003 好み
短め
夏休みが明け、新学期。
夏休みが明けたとはいえ、残暑の厳しい時期。
「あ゛~、あっつい……」
パタパタと団扇で自分を仰ぎながら、自動販売機で買って来た経口補水液を呑む。
「アンタ、熱くないわけ?」
「うん。空調も効いてるし」
「効いて無いわよ……全然暑いわよ……」
教室には空調設備が整っているけれど、節電の観点から設定温度は高めだ。そんな中に数十人も集まっているのだ。熱中症にはならないけれど、とても快適とは言えない。
「あー、もー無理……死ぬぅ……」
ぐでーんっと春花の机に身体を預け、団扇を春花に渡す朱里。
仰げという事なのだろうと理解し、春花は朱里を団扇で仰ぐ。
汗ばんだ肌に制服が張り付く。夏服は白を基調としており、冬服に比べて生地も薄いため朱里の着ているキャミソールが若干透けている。
朱里だけでは無く、他の女子生徒も似たような状態になっている。キャミソールとはいえ、制服の中が少し窺えてしまう事に男子生徒達はどぎまぎしたり、気になる女子をちらちら見たりしている。
春花はと言うと、自身の机に座るチェシャ猫を撫でながら片手間で朱里を団扇で仰ぎ、ぼーっとチェシャ猫を眺めているだけだ。とても、思春期男子らしい行動ではない。
「チェシャ猫は暑く無いの?」
「キヒヒ。暑くは無いよ」
「そんなに毛が長いのに?」
「キヒヒ。そうさ。猫って、そんなもんだよ」
「絶対違うわよ……」
自身を猫だと自称するチェシャ猫だけれど、誰から見てもチェシャ猫は普通の猫では無い。
「はぁ……いつまで残暑が続くのかしらねぇ……」
「キヒヒ。炎使いなのに、暑いのは苦手なのかい?」
「炎使いだろうがなんだろうが、暑いのは誰だって苦手でしょうよ」
「キヒヒ。そうでも無いよ」
言って、チェシャ猫は視線を涼し気な表情でみのりとお喋りをしている白奈に向ける。
「キヒヒ。氷使いは暑くないみたいだよ」
「アイツは色んな意味で肉が無いから、熱が籠らないのよ」
「聞こえてるわよ、朱里」
朱里の言葉を耳聡く聞きつけた白奈が、朱里を睨み付ける。
「ナイスバディでごめんあそばせ~」
睨む白奈にひらひらと手を振って答える朱里。
「そうね。逞しい太腿よね。私じゃ敵わない太さだわ」
「太いって言った今!?」
思わず起き上がって声を上げれば、白奈はなんて事無いかのようにこくりと頷く。
「ええ。太い太腿ね」
「太い言うな! アタシは足技使うから人よりちょっと逞しいだけよ!」
「言ったじゃない、逞しい太腿だって」
「その後太いって言ったでしょうが!」
確かに、朱里の太腿は他の魔法少女よりも太い。だが、それは脚が武器であるがゆえだ。
武器である脚を鍛えるのは魔法少女として当たり前の事であり、その結果脚が他の魔法少女よりも太――逞しくなってしまう事は致し方の無い事だろう。
プロポーションとしては、朱里は整っている方だけれど、どうにも太腿が太――逞しい事は気にしているらしい。戦いに必要とは言え、自身の望むプロポーションと少し違うので気になるポイントではある。
因みに、白奈は痩せ型なので全体的にほっそりとしている。手足も細ければ、胸やお尻も女性的な起伏に乏しい。
「先に言ったのは朱里でしょう?」
「太腿は禁止カードなのよ!」
「肉が無いも禁止カードよ」
「アンタはもっと食べれば良いだけでしょ!」
二人が言い争う間も、春花は朱里を団扇でぱたぱたと仰ぎながらチェシャ猫を撫でる。
「キヒヒ。アリスはどっちが好みだい?」
「……なんで僕を巻き込もうとするの?」
無為に春花を巻き込もうとするチェシャ猫に、春花は団扇を仰ぐ手を止めてチェシャ猫の頬をみょんみょんと伸ばす。
気配りがそんなに得意ではない春花でも、その答えによってどちらかの肩を持つ事になってしまう事はちゃんと理解できている。
それに、体型うんぬんに関してはセンシティブな話題になる。男子である春花がどうこう口を出せる話題では無い。
「あ、有栖川くんは、どういう女の子が好み?」
いつの間にか春花の隣に座っていたみのりが、にこにこ笑顔で訊ねる。
「僕の好み……」
いつの間にか隣に座っていた事はさして気に留めず、春花は言われた通り自身の好みの女性について考えてみる。
暫くチェシャ猫の顔を見ながらぼーっと考えてみるけれど、一向に答えが見当たらない。
「無いかも」
「な、無いの?」
「うん」
「そ、そうなんだ……」
期待していた答えが得られずにがっかりするみのり。
そもそも、春花は好み以前の問題だろう。
春花は誰かを焦がれる程好きになった事が無い。黒奈に対して特別な感情を抱いたりしたけれど、それが恋愛感情では無い事は確かだ。
黒奈以外の者に、特別な感情を抱いた事は無い。仲間として童話の魔法少女達を信頼し始めてはいるけれど、仲間以上の感情を抱いたりはしていないのだ。
それに、親しみや信頼は分かるけれど、愛というものは今の春花には難しいもののように思える。
友愛、家族愛、恋愛。どれも、春花には欠けているものだ。
欠けている春花に、好みなんて分かるはずも無い。
そもそも、分からなくても困らない。
「でも、チェシャ猫は可愛いと思うよ」
「キヒヒ、ありがとう、アリス」
チェシャ猫の頬をもっちもっちとする春花。
チェシャ猫以外の動物にも、可愛いと思う事がある。他人に対してそういう感想を持った事が無いので、そういう意味では、少しは成長したのかもしれない。
「そ、そっか……」
だが、その感情を人間に向けて欲しいと思うみのりは、少しだけ釈然としない表情を浮かべるのであった。




