異譚54 今は、それだけを
例え少し姿が変わっても、例え少し武器を使ったとしても、その程度でアリスに勝てるはずも無い。
雲山羊は手に持った糸付きの針をアリスに投げる。
単調な攻撃。アリスは難なく避けながら致命の極光を放つ。
雲山羊は致命の極光を避けながら、投げた針の糸を引きながら振り回す。
針は木々を薙ぎ倒し、糸は木々を容易く切断する。
小柄になった体型からは考えられない程の膂力と、太いながらも容易く分厚い木々を切断する糸の鋭さ。
加えて、近付けば凶悪な巨大鋏が待ち構えているうえに、無数の触手が何処からともなくアリスに迫って来る。
迫る触手は宙に浮かせたままの剣が迎撃し、触手の物量以上の剣が更に反撃とばかりに射出される。
射出された剣の全てを避ける事は出来ず、幾つかは直撃する。
『――ッ!! ……やっぱり、強いわね……アリスちゃん』
「そう」
淡々と答えながら、アリスは攻撃の手を緩める事無く苛烈に攻撃を続ける。
「なら、もっと本気を見せてあげる」
言葉の直後、背後に展開された半透明の剣達が実体を持つ。実体化した剣は各属性の致命の大剣である。
実体化したのは十本の致命の大剣は矛先を雲山羊に向け続けながら浮遊する。
「散」
アリスが指示を出した直後、十本の致命の大剣は散開し、多方向から致命の極光を放つ。
『――ッ』
雲山羊は息を呑んで致命の極光を回避するも、十の方向から放たれる致命の極光を完全に避ける事は不可能である。
幾つかの致命の極光が雲山羊を貫く。たった一つの属性しか持ち合わせていないとは言え、致命には変わりない。
防御に優れている異譚支配者であれば、一属性の致命の極光くらいであれば防ぐ事は出来ただろう。多少の傷は負うかもしれないけれど、化け物じみた再生力で瞬く間に回復出来るはずだ。
だが、雲山羊の防御力は他の異譚支配者に比べてかなり低い。比較対象にはならないかもしれないけれど、鼻付きと羽付きよりも格段に攻撃は通りやすい。だからこそ、アリスの致命の極光を避け続けたのだ。
実を言うと、致命の極光は当たれば即死する、という訳では無い。全ての属性が相手にとっての弱点属性となり、そもそもの弱点である属性がよりダメージを負う、というような絡繰りである。要は、高出力の弱点属性の極光を高出力で押し当てているという、かなりの力技でもある。
そして、致命の極光が直撃しなくとも、当たった先からじわじわと直撃した属性がその身体を侵食していく。
大体の敵であれば全ての致命を併せ持った致命の大剣の致命の極光を浴びれば、再生する間も無く一撃で倒せるけれど、規格外の大きさと頑強さを誇る相手ともなればその限りでは無い。
雲山羊も直撃すれば一撃で倒せる。雲山羊も、それが分かっているからこそ、例え十の属性だけとはいえ、致命の極光を避け続けているのだ。
一属性の極光が十本。雲山羊の死角から放たれていて、十の属性を持つ致命の極光が二本も迫ってくる。
こうして、アリスと敵対してみて良く分かる。これは、勝てない。
個が持つ力の限界を超えている。魔法少女として考えるのであれば、あまりに超越し過ぎている。
『ふふふっ』
追い詰められているにも関わらず、笑みをこぼす雲山羊。
「なにがおかしいの?」
『いえ、ね? これだけ強いと、どっちが異譚支配者かもう分からないと思ってね』
「そんなの分かり切ってる事。私が魔法少女で、貴女が異譚支配者」
『ふふふっ。そうね。そうよね。貴女がそう思ってるなら、そうよね。ふふふっ、ふふっ、ふふふっ』
笑っている間にも、雲山羊は致命の極光に貫かれている。
致命の極光に貫かれ、徐々に徐々に疲弊していく雲山羊。
『何も知らないくせに。何も憶えてないくせに。魔法少女が何たるかも知らないくせに。よくも堂々と言い切れるものね』
「そっちこそ、随分と知った口を叩く」
『知ってるもの。知ってるわよ。当然でしょ? 鍵は覚醒と知性を与えるもの。あなたが知らない事だって知ってるわよ』
「そう」
自分の知らない事を知っている。その言葉に嘘は無いだろう。本音を言うのであれば、もう少し情報を聞き出したいところだ。
けれど、この異譚は早く終わらせる必要がある。ヴォルフに雲山羊の正体を知られてはいけない。自分の保身のためではない。優しいヴォルフは家族が異譚支配者になって人を傷付けたと知ればきっと傷付く。そうでなくても、家族を殺さなければいけないという事実に耐え難い苦痛を感じるはずだ。
そうなる前に。そうならないように、この異譚は直ぐに終わらせる。
「でも、何も関係無い」
『――ッ』
突如吹き上がる突風が雲山羊の身体を浮かせる。
触手で宙に浮いた身体の軌道修正をするけれど、アリスは突風で更に雲山羊を吹き飛ばす。
完全に上空に打ち上げられる雲山羊。
「貴女を殺す。今は、それだけを考える」
宙に浮いた雲山羊にアリスは致命の極光を放つ。
両手に握られた二本の十剣から放たれる致命の極光を、雲山羊は鋏を使って防ぐけれど、勢いに押し切られて吹き飛ばされる。致命の極光をもろに浴びた鋏は溶解し大破する。
吹き飛ばされた雲山羊を追う。追い打ちをかけるように致命の極光を二本放つ。
残ったもう一本の鋏で凌ぐけれど、二本の極光を受けた鋏は一本目の鋏と同じように大破する。
悪足掻きのように針を投げるけれど、アリスは難なく弾く。
『……残念ね』
最早手は尽きた。
どうあっても、アリスに勝つ事は出来ない。
宙に浮いた衝撃の大剣から放たれる致命の極光が直撃し、地面に叩き付けられる。
地面に叩き付けられたと同時に、アリスが目前に迫る。
「これで、終わり」
『そうね。わたしは、これで終わり』
雲山羊はみるみる内に縮み、安姫女の姿へ変貌する。
「さあ、どうぞ?」
笑みを浮かべ、全てを受け入れるように両腕を広げる安姫女。
「遠慮はしない」
即座に、油断無く、アリスは致命の大剣で安姫女を斬り捨てた。再生できぬよう、的確に核を破壊するように。
アリスは安姫女を倒す事に集中していた。それ以外の事に気付かないくらいに。
「え……?」
唐突に耳朶を打つ驚愕の声。
思わず、アリスは声の方を向いてしまう。
驚愕の色で自身を見つめる双眸。その双眸に貫かれ、言いようの無い居心地の悪さと後ろめたさを覚える。
見開いた目は、彼女が敬愛するであろう先輩と、自身の最愛である母親を確と捉えていた。
ただ衝撃で、ただ受け入れ難くて、彼女は気付かないし、アリスも気付かない。自身の母親が邪悪な笑みを浮かべている事に。




