異譚57 燃えろ、百頭龍ッ!!
幾つも伸ばされる触手と共に、巨大質量の巨躯が迫る。
目の前の巨大質量を吹き飛ばせるだけの具体的な案は無い。完全に無策である。
それでも、チェウォンは迷わず鼻付きに肉薄する。
完全に無策にも関わらず、チェウォンは迫り来る触手に対応するだけのイメージが何故だか頭の中にあった。
いや違う。イメージを持っているのは、チェウォンの心の中。
この姿になった時から薄っすらと感じている、心の中に居るもう一つの存在。
薄っすらと見えているのは、百の頭を持つナニカのシルエット。
それが何者であるかを薄っすらと理解している。
星の魔法少女の力の源は星座である。星座には原典がある。魚座、水瓶座、りゅう座――あらゆる星座の全てに原典があるのだ。
星座と繋がりのある星の魔法少女は、その星座の力を引き出す事が出来る。
そう、星の魔法少女は星座と繋がっているのだ。
分かるはずだ。自分の力が何なのか。自分の力が何処から来ているのか。自分の力で何処まで出来るのか。
確かにチェウォンに想像力は無い。だが、自身が知覚しているのであれば出来るはずだ。
鮮明に心の中にそのシルエットが広がる。
百の頭を持つ龍のシルエットが。
「力を貸しなさい……」
ヘラクレス十二の試練の十一番、黄金の林檎を護りし百の頭を持つ龍、その名は――
「ラードーンッ!!」
チェウォンは声を上げ、速度を上げる。
同時に、チェウォンの中から巨大な百の頭を持つ炎の龍が姿を現す。
百の頭を持つ炎の龍は、チェウォンに追従して空を飛ぶ。
そして、迫る触手と接近する前に、百の頭が分裂する。
百に別れた龍はそれぞれが別々の触手に噛みつき、燃やし尽くさんとする。
相殺するにはやや足りないが、邪魔はかなり減った。
だが、個人の威力は足りない。この速度、この姿でも、眉間の奥底まで貫く事は出来ない。
「アーサー!! 槍を――!!」
チェウォンが言い切る前に、鼻付きの眉間に一本の槍が投擲される。
光の帯を残しながら高速で飛来した槍は鼻付きの眉間に深く突き刺さる。
「言われずとも、さ。こっちの主役は君に譲ろう」
鼻付きの眉間に深く突き刺さるのは、アーサーの持つもう一つの規格外武器。聖槍ロンゴミニアド。
エクスカリバーと同じく、聖なる力を持つ槍。無論、邪なる存在である異譚支配者に対して有効な武器である。
覚醒したチェウォン。そして、アーサーの聖槍。この二つが揃ってもまだ足りない。
だからこそ、オリーの虎の子の魔法でダメ押しをする。
「オリー、冠行けるかい?」
「ギリギリ範囲内なのです!」
オリーが魔法を行使すれば、チェウォンの頭にオリーブの葉で作られた冠が出現する。
これはオリーが誇る最強の補助魔法。
対象はたった一人だけれど、対象の能力を倍以上に増幅させる事が出来る。効果時間は短く、三分が限界だ。その上、オリーの魔力を大量に消費するので、一回使ったらその後の継戦は殆ど不可能である。
だから、この一回で決めるしかない。チェウォンも先程の百頭龍ももう出せない。
これが、最高で最後の好機だ。
更に速度を上げる。
迫る触手を掻い潜り、最高速度を維持しながら突き進む。
「来なさい、ラードーンッ!!」
百に別れていた龍がチェウォンの元に集まり、再度一つの龍に戻る。
炎の百頭龍はチェウォンを包み込み、チェウォンは龍と一体となる。
空中で蹴りの姿勢を取り、チェウォンは勢いそのままに眉間へと飛び込む。
「はぁぁぁぁぁあああああああああああッ!!」
気合の声を上げなら、チェウォンは自分至上最強最高の蹴りを放つ。
百頭龍と鼻付きが衝突する。直後に衝撃波が広がる。
右足から衝撃が伝わり、身体中に一瞬で伝播する。
それはそうだろう。勢いよく迫る巨大質量の物体に高速で飛び込んだのだ。幾ら強化されているとはいえ、ノーダメージで抑えられる訳が無い。
脚が軋む、脳が揺れる。吐きそうになる程の激痛が全身を襲う。
歯を食いしばる。
痛いからなんだ。吐きそうだからなんだ。勝利を掴めるのであれば、大した事じゃ無い。
「燃えろ、百頭龍ッ!!」
声を張り上げ、更に威力を上げる。
結局、ロデスコと同じ掛け声になってしまった。
だが、今は良い。今は、ただ背中を押して欲しい。
炎が右足に溜まる。背中の羽から炎が噴き上がり、チェウォンの蹴りを更に加速させる。
炎は伝播し、聖槍を赤熱させる。
赤熱した聖槍は聖火を上げる。
肉を焼き、貫き、推し通る。
そして、とうとう聖槍が核に到達する。
「く、だ、け、な――」
気合の声を上げながら、チェウォンは最後の力を振り絞る。
「――砕ッ!!」
衝撃は崩壊する海上都市に波及する。
アーサーは矢面に立ち、マントを広げて背後にオリーを庇う。その更に後ろにレディ・ラビットが隠れ、その後ろにベラが隠れる。
オリーだけ護ろうとしたのだけれど、しれっと便乗する二人。
衝撃波が止むと、アーサーはマントを下ろす。
土煙が上がっており、チェウォンと鼻付きの様子は分からない。
「どんなもんじゃい?」
「土煙で見えないのです!」
「見なくても分かるさ」
徐々に土煙が晴れていき、停止した鼻付きの姿が見える。
鼻付きの眉間、そこから鼻付きの体液でべたべたになったチェウォンが不機嫌な様子で這い出て来る。
「……最悪です」
呟きながらも、チェウォンの気分は今までにないくらいに高揚していた。自分だけの力ではないけれど、自分では勝てないと思っていた相手に勝つ事が出来た。それが、たまらなく嬉しい。今までにない達成感がある。
だが、それはそれとして、鼻付きの体液でべとべとになっているのは気分が悪い。不快感を露わにしながら、べたつきを頑張って落としていると、チェウォンは下で様子を見ていたアーサー達を見付ける。
チェウォンはさっと髪を整えると、四人に向かって人差し指と中指を立てる。つまり、ブイサインである。
「やりました」
ブイサインをするチェウォンに、アーサー達も笑顔を浮かべてブイサインを返す。
普段のチェウォンだったら、勝利報告をしてもブイサインはしないだろう。それだけ、この勝利を喜んでいると言う事なのだろう。
五人が勝利の余韻に浸る――時間も無く、五人が戦闘をしていた都市部分の崩壊が早まる。
元々崩壊をしていたところに、大技による余波で更に都市の崩壊が加速してしまった。
アーサーは一瞬羽付きの方の手助けをするべきか考えたけれど、チェウォンや他の消耗した魔法少女の撤退を優先させる事に決める。
「チェウォン!! 私達は撤退だ!! 韓国チームや動けない子達の撤退を優先させよう!!」
アーサーが声を張り上げれば、チェウォンは一つ頷いて羽を羽ばたかせてアーサー達の所へと向かう。
度重なる戦闘で全員消耗している。アーサーとレディ・ラビットはまだ余力があるけれど、レディ・ラビットは戦闘よりも補助の方が適任だろう。
「あっち、だいじょぶかしら?」
「信じるしかないさ。あの三人を」
「大丈夫ですよ」
追い付いたチェウォンも聞こえていたのか、着地しながらレディ・ラビットに返す。
「負けて貰っては困ります。せっかく私達が勝ったのですから」
「そうよぉ。今は仲間を信じて退きましょう」
「うむ、確かに」
レディ・ラビットは鷹揚に頷く。
チェウォンは空を飛び回る流星の方を見やると、小さくぼそりと呟く。
「負けないでくださいよ。私の憧れなんですから」




