異譚4 お持ち帰り
基本的に、春花は放課後には対策軍へ赴いてアリスに変身して待機している。本当はセーフルームを使いたいけれど、何かあった時に一番都合が良いのがカフェテリアだ。よって、アリスは一番静かなカフェテリアの二階席を常用している。
アリスが静かに本を読んでいるからか、二階に上がってくる者はそんなにいない。白奈やみのりがたまーに様子を見に来たりするくらいだ。
お菓子や軽食、飲み物も置いてあるので家にいるよりも快適である。
アリスが読みかけの本を持ってカフェテリアへ向かっていると、目の前を通せんぼするように通路に一人の少女が立っていた。
「貴女がアリスよね?」
「そうだけど」
名指しで呼ばれてしまったので、アリスは脚を止めて答える。
少女の顔を見てみるけれどアリスは少女に覚えが無い。……けれど、少しだけ、どこかで見たような、そんな気がする。
少女はアリスを見てキッと眉尻を吊り上げてアリスを睨みつける。
「……よくもまあ、堂々と英雄面が出来るものね」
完全に敵対心向き出しの少女。
しかし、こういった手合いは多い。アリスの功績に対して嫉妬心をむき出しにする者は多い。それに加え、アリスが助けられなかった者達の遺族にもまた、アリスや他の魔法少女に対して当たりが強い者も居る。
ただ、少女がこの場に居るという事は、少女も魔法少女という事であり、アリスの功績を妬んでの行動の可能性が非常に高い。面と向かって言ってくるのは、珍しい方だけれど。
「別に、英雄面なんてしてない」
いつもの事。関わるだけ時間の無駄。
そう判断し、アリスはカフェテリアへと向かおうとする。
「私の名前は如月美奈」
アリスに向かって、名乗りを上げる少女――如月美奈。
ただの自己紹介にしては勿体ぶったタイミングであり、まるでアリスを挑発するような言い方だ。
常のアリスであれば、『そう』と一言で終わらせていた事だろう。しかし、今回のアリスの反応は違った。
「……きさ、らぎ……?」
アリスは不躾にも美奈の顔をまじまじと見つめ、何かに思い至ったようにはっと息を飲む。
「……まさか……」
「ようやく気付いた? 私は貴女が見殺しにした人の娘よ」
見殺しにした。そう言われ、アリスの鼓動が早まる。
忘れもしない。いや、忘れてはいけないあの異譚での出来事。
「誰が許しても、私は貴女を許さないから」
許して欲しいだなんて思っていない。誰かに許されたいとも思っていない。
あれはアリスの実力不足であり、彼女の矜持の結果であり、また、誰も予測の出来なかった異譚の恐ろしさの結果でもあった。
けれど、それを説明したところで美奈は許してはくれないだろうし、納得をしてくれるとも思えない。
そもそも、許しを貰おうなどという浅ましさはあの時全て捨てて来た。なんの言い訳だってしない。全て、捨てたのだ。
「貴女が人を助けない分、私が人を助ける。私は、貴女みたいには絶対にならない」
それだけ言って、美奈はアリスの元を離れていく。
足元が覚束かず、アリスは壁に手を付いて身体を支える。
かたんっと本が落ちて黒い薔薇の絵が描かれた栞が飛ぶ。
「……どうして……」
アリスはその場に崩れ落ちるように座り込み、落ちた栞を拾ってぎゅっと自身の胸に抱く。
「……どうして……!」
過去から決別できるとは思っていない。過去から逃げられるとも思っていない。
けれど、こんな形で自分の眼の前にもう一度、自分が助けられなかった仲間の死の責任を突きつけられるとは思ってもいなかった。
目を背けたつもりは無いけれど、乗り越えたつもりではいたのだ。いや、勝手に自分一人で乗り越えたつもりでいただけなのだ。彼女が遺した者の事を考えずに。
「……」
ずるずると立ち上がり、アリスは本を拾って歩き出す。
ここでセーフルームに籠るのは簡単だ。ただ、それを彼女は許してくれないだろう。前に進む事を教えてくれた彼女に背く事を、アリス自身が許す事が出来ないのだ。
ふらっとカフェテリアに現れ、ふらふらっとした足取りで二階に上がるアリスを、カフェテリアに居た全員が物珍しそうに見ていた。
基本的にいつも何事も無さそうな顔をして二階に上がるか、二階通路から入って来るので居るのに気付かないかだ。
けれど、今日のアリスはどうにも気もそぞろであり、見るからに意気消沈しているのは明らかだった。
「アリスさん、なんかあったんスかね?」
瑠奈莉愛が心配そうな声音で笑良に訊ねれば、笑良はうーんっと可愛らしく小首を傾げる。
「さあ? ワタシ達、アリスちゃんの事はなーんにも知らないからねぇ」
アリスの事情を知っている者は沙友里のみである。それ以外の悩みの種があったとしても、アリスが他の人に話す事は無いだろう。
「………………あの日かも」
ぼそっと詩が言えば、全員が納得したような顔をする。
「そ、そんな訳無いよ! あ、アリスにあの日なんて無いんだから!」
しかして、みのりだけは声を張って否定する。
「いや無い訳無いでしょ」
呆れた様子で朱里が言うが、みのりは何を確信しているのか首をぶんぶんっと横に振る。
「な、無いよ! 絶対無いんだから!」
「なんかこだわりの強いオタクみたいでキモいよ」
頑なに否定するみのりに、珠緒が辛辣に返す。
「それじゃあ、もし仮にあの日じゃないとして、他にアリスが気を落としそうな理由は見つかる?」
「そ、それは……」
「キヒヒ。猫が聞いてきてあげようか?」
いつの間にかソファに座り込んでいたチェシャ猫がにっと三日月のように笑いながら言う。
瑠奈莉愛と餡子は突然現れたチェシャ猫にびくっと身を震わせるも、他の面々は慣れたものであり驚いた様子はない。
「お願いできる?」
「キヒヒ。任せたまえ」
言って、チェシャ猫の姿が消える。
数秒して、チェシャ猫がソファの上に現れる。
「どうだった?」
「キヒヒ。あの日かい? って聞いたら、バッカじゃないの、って言われたよ。キヒヒ」
「それ以外の理由を聞いてくるって話じゃなかった?」
呆れたように白奈が言えば、チェシャ猫はキヒヒと笑って姿を消す。
そして数秒後、またソファの上に姿を現わす。
「今度はどう?」
「キヒヒ。関係無いって突っぱねられたよ。キヒヒ」
「アンタでもダメなのね」
「つ、使えない猫だね!」
「キヒヒ。アリスとお昼寝もした事無い癖に偉そうだね。キヒヒ」
「ぐっ……ず、ずるいっ……!!」
予想外の攻撃に相当なダメージを受けたのか、みのりはお腹を押さえて身体を曲げる。
「馬鹿二人は置いておくとして……別にほっときゃ良いんじゃない? 誰だって言いたくない事の一つや二つあるでしょ」
「でも、自分気になるッス」
言って、瑠奈莉愛はよしっと一つ意気込んで立ち上がる。
「自分、ちょっと行ってくるッス!」
「え、マジ?」
「マジッス! 行ってくるッス!」
瑠奈莉愛はどかどかっと荒い足取りで二階席へと上がって行く。
何やら話声が聞こえ、数分後にどかどかっと荒い足取りでアリスの手を引いて瑠奈莉愛が降りて来た。
意外な展開に全員が面食らってる中、瑠奈莉愛が満面の笑みを浮かべる。
「先輩方! 自分達は先に上がっても良いッスか?」
「それは、別に構わないけど……」
瑠奈莉愛の提案に白奈は困惑しながら答える。
童話組にはその人数の少なさから、班編成というものが無い。星と花には班編成があり、その日の当直などの当番が決まっているけれど、童話にはそれが無いのだ。ただ、星と花が当直をしている手前、誰も居ないという事はあまりよろしく無いので、最低でも三人は毎日カフェテリアに居るようにしている。
今日は全員居るので二人が抜けたところで問題は無い。
「ど、何処か行くの?」
しかして、意外な展開に何があったのか気になってしまうみのりが訊ねれば、瑠奈莉愛は満面の笑みで返した。
「お持ち帰りッス!!」
瑠奈莉愛の言葉を聞いて、その場に居る全員がその言葉の意味分かってんのかと、そう思った。