついでにチェシャ猫は彼女達の足音が聞こえていた。
「問題無い。少し休んでただけ」
「そう。疲れたでしょう? 後は私達に任せて、ゆっくり休んでね。さ、皆行くわよ!」
アリス達を労った後、事後処理に向かう魔法少女達。
そこで、珠緒は気付いた。彼女達に珠緒が泣いていたと知られないために、アリスはフードを被せてくれたのだと。二人には知られてしまっているけれど、他の皆に知られても嬉しい事では無い。
「アンタ、気遣い出来たのね」
「これくらいは普通」
「いつものアンタ見てると、そうは思えないけどね」
「キヒヒ。アリスは優しい子だよ、ロデスコ」
言いながら、ロデスコは歩き出す。ロデスコの肩にぽんっと飛び乗るチェシャ猫。
二人は雑談しながら歩いて行く。
「私達も行こう」
アリスの言葉に、珠緒はこくりと頷く。
「イェーガー」
「……?」
歩きながら、ぽつりとアリスがこぼす。
当然、学の無い珠緒にはアリスが何を言っているのか分からず、小首を傾げる。
「イェーガー。狩人って意味。武器も恰好も狩人っぽいから」
確かに、珠緒の恰好はあまり魔法少女らしく無い。
シャツにベスト、ズボンにブーツ。飾り気のない恰好であるため、一目見ただけでは彼女を魔法少女とは思わないだろう。中世のコスプレイベントに参加していたコスプレイヤーくらいにしか思わないはずだ。
今は赤いポンチョを着ているので、多少は魔法少女っぽいけれど、それでも他の面々と比べてば地味である。ポンチョを着ても、アリスの言うように狩人と言われれば『確かに』と思うだろう。
「イェーガー。それが、貴女の魔法少女としての名前」
「――っ」
名前。そう聞いて、珠緒は思わず息を呑む。
その様子を否定的な反応と捉えたアリスは、難しそうに眉を寄せる。
「嫌なら、他のを考える」
「……いい」
だが、珠緒は嫌だった訳では無いのか、直ぐに首を横に振る。
アリスにとっては、大した事無いかもしれない。けれど、珠緒にとってはとても大きな出来事だった。それこそ、人生で一番嬉しいと思えるくらいには。
珠緒という名前に愛着は無い。自分を捨てた人間が適当に付けた名前だ。珠緒は知らないけれど、その時活躍していた子役と同じ名前を付けただけなのだ。その名前に意味は無い。
珠緒としても、自分を捨てた奴らが付けた名前に意味を感じてはいない。自分を表すただの記号。それだけだ。
けれど、イェーガーという名前は違う。例え外見からだろうと、自分を見て付けてくれたのだ。珠緒を見て考えてくれたのだ。
それが、何より嬉しかった。
アリスも、ロデスコも、ちゃんと自分と向き合ってくれている。それも嬉しかった。言葉にはしないけれど、その生き方から誰からも忌避された自分と向き合ってくれることが、今となっては本当に嬉しかったのだ。
ああ、誰かと向き合う、誰かと分かり合うって、こういう事なんだ。そう思えた。
それが嬉しかったと同時に、怖くもあった。誰もがアリスのように向き合ってくれる訳では無いし、相手が自分を嫌いになって向き合ってくれなくなってしまうかもしれない。それが、酷く怖かった。
だから、荒い言葉を選んだ。不躾な態度で接した。自分に好意が向かないように、自分が傷付かないように。喜んだ後に傷付くくらいなら、最初から喜びなんて知らないように。
喜ぶというのがこんなに嬉しくて、こんなに怖いだなんて思わなかった。
そう、怖かったのだ。
狼の言う通りだ。怖いから逃げていた。遠ざけていた。それでも自分に向く相手からの好意に戸惑ってもいた。
あの頃から、ずっと弱かったのだ。弱いまま此処まで来てしまったのだ。
弱さを抱えたまま強くなるのではなく、弱い自分のまま成長してしまっただけだった。
だから、ここぞという時に決断が出来なかった。
こんな自分に優しく笑顔を向けてくれた瑠奈莉愛を、死なせるのが嫌だったのだ。
それは自分本位な思い。その思いのせいで、仲間を危険に晒してしまった。
本当に強くなりたいなら、本当に相手を思うなら、本当に今の瑠奈莉愛を思うなら――
「ヴォ……ルフ……ッ!!」
――今が、自分の弱さを認める時だ。




