異譚28 魔法少女として
以前会った時よりもみすぼらしい――それでも、ヴォルフの生活水準からしたら上等な物ではある――恰好をしている龍彦は、見た事が無い程恐怖に怯えた目でヴォルフを見ていた。
「……っ」
まさか龍彦が巻き込まれているとは思っておらず、思わず顔を顰めてしまうヴォルフ。
「る、瑠奈莉愛。助けてくれ頼む」
龍彦は恐怖に震えながらヴォルフの元に歩み寄り、縋り付くようにヴォルフの腕を掴む。
「な、なんなんだ此処? なんなんだアレは? どうして俺がこんな目に……っ」
「異譚対応中ッス。魔法少女との不用意な接触は控えていただきたいッス」
異譚対応中の魔法少女への不用意な接触は固く禁じられている。異譚対応は公務であり、場合によっては公務執行妨害にも当たるし、不用意な接触はセクシャルハラスメントにも該当する。
例えそれが肉親であったとしてもそれは変わらない。離婚しており、当人と問題を起こしているのであれば尚更だ。
「頼む助けてくれ! 俺はまだ死にたくないんだ! 頼む!!」
目に涙を滲ませ、みっともなくヴォルフにしがみつく龍彦。
「あの~、申し訳ありませんが離れてください~。異譚対応中の不当な拘束は、公務執行妨害に――」
「うるせぇ! こいつは俺の娘だ! 娘に助けを求めて何が悪いんだ!」
優しく注意を促そうとしたアシェンプテルの言葉を遮って、龍彦は怒声を上げる。
「なぁ頼む! 助けてくれよぉ! 俺の娘だろ? 先にこっから出してくれよ!!」
戦いの最中、自分本位に喚き散らす龍彦。
「たまたまこんなとこに居ただけなんだよ! なぁ頼むよ! 俺一人なら、お前でも護り切れるだろ? こっから出してくれよぉ!!」
「なんで……」
ぐぐっと拳に力が籠る。
「なんでそんな……」
これ以上自分達は関わる事が無いけれど、少しは反省していて欲しいと思っていた。誰も傷付けないなんて綺麗事を言うつもりは無いけれど、それでも、誰かを傷付け続けて生きていかないように、誰かから奪ったり与えられたり、他人任せに生きていくのではなくて、ちゃんと自分だけで生きていって欲しかった。
少しは人を利用するという行為に対して懲りて欲しかった。
だが違った。ヴォルフは思い違いをしていたのだ。
「自分の事ばっかなんッスか……っ」
龍彦は相手を利用して生きて来た。そこに間違いはない。
だが、恐らくは最初の思考が違うのだろう。
龍彦は自分の事しか考えていない。誰が損をしようが関係無い。自分さえ良ければそれで良いのだ。だから、相手を平気で利用する。そこに善悪の区別は無く、ただ自分の利益しか考えていない。
とどのつまり、自分が悪いとは思っていないのだ。自分は悪くない。自分のために相手が尽くせるのであれば幸せだし、少し頼れば皆直ぐに尽くしてくれた。
だから、皆自分に尽くせるのは幸せな事なのだ。自分の思い通りにならなかった事なんて人生で殆ど無かった。
要領が良く、良い顔に生まれ、夜のテクニックだって優れている。女は直ぐに龍彦に貢ぎ、ちょっと甘い言葉を囁けば股を開く。友人は自分のために動いてくれて、ご飯だって奢ってくれる。友人だって多く、セフレだって多い。皆が自分を求める。皆が自分に優しい。
そんな世界の中で過ごして来たのだ。皆が自分のために行動するのは当然の事であり、自分を甘やかさない人間は敵であり無価値な人間なのだ。
「頼むよぉ、瑠奈莉愛ぁ!!」
優しい瑠奈莉愛の事だ。泣いて必死に懇願すれば自分だけは助けてくれるはずだ。何せ、自分の娘なのだから。春花の邪魔さえなければ、ずっと自分にお金をくれたのだ。
瑠奈莉愛は自分を見捨てない。瑠奈莉愛は言う事を聞いてくれる。
今の龍彦の姿を見れば、龍彦の考えも、今まで歩んできたであろう人生も難無く想像が出来た。
この期に及んでまだそんな認識を持っている龍彦を見て、瑠奈莉愛は心底から呆れ果てる。
龍彦はきっと変わらない。ずっとこのままだ。こんな奴、助ける意味も価値も無い。
此処で死んでくれた方が、いっそ……。
そんな暗い考えがヴォルフの頭の中で渦巻く。
「……離れるッス」
「頼む助けてくれ!! 俺は父親だろ!? 娘なら家族が一番大切――」
「離れるッス!!」
龍彦の言葉を遮り、毅然とした声を上げるヴォルフ。
怪我をさせないような力で龍彦を引き剥がし、一歩二歩と距離を取る。
その場に跪きながら呆然とした顔でヴォルフを見る龍彦。まるで引き剥がされるとは思っていなかった、そんな表情だ。
「公務執行妨害ッス。次に許可無く触れた場合は問答無用で拘束するッス」
「る、瑠奈莉愛……?」
ヴォルフの拒絶の言葉に、龍彦は唖然としながらもヴォルフに手を伸ばす。
しかし、ヴォルフは更に龍彦から距離を取る。
「触るなと言ったはずッス。こちらに貴方を拘束するメリットは無いッス。不要な行動は控えて欲しいッス」
龍彦を拘束すれば、龍彦は十分に動けなくなる。そうなれば、避難する際に必ず足手纏いになる。足手纏いを抱えて異譚侵度Aの異譚から抜け出せる程甘くはないだろう。
「早く他の人の所に戻るッス。じゃ無いと、護ろうにも護れないッス」
こんな奴、死んでくれても問題は無い。むしろ死んでくれた方が後顧の憂いが無くなるというものだ。
だが、どんなに嫌いな相手であろうと、どんなに憎い相手であろうと、異譚に巻き込まれた以上は被害者であり、魔法少女であるヴォルフは被害者を助けなければいけない。
助ける意味も価値も無い。だが、助ける義務がヴォルフにはある。
「自分は魔法少女ッス。全員、平等に助けるッス。それが自分の魔法少女としての義務ッスから」
ヴォルフはしっかりと龍彦を見据え、はっきりとした口調で告げる。
「もう一度通告するッス。他の人と同じ場所に戻るッス。従わない場合、拘束するッス」
「ぁ……」
ヴォルフの警告に息を呑む龍彦。
だが、龍彦は動く様子が無い。動けないのか、ヴォルフが折れるのを待っているのか分からないけれど、ヴォルフだっていつまでも龍彦に構っていられる訳では無い。
力尽くで戻そうかと考えたその時、いつの間にか龍彦の左右に現れたトランプの兵隊が龍彦の腕を掴み、一般人が集まっている場所へと引きずっていく。
いつの間にか召喚されていたトランプの兵隊を見て、ヴォルフとアシェンプテルはアリスの方を見やる。
アリスは戦闘に集中している様子で、こちらを気に掛けている様子は無かった。
ただ護衛の数を増やしただけで、ヴォルフ達の様子を窺っていた訳では無いのだろう。たまたま、はぐれていた龍彦を見つけて引きずって行ったのだろう。
「……すみませんッス。切り替えて、集中するッス」
「そうね~」
頷きながら、ヴォルフの頭を優しく撫でるアシェンプテル。
「な、なんッスか?」
「ちゃんと魔法少女として振舞って偉い偉い~」
「う、うッス……ありがとうございますッス」
撫でられ、照れたように頬を赤らめるヴォルフ。
同時に、身内の事で迷惑をかけてしまった事で文句を言われるならまだしも、褒められるとは思っていなかったので動揺してしまう。
「さ、有言実行しましょ~。まずは今居る人達を助け出さないとね~」
「はいッス!!」
アシェンプテルの言葉に、ヴォルフはしっかりと頷く。
「ヴォルフ、あたしと交替!! 相手のライン下げて!!」
「了解ッス!!」
イェーガーの指示に従い、ヴォルフは力強く駈け出した。




