異譚7 ネグレクト
「どうしようか、一」
「どうしようか、唯」
唯と一はカフェテリアに行く事無く、ドーナッツのチェーン店にてぼーっと窓の外を見る。
お菓子大好きな二人には珍しく、目の前のドーナッツには一つも手を付けていない。
考えている事は二人共同じで、抱える悩みもまた同じである。
唯と一は両親では無く祖母に育てられた。
両親は双子を捨てた。
菓子谷家は裕福だった訳では無かった。けれども、貧困という訳でも無かった。
ごく普通の一般家庭。双子以外に子供も無く、四人家族で余裕を持って暮らせる程の財力。
それでも、両親は双子を捨てた。
理由はただ一つ。両親にとって双子が邪魔だったから。
双子は両親が望んで産んだ訳では無い。避妊をしなかったゆえに双子を授かった。ただ、堕胎する事も出来なかった。
二人は共に考え、産んで育てる事を選んだ。
そう、ちゃんと育てようと最初は思ったのだ。
自分達の子供だ。ちゃんと可愛がる事が出来る。そう思っていた。ちゃんと愛する自信があった。
最初の内はその思いの通りに育てる事が出来た。何をするにも楽しくて、愛おしかった。
だが、徐々に愛情は薄れて行った。
子育てに時間を割かれ、自分達の時間を確保できなくなった。
そこから徐々に双子を、自分達の愛する子供では無く、自分達の時間を奪う疎ましい子供と思うようになった。
一度そう思ってしまうと、どうしても子供達を愛せなくなった。
少しずつ、少しずつ、子供の事をしなくなった。
子供の世話をしなくなり、家に居る時間も少なくなった。
物心ついた頃から、双子は自分でご飯を用意するようになった。当たり前だ。家に両親が殆ど居ないのだから、自分でご飯を用意するしかない。
トースターにパンを入れてマーガリンやジャムを塗って食べる。子供にはそんな簡単な事しか出来ない。
パンが無い時は水を飲んで我慢した。それでも我慢できないときは塩や砂糖を舐めていた。
両親が帰ってくるのは夜遅くで、その時には二人はもう眠りについてしまっている。
家に帰って来て、自分達のご飯を食べて、自分達の部屋で寝て、朝起きて仕事に向かう。
自分達の料理はしっかり用意して、子供達の分は何も作らない。
「トースターにパンを入れて焼くだけよ。それでジャムでも塗れば美味しく食べられるから。簡単だから自分達でやってよね」
「電気ケトルがあるだろ。それに水入れてボタンを押して、お湯が沸いたらカップ麺に入れるだけだ。簡単だろ」
確かに手順としては簡単だろう。
だがそれは、説明を理解できればの話だ。
双子はまだ幼い子供だった。大人には簡単な事でも子供には難しい。
加えて言えば、双子は両親以外の人間との接触は無かった。その接触もほんの十分程度。長くて三十分程だ。
その間、両親から言葉をかける事は無く、双子から言葉をかける事は無かった。
ゆえに、双子は言葉を喋れなかった。本来言葉を教えるべき相手が一切言葉を教えていないのだ。喋れなくて当然だ。喋れないと言う事はつまり、両親の言葉を理解していないということに他ならない。
何か音を発している。それが何なのかは分からないけれど、自分達に食べ物を食べる方法を教えてくれている。両親の言葉など、双子にとってはそれくらいの認識でしかなかった。
双子同士で言葉を交わす事も無かった。なんとなく、相手が何を考えているのかが分かったから、言葉を介してコミュニケーションを取る必要が無かった。
食事、トイレ、お風呂。それ以外の事をして家の物を壊した時は両親に怒鳴られたので、双子は自然と何もしなくなった。
食事は簡素な物だけ。トイレは頑張って汚さないようにした。お風呂はお湯の沸かし方が分からなかったから、いつも水で我慢していた。
それ以外の時間は、昔に買って貰った絵本をぼーっと眺め、古くなったお人形を意味も分からず動かすだけの日々。
そんな何も無い日々を送っていたある日、家に両親以外の人間がやって来た。
「もう大丈夫さね。さ、ばあちゃんと一緒に行こうか」
両親以外の人間は双子を抱き上げるとそのまま家から双子を連れ出した。
後で知った事だけれど、両親はネグレクトが表沙汰になりその事が母方の祖母にも伝わり、激昂した祖母が二人を引き取ると言い出したそうだ。
そこからは、ちゃんとした生活を送る事が出来た。
「ほら起きな。顔洗って、朝ご飯を食べるさね」
「ご飯を食べたら勉強さね。お前達の名前は、唯と一だよ」
「子供は運動も大事さね。庭で遊んでな」
「外から帰ってきたら手洗いうがいさね。それが終わったら、お菓子の時間だよ」
「お風呂入ったら、歯を磨いてさっさと寝な。いっぱい寝ないと大きくなれないよ」
祖母は厳しい口調で双子にあれこれ言った。
それでも、両親が怒鳴っている時よりも全然怖くは無かった。
「ほら、ばあば言ってごらん。ば、あ、ば。ほら」
「ばば……」
「あ……?」
「誰が婆さね! ばあばだよ、ばあば!」
祖母は大きな声を出した。でも、全然怖くは無かった。
「これ、唯、一!! 夕飯前にお菓子を食べるなって、あれ程言っただろうに!」
「くそ」
「ばばあ」
「誰が糞婆さね! 何処でそんな悪い言葉覚えたんだい!!」
覚えたての言葉を使ってみたら祖母には拳骨された。二人はギャン泣きしたけれど、何故か祖母は笑っていた。
「唯、一!! さっさと起きな!! 学校に遅刻するよ!!」
「眠い……」
「無理……」
「さっさと起きなって言っとるがね!!」
布団を被って起床を拒否する双子だけれど、祖母はパワフルに二人の布団を引っぺがす。
「くそ……」
「ばばあ……」
「んまぁ! まーたそんな言葉使って!! 早く起きるさねクソガキ共!!」
頭に拳骨を落され、痛みに悶えながら双子は起床する。
双子は良く怒られたし、よく色んなことを注意された。何度も拳骨を落された。
それでも、祖母との暮らしは嫌では無かった。嫌どころか楽しかった。
二人が、魔法少女になるまでは。
二人が魔法少女になってから、祖母は二人の給料を管理した。二人が月に使える額は祖母が決め、それ以上の出費が必要な時には祖母に話しを通す必要が在った。
それと同時期に、祖母が高い家電を買うようになった。冷蔵庫、炊飯器、電子レンジ。果てはオーブン付きの最先端のキッチンにリフォームまでしだした。
リフォームや家電の買い替えはキッチンだけに留まらず、部屋とトイレ、風呂。家の全てが最新の物に変わっていった。
「ケーキを作ったさね。お食べ」
そう言って、作ったケーキを二人に食べさせる祖母。
ケーキは美味しかったけれど、素直に喜べなくなっていた。
祖母には育てて貰った恩がある。だから、リフォームをする事に文句は言えない。家電を買うのも、文句は言えない。
でも、それでも。
どこか釈然としない気持ちはある。
そんな釈然としない気持ちは膨らみ、やがて不満になり、不信になる。
そんな折、会いたくない人達と出会ってしまった。
「久し振りね、唯、一」
「大きくなったな、二人共」
笑顔で二人に声を掛けてきたのは、二人を捨てた両親だった。
「お前達を迎えに来たんだ。お前達がお義母さんに利用されてるって知って、居ても立っても居られなくってな」
「あの人、貴方達のお金で贅沢してるんでしょう? こんなところ出て行って、私達と一緒に暮らしましょう?」
二人を心配するように言葉を紡ぐ両親。
その言葉の裏に気付けない程、唯と一は鈍感では無かった。同時に、悟った。
ああ、皆、唯と一を利用する気なんだ、と。




