異譚17 敵意
「「ばいば~い」」
「また来なね」
お夕飯をいただき、片付けをした後、春花達は三人に見送られて菓子谷家を後にした。
一応、春花が最年長にはなるので、瑠奈莉愛達を家まで送る事となっている。
春花はちびっ子達と手を繋ぎ、上狼塚家へと向かう。
家族以外の人と一緒にご飯を食べるのが楽しかったのか、それとも面識のある唯と一と一緒に遊べて楽しかったのか、ちびっ子達は終始楽しそうに笑みを浮かべていた。
これだけ喜んでくれたなら、春花も誘ったかいがあるというものだ。
「今日は誘っていただいて、ありがとうございますッス」
「こっちこそ、急に誘っちゃってごめんね」
「いえいえ! 今日は楽しかったッス!」
「それなら、良かった」
スーパーマーケットで会った時よりも明るい笑みを浮かべる瑠奈莉愛に、春花は少しだけ安心する。余計なお節介にならなかったようで何よりだ。
そのまま、皆で楽しくお喋りをしながら帰っていると――
「お、瑠奈莉愛じゃないか。また会ったな」
――不意に、声を掛けられた。
聞いた事の無い男性の声。春花には聞き馴染みの無い声でも、瑠奈莉愛達にとっては違ったようで、先程の笑顔が嘘のように引っ込んでしまっていた。
声の方を見やれば、そこにはいやらしいくらいにブランド品に身を包んだ男が立っていた。朱里と一緒に買い物に行くと、ブランド品のバッグとかを見に行く事になるので、春花もブランドロゴを憶えているのだ。
きっと、この場に朱里が居たのであれば第一声は『趣味が悪い』だろう。
ただ高いブランドを身に着けているだけで、調和は取れていない。ブランドを身に着けているだけだ。着こなしているだなんて口が裂けても言えないだろう。
何故だろう。何故だか分からないけれど、春花は無性に目の前の男が気に食わない。
「知り合い?」
春花が瑠奈莉愛に問えば、瑠奈莉愛は答えたくなさそうな表情を浮かべる。それだけで、春花には十分だった。
「そう。じゃあ、帰ろうか」
春花は男を無視して歩き出そうとする。
だが、その行く手を男が阻む。
「ちょいちょい、無視は無いだろう? 君とは初めましてだね。俺は上狼塚龍彦。この子達のパパだ。よろしくね」
にこっと笑みを浮かべる男――龍彦。
だが、春花は一切笑みを浮かべずに龍彦を見やる。
「そうですか。では、僕達はこれで失礼します。皆、帰るよ」
「おいおい、折角パパと子供達のご対面なんだ。勝手に帰ろうとしないでくれよ。それに、君は部外者だろ? 親子団欒を邪魔してくれるなよ」
「団欒、と言うにはいささか独り善がりが過ぎませんか? 皆、嬉しそうには見えませんけど」
龍彦の言葉に引く事無く言葉を返す春花。春花にしては珍しく、刺のある言葉に瑠奈莉愛は意外感を覚える。
いつも相手を傷付けないような言葉遣いをしているイメージがあり、相手に対して挑発するような言葉遣いをしているところを見た事が無い。
いつもと違う春花の様子に瑠奈莉愛が困惑していると、春花はちびっ子達の手を離して、皆を護るように前に出る。
「お引き取りください。貴方と話す事なんて、これっぽっちも無いので」
毅然とした態度を崩す事無く、春花は龍彦に言い放つ。
その言葉を聞いて、春花の明確にいつもとは違う部分の正体に気付く。春花から伺う事の出来ない感情。それが今は前面に出ているのだ。
その感情の正体は――敵意。春花から一切伺い知れなかった感情が、今露わになっている。初対面である龍彦に対してどうして敵意を持っているのか分からないけれど、瑠奈莉愛としてはあまりよろしくない状況だ。
なにせ、家族のごたごたに春花を巻き込んでしまっている事になるのだから。
「君には無いだろうけどさ、俺にはあるんだよね。勿論、俺も君に用事なんてこれっぽっちも無いわけだけど。瑠奈莉愛。さっきの貰ったやつ財布買ったら無くなっちまってさ。また少し頼むよ」
春花を無視して、悪びれる様子も無く龍彦は新品のハイブランドの財布を見せて金の無心をする。
「そんな……」
瑠奈莉愛は思わず愕然とする。
瑠奈莉愛が渡したお金はそんなに直ぐに消費できる額では無いはずだ。少なくとも、暫く生活が出来るくらいの額を渡したのだ。
それを、一日も経たずに消費するだなんて誰が思うだろうか。
自分が命懸けで稼いだお金を、こんな風に簡単に使われるだなんて。
「ふ、ふざけないで欲しいッス……そんなくだらない事に使わないで、せめてもっとマシな事に使って欲しいッス!!」
「そんな言い方無いだろ? 俺にとっては必要なもんだ。ハイブランドを持つのも男の嗜みってやつなんだぜ?」
「嗜みなんてどうだって良いんッス!! あんたはそんな事よりもっと気にする事があるはずッス!!」
「何をするにもまずは身嗜みは大事だろ。今はそれを整えてるんだ。安心しろよ。身嗜みを整えたら、お前よりもがっぽり稼ぐからよ。俺が本気を出せば、こんなはした金くらい直ぐ稼げるさ」
軽く、本当に軽く、龍彦は口にした。
自分よりも稼ぐ? 命を懸けて戦って、命を懸けて人々を護っている自分よりも、簡単に稼げる?
そんな訳無い。だって、安姫女が言うには、結婚していた時に働いていたのだって嘘だし、それ以前の職歴だってまっさらだ。バイトだって長続きしていなかったと龍彦の両親から聞いている。
まともに働いた事も無いくせに、ただ恵まれただけのくせに、ただ搾取しているだけのくせに。
どす黒い感情が溢れ出す。
こんな奴、いない方がずっと良い。居たって誰も幸せにならない。もういっそのこと、自分が――
「なら、貴方も命を懸けてください」
凛とした声で、春花が言い放つ。
「はぁ? なに言ってんだ?」
「貴方も異譚に出て命懸けで戦ってください。そうすれば、貴方が言うはした金を稼げます」
「いや、俺魔法少女じゃないからさ。てか、君に関係無くないか? 家族の話に部外者が口を挟まないで――」
「でも離婚されてますよね。なら貴方も立派な部外者だ」
語調はいつも通り。そのはずなのに、言葉の端々から感じられる春花の敵意の籠った刺々しい雰囲気。
「部外者が、瑠奈莉愛さんが命を懸けて稼いだお金を、はした金だなんて言わないでください。瑠奈莉愛さんは貴方なんかよりも立派に頑張ってます。その頑張りも知らないで偉そうに出来もしない講釈垂れて、大人として恥ずかしく無いんですか?」
「んだと……」
今までへらへらと笑みを浮かべていた龍彦の表情に明確な苛立ちが浮かぶ。
春花は苛立つ龍彦を無視し、後ろに庇う瑠奈莉愛を見る。
「瑠奈莉愛さん。困ってる事があったら、何でも言って。対策軍にはね、頼もしい法務部があるから。金の無心をする離婚した父親一人を接見禁止にするくらい、訳無い事だからね」
前半は瑠奈莉愛に向けて、後半は龍彦に向けて。
「瑠奈莉愛さん。僕だけじゃない。皆、瑠奈莉愛さんの味方だからね。困ってるなら、ちゃんと言ってね」
刺の抜けた、いつも通りの優しい声音。
その声音で、そんな風に言われたら、瑠奈莉愛が我慢できるはずも無かった。
ぽろぽろと涙を流す瑠奈莉愛。姉弟達の前では絶対に泣かないと決めていたのに、決壊したダムのように涙は止めどなく溢れる。
「……助けくださいッス……っ」
「うん。分かった」
瑠奈莉愛の助けを求める声に、春花はしかと頷いた。




