異譚59 世界の異物
暗黒の森の中央。夜に吠え続けた狼は、ようやくその遠吠えを終える。だが、落ち着いた訳では無い。
その逆。狼は未だ混乱と混沌の中に居る。
『アリス……アリス。あああああああ、アリスウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥ!!』
口も無いのに大声を上げる狼。
狼は笛吹と戦うアリスを見る。
『お前が、お前が居るから、お前なんかが居るから世界が壊れる! お前のせいで世界がああああああ!』
声を荒げ、狼はアリスに向けて突き進む。
『家族を、姉弟を、世界を、返せえええええええ!』
巨体に似合わぬ豪速で、狼は木々を砕きながら地を駆ける。
「させるかっての!!」
流星が狼の円錐の頭を横から蹴り付ける。
狼にとっては予期せぬ衝突。それに加え、ロデスコの蹴りの威力は桁外れだ。
ロデスコの蹴りに見舞われた狼は、自身の突進の推力とロデスコの蹴りの衝撃で大きく吹き飛ばされる。
木々を薙ぎ倒し、地面を転がる狼は、けれど痛痒も無さそうに即座に起き上がる。
『ロデスコ!!』
忌々し気に名を呼ぶ狼。
「あら、随分なイメチェンじゃない。似合って無いわよバカ娘」
返すロデスコは特に何も感じていないのかのように、いつも通りに振舞う。
『ロデスコ、ロデスコロデスコロデスコぉぉぉぉぉ!!』
半狂乱になりながらロデスコの名を叫び、標的をロデスコに替える。
今の狼はまともでは無い。思考は落ち着かず、絶えず行き交い、溢れてこぼれ、増えては消えて、消えては増える。
『世界の異物!! 新しきマガツボシ!!』
「酷い言い様ね。今やアンタの方が異物でしょうに」
突進してくる狼を回避し、すれ違いざまに蹴り付ける。
『唯一の凶星!! 世界の破壊者!! ああ、あああああああああああああああああ!! お前は、お前がお前ならお前もぉぉぉぉぉぉおおおおおおおお!!』
「まともじゃないわね、こりゃ」
狂ったように意味不明な言葉を羅列する狼を見て、素直に悲しくなる。それと同時に実感する。
優しくて、良い子で、家族思いの元気な少女はもういないのだと。
今目の前に居るのは、狂気に落ちた獣だ。
『邪魔をぉぉぉするなぁぁぁぁあああああああああああ!!』
流動性の身体から触手が飛び出す。
触手は様々なモノに形を変えてロデスコに襲い掛かる。
形のあるモノ。形の無いモノ。物体、非物体。触手に限定されるけれど、その能力の幅は広い。
「げぇっ!」
雷の触手、剣の触手、猫の触手――様々な触手がロデスコに迫る。
高速で迫り来る触手を掻い潜り、何とか狼に肉薄しようと試みるも、相手の手数の方が圧倒的に多くなかなか近付く事が出来ない。
「こーいう時、不利よね、アタシ……!! ――マジか!!」
突如として、ロデスコの背後からナニカが迫る。
直前に魔力を探知出来た事と、ロデスコの抜群の身体捌きによって、背後からの奇襲を紙一重で回避する。
だが、安心もしていられない。
即座に距離を取りながら、ロデスコは背後に感じた魔力の薄い攻撃の正体を確認すべく視線を巡らせる。
魔力は感じる。だが、姿が見当たらない。
「この、嫌な、感じ……!! 覚えが、ある、わね……!!」
触手を避けながら、姿の見えないナニカを探す。
突如、背後から感じる気配。
「見え見えだっつうの!!」
背後からの奇襲を回避。触手を掻い潜りながら、今度こそ背後から奇襲して来たナニカをその目に捉える。
それは、驚く程透明な触手だった。よく目を凝らして見なければ分からない程に透明度が高く、光を歪に屈折させる事も無い。魔力も異常な程に薄く、そこまで魔力感知が得意ではないロデスコは接近するまで気付く事が出来ない。
白黒の異譚の異譚支配者である狩人とは違い、一撃必殺の能力を持ち合わせてはいないだろうけれど、不意にその質量を叩き付けられれば致命傷は免れないだろう。
透明な触手も厄介ではあるけれど、それ以外の触手も厄介極まりない。
無限に変貌を続ける触手に加え、本体も恐ろしい程素早く移動する。今は高度を上げているから触手だけの攻撃で済んでいるけれど、高度を落せば本体からの攻撃も加わるだろう。
正直に言うのであれば、ロデスコにとっては不利な相手だ。
いや、違う。そもそも、ロデスコは属性を考えなければ大抵の相手に対して不利なのだ。
何せロデスコは近距離戦闘しか出来ない。近接戦闘であればロデスコに分があるけれど、相手が中~長距離を持っているだけでロデスコは途端に不利になる。それに、ロデスコの攻撃手段は両足しか無いのに対して、相手は大体それ以上の攻撃能力を持ち合わせている。
あまりの強さに忘れがちになるけれど、魔法だけを見ればロデスコは強くは無い。
だからと言って、諦める気なんてさらさら無いけれど。
「……魔法少女の時より強くなってんじゃ無いわよ。バカ娘」
両足の具足が燃え上がる。
任せろと言った以上、きっちり自分が止めを刺す。過程なんてどうでも良い。それ以外の結末は必要無い。
不利な相手だろうが何だろうが、最後に勝てば良い。
ロデスコが速度を上げようとしたその時――
「しゅーてぃんすたー!!」
――幾つもの星が瞬いた。




