異譚55 誰かの大切な人を、また……
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少女達の間に静寂が訪れる。
ヴォルフ達から見れば、アリスがただ人を殺しただけのように見える光景。アリスからすれば、人の姿に変貌した異譚支配者を殺しただけだ。
だが、その事情を知るのはアリスただ一人。だからこそ、アリスは冷静に説明をしなければいけない。
けれど、アリスは口を開けない。呆然とした様子のヴォルフから目を離せない。
視線を外せないアリスとは違い、ヴォルフは視線を下に降ろす。
そこには、アリスによって真っ二つにされた女性の姿がある。
「アリス、これは、どういう事……?」
動揺しながらも、冷静になろうと努めるスノーホワイトがアリスに訊ねる。
「……か、彼女が、異譚支配者だった。雲みたいな山羊に、人になる能力があって……それで……最後に、何故か人の姿になって……」
アリスにしては視線を泳がせて、動揺した様子を隠す事も無い。いや違う。隠す余裕が無いのだ。
「人になる能力? 今際の際にそんなものを使ってどうしようっていうんだ?」
険しい顔でりぃちゃんが言う。
「それは……分からない……」
「私が出会った異譚支配者は、最後まで生き汚く足掻いていた。異譚支配者に限らず、異譚生命体だってそうだ」
「死を覚って、せめて最後は人の姿で、って事ちゃうん?」
「異譚支配者がそんな殊勝な心掛けを持っていると思うのか?」
「そら知らんわ。うち、異譚支配者とちゃうもん」
「人の姿になれるんでしょ? なら、人と同じように考えたりもするんじゃない?」
「それだって、アリスが言ってるだけだ。私達は誰一人としてその瞬間を確認してない」
「んだとてめぇ……」
りぃちゃんの言葉に、今まで黙って聞いていたイェーガーが怒気を孕んだ声で割って入る。
「アリスが嘘吐いてるってのか? んな嘘吐いてアリスになんの得があんだよ。あ?」
「アリスが異譚にかこつけて殺人を犯した、とも考えられる。そうでなくとも、もし勘違いで人を殺してしまったのであれば、誤魔化しもするだろ」
「アリスはそんな事しねぇ!!」
「そ、そうだよ! ひ、人殺しだなんて、そんな事しないよ!!」
「私だってそう信じたいが、客観的に見れば彼女は人を殺したように見えている。それに、私の見立てであれば、先程遭遇した異譚支配者はこの異譚を作り上げた張本人だ。皆も、そう認識していただろう?」
りぃちゃんの言葉に、雲山羊と遭遇した全員が肯定的な仕草を見せる。
「仮にあそこで倒れている人がその異譚支配者だったとしよう。なら、どうしてまだ異譚が崩壊していないんだ?」
「た、確かにー!」
ばばばっと素早く周囲を見渡すまゆびー。
アリスが言う通り雲山羊を倒したのであれば、異譚は既に崩壊し始めているはずだ。にも関わらず、異譚は未だ健在。
「でも、待って~。異譚は崩壊してないけど、木の山羊の動きは止まってるわよね~?」
これだけ呑気に話をしていても、木の山羊達は襲って来る気配が無い。少し離れた所に突っ立ったままだ。
止まっているのを良い事に、遠くの方でヘンゼルとグレーテルがずっと爆弾を落として数を減らし続けてくれている。
「なら~、木の山羊達の頭って事になるんじゃな~い?」
「だが異譚が崩壊していない事はどう説明する? アレは確かにこの異譚の核だった。倒したのなら、異譚は崩壊するはずだろ」
「別の異譚支配者が居るとか?」
「アレより強いのがそうそう居るとも思えないけど……」
「ていうか、木の山羊共は止まったんだから、あれは異譚支配者って事で良いんだろ? なら、アリスが人を殺したみてぇに言うなよ」
「そ、そうだよ! アリスを疑うなんて酷いよ!」
「可能性を潰したいだけだ。冷静に考えてみてくれ。間違いでしたでは済まないんだぞ?」
口論を続ける少女達と、どうすれば良いのか分からずに不安そうな顔で様子を見守る少女達。
そんな中、ヴォルフはゆっくりとアリスが真っ二つに斬り裂いた女性へと歩み寄る。
遠目に見たからッスか? 誰だか自信ないッス。もしかしたら、ママじゃないかもしれないッス。そっくりさんッス。ちょっと似てるから、びっくりしちゃっただけッス。アリス先輩はそんな事はしないッス。自分のママだって分かったら、どうにか助かる道を模索してくれるはずッス。そうだ、そうに決まってるッス。この死体は自分の愛するママじゃないッス。血の匂いに混じって安心する優しい匂いがするけど、きっと気のせいッス。世のお母さんは皆こんな風に安心する匂いがするッス。もうちょっと、近付いてみるッス。良く見ればママじゃないはずッス。他人とママを見間違えるだなんて、娘失格ッス。ママが拗ねちゃうッス。でも、ママに似て綺麗な人だったって言えば、きっと許してくれ――
「ママ……?」
ぽつりと声を漏らすヴォルフ。
静かに、本当に静かに言葉がこぼれ出た。だと言うのに、その言葉は口論を止める程、全員の視線を奪う程、痛い程に皆の耳に入った。
再度、耳に痛い程の静寂が訪れる。
アリス以外は安姫女との面識は無い。故に、アリスがただ人を殺しただけのように見えたけれど、ヴォルフの言葉でアリスがヴォルフの母親を殺したのだと理解する。
そう理解すれば、全員が動揺したアリスの様子に得心が行く。それほどまでに、見られたくなかったのだろう。いや、知られたくなかったというのが正しいだろう。
自分が人を殺した事、では無く、安姫女が異譚支配者だったという事実をヴォルフに知られたくなかった。卑怯かもしれないけれど、異譚に巻き込まれた犠牲者として終わらせたかったのだ。その方が、悲しみは薄い。
そうと分かれば、あの時のアリスの強情な態度に得心がいった。その事情を知っていたのであれば、一人で戦う事に固執していた理由も理解できる。
だが、それが分かったからと言って、アリスやヴォルフにどう声を掛けて良いのかは分からないし、それで全員が納得する訳では無い。
「ママ……ママぁ……ッ!!」
声を上げ、斬り裂かれた死体に覆い被さりながら涙を流すヴォルフ。大きな声で、泣き喚く。
誰も、言葉を発せなかった。
誰も、かける言葉が無かった。
アリスはただ、何かを恐れるように怯えた顔でヴォルフを見ていた。
また……また、奪ってしまった。誰かの大切な人を、また……。




