異譚35 ――の雨
木の山羊の群れが異譚中を侵攻している中、アリス達は一般人の避難を完了していた。
「ふう~。ようやく一回目の避難が終わったわね~」
「うん。予定より早く終わって良かった」
森の中という歩きにくい場所で、皆懸命に歩を進めてくれた。何度か木の山羊の襲撃に遭ったけれど、一人として欠ける事無く避難を完了する事が出来た。
「それじゃあ、イェーガーちゃん達の所に向かいましょうか~」
「うん」
アリスとアシェンプテルは、他の魔法少女と別行動で進む。
全員固まって同じ方向に進めば安全だろうけれど、まだ異譚に取り残されている人が居る可能性もある。数チームに別れて広範囲に移動した方が効率的だ。
アリス一人居ればアシェンプテルの護衛は十分なので、アリスとアシェンプテルは二人だけで行動をする。
「う~ん……全然皆の魔力掴めないわね~」
「そう」
通常の魔法少女は魔力の判別を大まかにしか出来ない。魔法少女と異譚生命体の魔力の質はまったくと言って良いほど違い、魔法少女と異譚生命体を誤認する事はまず無い。
だが、そこから細かく判別する事は難しい。距離が近ければ判別する事は出来るけれど、遠くの魔力の違いを判別するのは難しい。そのため、魔力の大小で大体の者は判別をしているけれど、質を感知して判別をする者はそう多くはない。
アシェンプテルは相手の魔力の質の違いを見分ける事を得意としており、遠くに数人で固まっていたとしてもその質を見分けて人数と個人を特定する事が可能だ。
その代わり、魔力感知の範囲はサンベリーナよりも狭い。それでも、アリスやロデスコよりも範囲は広く精確だ。サンベリーナは範囲が広いけれど、アシェンプテル程に精確に個人の判別は出来ない。
アシェンプテルとサンベリーナ。両名ともサポートだけれど、それぞれの特色があり、それぞれの強みがある。
「――っ、アリスちゃん、ちょっとまずいかも~!」
イェーガー達の魔力を探していたアシェンプテルが、喜ばしくない魔力の群れを捕捉する。
それは、幾つもの木の山羊の魔力反応。
百や二百ではきかない。まるで波のように押し寄せて来る。
「魔力反応多数~! もう数えるのいやんなっちゃうくらい~!」
「了解。アシェンプテルは私の後ろから出ないでね」
「了解よ~!」
ささっとアリスの背後に隠れるアシェンプテル。
「一発撃ち込む」
アシェンプテルは木の山羊の群れが来るまで、それ以外の魔力を感知しなかった。別行動を行っている星と花の魔法少女の魔力反応は感知しているだろうけれど、何も言わなかったと言う事は自分達の進行方向には誰も居ないと言う事だ。
魔力量が上がり、素の状態で放てる回数が上がったとは言え、無駄撃ちをする程の余裕は無い。
アリスは一本の無骨な大剣を生み出し、その手に掴む。
無数の足音が二人に迫る。
だが、アリスはまだ剣を振るわない。少しでも数を減らずべく、ぎりぎりまで引き付ける。
アシェンプテルもそれが分かっているので、そわそわと怯えた様子を見せながらもアリスを信じて背中に隠れる。
木の山羊の群れを目視で確認する。だが、まだ遠い。
足音が更に近付く。ともすれば、地震と間違える程の揺れと音。
「ま、まだ撃たないの~?」
「まだ」
アリスの両肩に手を置いて、アリスの背後から迫る木の山羊の群れを見やる。
「ひぇ~……」
自分では到底倒しきれない程の数の木の山羊の群れに、アシェンプテルは思わず情けない声を漏らす。
アシェンプテルは補助魔法が使える。補助魔法は自分にもかける事が出来るので、身体能力を飛躍的に向上させる事も可能である。
身体能力を向上させた身体で異譚生命体と戦う事は可能だし、近接戦闘の訓練も受けている。だが、百を超える数を倒せる程の技量は持っていない。
自分では倒せない程の相手が目前まで迫って来るのは、歴戦の魔法少女でも恐怖を覚える。殆ど攻撃魔法を持ち合わせていないアシェンプテルであれば尚更だろう。
アシェンプテルの気持ちは分かるけれど、一撃で出来るだけ多くの敵を葬りたい。申し訳無いけれど、我慢をして貰う他無い。
「アシェンプテル」
「な、な~に?」
「此処から此処までで、敵の反応以外の反応はある?」
指差しで範囲を示すアリス。
「う、ううん。敵だけよ~」
「分かった」
頷き、アリスは大剣を構える。いつもと違う構えに違和感を覚えるけれど、そんな事を気にしている余裕はアシェンプテルには無い。
二人の元へ到達するまで、五十メートル。四十……三十……二十……。
「もう良いんじゃ……」
「まだ」
十……五……。
もう良いんじゃないの~? なんて言う間も無く、木の山羊の群れは残りの距離を詰めて来た。
先頭の木の山羊がアリスに攻撃する直前――
「――ッ!!」
――アリスは致命の大剣を横薙ぎに振り抜いた。
扇状に放たれる致命の極光。
何もかもを巻き込み、致命の極光は全てを消し去る。
「ちょっ、これ皆巻き込んでない~っ?」
「大丈夫。範囲は絞った」
アシェンプテルが敵以外居ないと言った範囲だけに致命の極光を放った。間違い無く、木の山羊だけを殲滅したはずだ。
それでも、全てを倒しきれた訳では無い。
視界を確保するために、致命の極光の余波によって巻き上がった土煙を風で退ける。
その直後、二人の前に何かが落下する。
「――っ!!」
「わぷっ!?」
アリスは即座にアシェンプテルを背中で押し退けながら後退する。
魔力を感じず、また敵意も感じなかった。
完全に不意を打たれた。
アリスは最大限に警戒しながら、致命の剣列を展開して、斬撃の大剣をその手に握る。
「……?」
だが、アリスの警戒とは裏腹に、二人の目前に落ちて来たそれは一切動く様子を見せなかった。
まじまじとそれを観察してみれば、それが動くはずが無い事に気付く。
「いたた……なに~、も~」
文句を言いながら、アシェンプテルはアリスの背後から覗き込む。
「ぇ……?」
落ちて来たそれを認識したアシェンプテルは小さく声を漏らした。
それは、バラバラになった肉塊だった。
地面に叩き付けられたからバラバラになったのか、それとも地面に叩き付けられる前からバラバラだったのかは分からない。
けれど、それは紛う事無き肉塊だった。
手足は折れ、破裂した腹から内臓が飛び出し、柘榴のように割れた頭部からは脳漿が飛び散っていた。
真にそれが何であるかを理解したその直後、一つ、二つ、三つと上空から同じようなモノが落ちて来て地面に叩き付けられる。
幾つも、幾つも、まるで雨のようにそれは落ちて来る。
落ちて来る時点でそれは死んでいて、最早手の施しようは無かった。
人が、雨のように降っては地面に叩き付けられる。
「うぷっ……」
アシェンプテルは吐き気を堪えるように口元に手を当てる。だが、あまりにも惨い光景に、アシェンプテルはアリスの背後で吐き出す。
アリスは冷静にアシェンプテルのために水とタオルを魔法で生み出しながら、それを行った下手人に視線をやる。
扇状に放った致命の極光によって開けた場所からは、それを黙視する事が出来た。
天を衝く程の途方も無い巨人。巨人が歩くたびに、風が巻き上がり、何かが風と一緒に空に巻き上がる。
「アシェンプテル」
「わ、分かってるわ……」
アリスが用意してくれた水でうがいをして、タオルで口元を乱暴に拭う。そして、最後に残りの水を飲み干す。
「まずは、巨人を倒す。でしょ?」
「うん。背中に掴まって」
「分かったわ」
アシェンプテルがアリスの背後から腕を回し、ぎゅっと抱き着くようにしがみ付く。
その瞬間、アリスは高速で地面から飛び上がった。




