異譚62 ロデスコが悪い
初出撃の異譚は異譚侵度D。初心者が出撃するには丁度良い危険度の異譚。
「敵も雑魚だから、まぁ気楽にね。なんかあってもアタシとコイツで尻拭い出来るからさ。初出撃だから、とりあえず指示通り動ければ及第点ってとこね」
準備運動をしながら説明をする赤い靴の少女――ロデスコ。一番に挨拶をしてくれたけれど、初対面の印象はあまり良くない。自信たっぷりな表情といい、女性的で美しい顔と身体といい、おしゃれなところといい、珠緒にとって鼻に付く所が多かった。
今時の流行を抑えたギャル。自分に無いモノを一杯持ってる贅沢な女。その上先輩風を吹かせるところもムカつく。一々上から目線なのが気に入らない。
「……うす」
けれど、天使の手前荒い自分は見せたくない。珠緒はロデスコの言葉にこくりと頷いた。
「特に期待はしてない。ロデスコが言った通り、余計な事はしないで」
「いやアタシそんなきつい事言ってねぇですけどね!? 指示通り動けって言っただけだけど!?」
「要約すればそうなる」
「ノンデリアリス翻訳止めてくださる!? アンタ言葉足らずの極地なんだから!!」
「デリカシーはある」
「あったらんな事ぁ言わないのよ!!」
きゃんきゃん吠えるロデスコに対して、煩そうに顔を顰める空色のエプロンドレスの少女――アリス。
「生き残る事を第一に考えて。それ以外は気にしなくて良い」
「はい」
アリスの言葉に、珠緒は素直にこくりと頷いた。
「……なんか、アタシの時と違くない?」
「ロデスコは煩いから仕方ない」
「アンタがやらかさなきゃ静かでいられんのよこっちは!」
「また煩い……」
顔を顰めながら、アリスは現世と異譚を隔てる暗幕を潜る。
「あ、こら! さっさと行くんじゃないわよ! ったく……アタシ達も行くわよ。良い? アイツとアタシの指示を良く聞くように」
「……うす」
ロデスコと珠緒もアリスの後を追って、異譚の暗幕を潜る。
結論から言えば、特に懸念事項も無く、トラブルも起きないような異譚だった。
今にして思えば、特に不安要素も無く、簡単な異譚だった。異譚生命体の数も少なく、異譚支配者も弱い部類だった。
だが、その頃のイェーガーは弱く、自分の強みも知らない魔法少女だった。更に言えば、襲われる事に対する恐怖にも抗えないくらいに心が弱かった。
結果、恐怖に負けて泣いてしまい、ろくに銃を撃つ事も出来なかった。撃ったと思えば弾は当たらず、明後日の方向に飛んで行き――
「ちょわっ!?」
――ロデスコの鼻先を掠めてから何処かに消えていく。
「何処狙ってんのよ!? 鼻低くなったらどーすんの!!」
「それくらい避けて」
「いや無茶言うな!? 敵に囲まれた状態で友軍相撃を気にする余裕はまだございませんが!?」
「大丈夫」
「何が!?」
「フレンドリーだから」
「気さくとか友好的って意味じゃ無いから!! てか、気さくに撃つってだいぶ意味おかしいって気付け!?」
ぎゃーぎゃー喚きながらも、一人で異譚生命体の群れを相手取るロデスコ。
初対面からムカつくとは思っていたけれど、その姿を見て更にムカついた。
何せ、呆れるほどに美しかったからだ。動作の一つ一つが美しく、蹴りの一つ一つが鋭い。何より、焦りは一つも無く、恐怖の色も伺えない。
結局、その異譚を終わらせたのはロデスコだった。
その先に居た異譚支配者を一人で相手取り、華麗に勝利を収めたのだ。
「はー疲れたー。帰ったら美味しいモノ食べに行きましょー? アタシお寿司食べたーい」
「勝手に行けば良い」
「今アタシが一人で行くみたいな空気出してた!? アンタに、行きましょーって、言ったわよね!?」
異譚の最中も、異譚が終わっても、二人の余裕は変わらなかった。それはそうだ。二人にとって、異譚侵度Dの異譚など大したことは無い。集中力と緊張感を持って戦ってはいるけれど、二人を害する事が出来る程の強い相手はいなかった。
泣きながら、珠緒は長銃を強く握りしめた。
悔しかった。弱い自分が許せなかった。戦えない自分が許せなかった。弱くとも、戦う事は出来たはずなのだ。けれど珠緒は戦えなかった。恐怖に負けてしまったのだ。
ちらりと、ロデスコは俯きながら泣いている珠緒を見る。
泣いている珠緒の手を引いてアリスは歩いている。異譚が崩壊しているとは言え、異譚生命体に生き残りがいないとも限らない。その場に置いていくわけにもいかないので、仕方なく手を引いているのだ。
「まるで引率の先生ね」
「やんちゃな子が居ると大変」
「おい、アタシ見て言うな」
「やんちゃしたから、今日はおやつ抜きだから」
「良いわよ別に。もうとっくにお菓子の時間過ぎてるし。お寿司さえ奢って貰えればそれで」
「また私の奢り……」
「高給取りの定めよ。でもアタシは優しいから、今日は回転寿司で勘弁してあげる」
泣いている珠緒が気を遣わないように会話を続ける二人だったけれど、それが逆に珠緒を惨めにさせた。二人の意図には気付いていなかったけれど、余裕のある二人と泣いている自分との差を見せつけられているようで、ただただ惨めだった。
「……そう言えば、この子のコードネームってどうすんの? アンタなんか考えた?」
「考えて無い」
「ま、アンタはそーよね。ねぇ、アンタは考えた?」
ロデスコがそう声を掛けるけれど、珠緒はしゃくりあげるだけで答えない。
「ロデスコ」
「何よ」
「空気を読むべき」
「アンタに言われたか無いわよ!! てか、こっちは精一杯気ぃ使ってるっつうの!! アンタもアンタよ! 泣いたってどうしようも無いんだから、次どうするかとか、今回みたいな事にならないようにどう努力するべきかとか、改善点を考えなさい! 泣いてるよりその方がよっぽど有意義だわ!」
言い切って、ふんっと顔を前へ戻すロデスコ。
「ロデスコ」
「何よ!!」
「皆、ロデスコみたいに強くは無い」
「――っ」
アリスの言葉は、ロデスコに向けられたものだ。けれど、その言葉に反応をしたのは珠緒の方だった。
アリスの手を振り払い、その場で脚を止める珠緒。
突然手を振り払われて少し驚いた様子を見せるも、アリスは起こる事も戸惑う事も無く珠緒の方に向き直る。ロデスコも、何事かと脚を止めて振り返る。
「どうしたの?」
「なーにー? いじけたの?」
「……うるせぇよ……」
ぼそりと、泣きながら言葉を漏らす。
小さいながらもはっきり聞こえてきてはいたけれど、二人は特に言い返す事も無く黙って次の言葉を待つ。
「……お前らに何が分かる」
自身を助けてくれたアリスに対してこんな事を言うものでは無いと分かってはいるのだけれど、押し留めておくことが出来ない感情が口から言葉となって溢れ出る。
「明日は何なら食えるかって考えた事あるか……? 硬ぇ地面で寝て、雨が降って来て起きた事はあんのかよ……? 普通に生きてる奴が羨ましいって思った事は……? 親と笑って話してる奴が羨ましいって思った事は……? あんのかよ、なぁ……ねぇだろ……」
涙を流しながら、珠緒は二人を睨み付ける。
「寝るたびに明日死んでるかもしれねぇって思わねぇだろ? あたしは違う!! 毎日毎日怖かったんだよ!! 何も食べられねぇかもしれねぇ!! 寝るところが見つからねぇかもしれねぇ!! 暑くて死ぬかもしれねぇ寒くて死ぬかもしれねぇ!! 生きるために金盗んで、失敗したらぶん殴られて!! 風邪ひいた時は動けなくてこのまま死ぬんじゃねぇかって思ってた!! 毎日毎日死ぬかもしれないって思うと怖かったんだよぉ!!」
やるせない自分の気持ちを発散させるように、珠緒は怒りのままにぽこっとアリスを殴る。
ロデスコが取り押さえようと一歩踏み出すと、アリスはそれを手で制する。
「分かんねぇんだよ戦い方が!! 怖ぇんだよ立ち向かうのが!! あたしずっと分かんないまま生きて来たんだよ!! 何が正しいかなんて、どうすれば良いかなんて分かんねぇんだよぉ!! 弱ぇままずっと生きてくしか無かったんだよ!! そんなあたしに、どうしろって言うんだよ!!」
ぽこぽこっと何度も何度もアリスに殴りかかる珠緒。駄々っ子の拳なんて痛くも痒くも無い。
ただ、その叫びは、心が痛む程に悲痛だった。
「怖かった……怖かったんだよぉ……!! 弱いんだよ、あたし……。強くなんて……なれないんだよぉ……」
声を上げて珠緒は泣く。
ぎこちない動作ながら、アリスが珠緒の頭を優しく撫でれば、珠緒は泣きながらアリスに抱き着いてくる。
そして、一つ頷くとロデスコの方を振り返る。
「全部ロデスコが悪い」
「いや何でよ」




