異譚31 カム・チェウォン
短め
次から海上都市上陸
空母が出航してから三日目の朝。
とうとう、海上都市を遠目に視認できる距離まで空母は接近していた。
此処までの間、異譚生命体による襲撃が在るかもしれないと警戒をしていたけれど、異譚生命体の姿は一切無く、順調に航路を進むことが出来た。
空母が停止する領域に到達するのは午前十時を予定しており、空母の停止と同時に作戦が開始される。
現在時刻が午前六時であり、四時間後には作戦時刻と言う事になる。
魔法少女達は作戦前の最後の食事を摂るために、食堂に集まっていた。と言っても、食堂で食事が提供される時間は決まっているので、朝昼晩としっかり集まっているのだけれど。
ともあれ、大きな作戦前と言う事もあって、全員が神妙な面持ちで食事をしていた。
昨日までは賑わっていた食堂も、今日この時間は静まり返っていた。
そんな中、緊張の抜け落ちた表情で朱里がアリスに言う。
「ねぇ、帰ったら軍服のデザイン考えない?」
唐突な朱里の提案に、アリスは小首を傾げながら訊ねる。
「何故?」
「だって、見なさいよ。他の国には軍服あんのよ? 日本だけ学校の制服じゃない」
朱里の言う通り、中国はチャイナドレスを基調とした軍服となっており、韓国はチマチョゴリを基調とした軍服である。デザインの可愛さを保ちながら、着用しやすさと機能性を意識した作りになっている。
「制服も可愛いけどさ、仕事着も欲しくない?」
「私はずっとこの格好だから」
「あぁ……聞いた相手が悪かったわね」
アリスはずっと空色のエプロンドレスである。それ以外の服を着ているところはあまり見た事が無い。
「イギリスもさ、軍服あんの?」
「ああ。キルトを基調とした軍服があるよ」
朱里の言葉に、相も変らぬ王子様スマイルを浮かべて答えるレクシー。
「キルト?」
「イギリスの伝統衣装さ。スカートのような衣類で、男女共に着用するものさ」
「へ~、そんなのあんのね。ねぇ、やっぱウチだけよ、軍服無いの」
「なら、申請してみれば良い。案外通るかもしれない」
「デザインはどうすんの? やっぱ和服? それとも和柄だけで洋服とか?」
「デザイン案も募ってみれば良い。絵を描くのが好きな子もいるだろうし」
「それも良いわね。そうだ。いっそ一般公募ってのも良いわね」
「中国はクリエイターに頼んだらしいヨ。原案幾つか見せてもらたけど、どれも可愛くて素敵だたネ!」
話を聞いていた凛風が明るい声で話に入る。
「没案まで可愛いとか、決めるまで滅茶苦茶悩みそうよね」
「三日三晩じゃすまないヨ。我なら一年悩むネ」
「一年は悩み過ぎだろう」
「それくらい悩むネ! 原案は百を超えてたヨ! その中から一つしか選べないヨ! かなり悩むネ!」
「いっそ数着作れれば良いんだけどね。予算もあるから無理だろうけど」
和やかに、いつも通りの雰囲気で会話を楽しんでいる様子の朱里達。
「くだらない会話に花を咲かせられるなんて、随分と呑気なんですね。それとも能天気かしら? どちらにせよ、緊張感の欠片も無くて羨ましい限りです」
そんな朱里達に水を差すような冷たい声が割って入る。
その声を聞いた途端、朱里は面倒くさそうな表情で声の方を見やる。
「二日間大人しいと思ったら、最後の最後で突っかかってくるなんてね。アンタも随分緊張してんだね、カム」
朱里がカムと呼んだ少女の名は、カム・チェウォン。韓国でも指折りの実力を持つ魔法少女である。
美しく艶やかな長髪。整った顔だけれど、いつも神経質そうに眉を寄せている。
チェウォンとは知らぬ仲ではないけれど、特に仲が良いと言う訳では無い。合同演習などで出会えば近況を報告したりするけれど、世間話に花を咲かせる程の仲ではない。
むしろ、チェウォンは日本の魔法少女を嫌っているような節がある。特に、ロデスコが相手になると刺々しい言葉をよく投げかけているのを見かける。
チェウォンは冷めきった目で朱里を見やる。
「適度には緊張していますよ。適度な緊張感は戦場では必要不可欠ですからね。だからこそ、国の……いいえ、世界の存亡がかかった異譚を前に、緊張感も無くどうでも良い事を話し続けられる神経が私には分かりません」
責めるようなチェウォンの言葉に、しかし朱里は特に申し訳なさそうな素振りを見せる事も無く言葉を返す。
「あら、緊張して人に噛みついてくる小心者のお嬢さんは言う事が違うわね。それじゃあ、頑張って世界でもなんでも勝手に救って。アタシは前回世界を救ったから、今回は譲ってあげるわ」
前回というのはヴルトゥームとの戦いの事だ。正確には異譚では無いけれど、下手をすれば日本が壊滅していた可能性は十分にある。ともすれば、その脅威は世界に波及していた事だろう。
朱里の世界を救ったという言葉も間違いではない。
適当にあしらうように言う朱里に、カムは苛立ったように眉を寄せる。
「ロデスコ。余計な事言わない」
しかし、口論になる前にアリスが朱里を諫める。
「向こうが仕掛けて来たんでしょーよ」
「乗ったら同罪。カムも、緊張するのは分かるけど、騒ぎを起こさないで。戦う前に余計に疲れたくは無いでしょ?」
「……ええ、そうですね」
ふんっとつまらなそうに鼻を鳴らすチェウォン。
そんなチェウォンの隣に座る少女が、チェウォンに見えないように手を合わせて申し訳なさそうな笑みと共に謝罪の意をアリス達に示す。
アリス達は特にその少女に反応を示す事は無かった。反応をしてしまえば、その少女が謝っている事をチェウォンに知られてしまうからだ。
しかして、ただ無視するのも申し訳無いので、アリスは小さく手を振った。
ひりついた空気の中、作戦開始の時刻は少女達の心境などお構いなしに容赦無く迫るのであった。




