異譚48 一番幸せな道
「断る」
安姫女のおねだりを、アリスは一刀両断に斬り捨てる。
「どうして?」
「言わなければ、分からない?」
「ええ、分からないわ。だって、わたしがこの惑星の母になれば、世界中幸せに暮らせるのよ? 誰も彼も、皆が我が子。喧嘩すればわたしがこらって叱って、良い事をしたらよしよしって褒めてあげるの」
「それはつまり、貴女が絶対的な支配者に成る事に他ならない。そんな世界、誰も望まない」
「わたしは望むわ。だって、この世界にもう異譚支配者の居場所なんて無いもの」
アリスの言葉に、安姫女は光を感じさせない眼でアリスを見つめ返す。
異譚支配者となってしまえば、この世界に居場所は無い。異譚支配者は世界の敵だ。この世界から爪弾きにされた存在。
世界の敵たる異譚支配者を、世間は受け入れてはくれない。
「なら、わたし達が過ごしやすい世界にしようと思うのは当然でしょう?」
「何も言わず、異譚を閉じるという選択肢は無いの?」
「無いわ。だって、異譚支配者が存在する限り、異譚は閉じられないモノ。勿論、例外は存在するけどね。残念だけど、わたしはその例外じゃないの。だから、こうして異譚を広げて、わたし達の世界を作り上げるしかないの」
アリス達が生きるためには異譚を終わらせなければならず、安姫女達異譚支配者が生きるためには異譚を維持するしかない。
互いに、互いの主張を受け入れる事は出来ない。受け入れると言う事はつまり、互いの死を意味する事に他ならないのだから。
「あの人から鍵を貰った時は、また余計な事をしてくれたって思ったけど……今はすっごく感謝してる」
あの人が誰かは分からない。けれど、その誰かがろくでも無い事をしでかしてくれたのは確かである。
「わたし達みたいに弱い人間は、あの世界じゃろくに生きられない。弱ければ搾取されて、強い人達の食い物にされてしまう。この世界なら、そんな事は許さない。皆が弱者になれば、一方的に搾取される事は無い」
「でも、この異譚では貴女は強者」
「そうよ。でも、わたしは誰も支配はしない。皆が良い子にすれば、わたしは優しい母親で居られるの。皆が良い子に暮らせば良いだけ。皆に優しく、皆を思いやって、皆のために助け合って生きていくの。難しい話じゃないでしょ?」
「その優しさの基準を決めるのは誰? 貴女でしょ。貴女の匙加減で、『優しさ』か『厳しさ』かが決まる。それは真に優しい世界じゃない。貴女にだけ優しい世界」
「そんなの何処に行ったって変わらないじゃない。皆、自分の優しさだけが基準でしょ? 人によって優しさは変わる。それで傷付く人が居るなら、わたしが優しさの基準になるわ。そうすれば、平等でしょ?」
「残念だけれど、基準を決めたからと言って不平不満が無くなる訳では無い。だって、感じ方は人それぞれだから」
同じ状況に陥ったとして、皆が皆同じ感想を抱く訳では無い。
人には個性があって、差異がある。考え方も違えば、喜怒哀楽の感じ方も違う。優しさに基準を設けたところで、その者にとっては納得しかねる事だって出て来るはずだ。
「貴女のやろうとしている事は、優しさの押し付け。そんな世界、直ぐに破綻する」
「大丈夫よ。何も問題無いわ」
アリスの辛辣な言葉に、しかし安姫女はにこにこと笑みを浮かべて返す。
「優しさの最低ラインに達しない人に生きる価値は無いもの。そんな人達は全員死んで貰うわ。だって、誰のためにもならないでしょ? 優しくも無ければ、思いやりも無い。そんな人達が生きていて何になるの? 誰かを傷付けるしか出来ない。誰のためにも生きられない。そんな人達に生きる価値は無いわ」
「そう……」
安姫女の紡ぐ言葉を聞いて、アリスは気を落したように言葉を漏らす。
異譚支配者を倒さないという選択肢は無い。それは、魔法少女としての責務だ。だが、知り合いとして、ヴォルフの先輩として、安姫女と言葉を交わし、最後の別れの挨拶をする時間を作ってあげたいと思っていたのだ。
だが、安姫女は引くつもりは無いようだ。この世界を異譚で覆い、自分の理想の世界を作り上げるつもりだ。
以前の安姫女からは考えられないような思考。いったい、安姫女の身に何があったのかは分からない。それも含めて、本来であれば問い質さなければいけない事なのだろう。
けれど、もうそんな時間も余裕も無い。
「なら……私から言う事は何も無い」
アリスは致命複合・十剣を構える。
異譚支配者が復活し続けるのであれば、これ以上時間を割くわけにはいかない。戦いが長引けば長引く程、アリス達の方が不利になる。
なにより、これ以上ヴォルフをこの異譚で戦わせてはいけない。
一秒でも早く、この異譚を終わらせる。ヴォルフが安姫女と再会してしまう前に。
「大人しく、死んで欲しい」
「それは出来ないわ。わたしはね、もう嫌なの」
安姫女の姿が雲のような肉塊の山羊へと変貌する。
『子供達に悲しい思いをさせるのは、もう嫌。だから、何が何でも、この惑星は貰うわ。こうなってしまった以上、それが一番幸せな道なのよ』
雲山羊の多眼がアリスを見据える。
『だから、邪魔をしないで』




