姫雪白奈の独白2
猫に導かれてやって来たのは学校の屋上だった。
屋上の中心で、猫は白奈を振り返る。
「キヒヒ。久し振りだね。黒奈の遺言を伝えて以来かな?」
「そうね」
黒奈の葬式が終わった後、チェシャ猫だけは葬式の会場にやってきて白奈への遺言と、アリスが来られない事に対する謝罪の言葉を伝えた。
それ以降、白奈の前に姿を現す事は無かった。
「貴方が出て来たって事は、やっぱりあの子がアリスって事で良いのね?」
「キヒヒ。やっぱり、か。もしかしたらとは思ったけど、気付いてたんだね」
「まぁ……私にはヒントがあったから」
勝手に覗き見た黒奈が書き残したメモ。今も、そのメモは残したままだ。
「キヒヒ。そうかい。それで、君はどうするんだい?」
「どうするって?」
「キヒヒ。それを聞いてるのは猫だよ。アリスの正体を知ってどうするのかって事さ」
チェシャ猫の問いに、白奈は即座に答えられない。
なにせ、その答えを白奈はまだ導き出せていないのだから。
「……分からない。あの子をどう思っているのか、私も分からない」
「キヒヒ。そうかい。なら、暫くはアリスに近付かないで貰っても良いかな? ようやく普通の生活を送れそうなんだ。今は、ゆっくりと普通に慣れさせてあげたいんだ。君にだって、時間は必要だろう?」
確かに、まだ感情の整理は付いていない。今春花と話したところで、何を話せるのか分からない。
チェシャ猫の提案には賛成だ。ただ、チェシャ猫の物言いは癪に障った。
自分達の普通の幸せを奪っておいて、春花が普通の生活になれるまで待てだなんて、どの口で言っているのだと思ってしまう。
異譚の発生は人にどうこう出来るものではないのは分かっている。自分はそのどうにもできない災害に巻き込まれて、その災害から命懸けで助けてくれたのがアリスだった。
黒奈も皆を救うために命懸けで戦った結果、命を失っただけだ。アリスが悪い訳では無い。
ただ、アリスさえ居なければ黒奈がもう一度魔法少女になる事は無かったとも思ってしまう。
複雑に絡み合った感情を制御する事は難しく、今だってチェシャ猫に暴言を吐いてしまいそうになってしまう。
「……ええ、良いわ。暫くは、私から干渉はしない」
「キヒヒ。ありがとう。助かるよ」
「ただ、私の答えが出たら話は別だと思って。感情の整理が付いて、あの子に言いたい事が決まったら、私はしっかり言うつもり」
それが感謝の言葉でも、怨み言でも、白奈はしっかりと春花にぶつけるつもりだ。それくらいの権利は、自分にあるはずだから。
「キヒヒ。良いとも。君にはその権利があるからね。言いたい事を言えば良いさ」
言いながら、チェシャ猫は自身のふわふわの毛の中からUSBメモリーを取り出して、自身の前に置く。
「だけど、それは全てを知ってからだ。これは、最後の戦いの記録映像だ。持ち出し禁止だから、他の人に見せちゃ駄目だよ」
それだけ言って、唐突にチェシャ猫は姿を消した。
何処に行ったのかときょろきょろと周りを見てみるけれど、何処にもチェシャ猫の姿は無かった。
帰ったか、下で眠る春花の元へ行ったかだろうと考え、白奈は自身の少し先にあるUSBメモリーの元へ歩く。
白奈はUSBメモリーを拾うとスカートのポケットに仕舞い、屋上を後にした。
家に帰って、端末でUSBメモリーの中の映像を見た。
それは、炎の異譚支配者とアリスの戦闘を記録したものだった。
この戦いは、白奈も遠目で確認はしていたが、戦いの途中で精神的にも体力的にも限界が来てしまい、気を失ってしまった。そのため、最後まで見守る事は出来なかった。
絶望的な力を持つ炎の異譚支配者の攻撃は、映像越しであっても息を呑む程の迫力だった。
戦いが終わり、異譚が終わる。
暫く呆然とした様子を見せた後、アリス――ではなく、変身の解けた春花は涙を流し、声を上げてわんわん泣いた。
心に響く悲痛な泣き声。どれだけ悲しんでいるのか、どれだけ苦しんでいるのか、その声を聞けば分かる。
それと同時に、卑怯だとも思った。
だって、こんな映像を見せられたら、心が揺らいでしまう。春花がどれだけ黒奈を思って泣いているのか、分かってしまうから。
許してしまいたいという気持ちを持ってしまう。家族を乱したのは、春花なのに。
いや違う。本当は違う事くらい、白奈だって分かっているのだ。
選んだのは黒奈だ。春花は何一つだって悪くない。
異譚の事だってそうだ。あれは、どうしようもない異譚だった。アリス一人で全てをカバーする事など不可能だ。
それなのに、アリスは一人で全てを背負うと言った。
何一つだって悪くは無いのに、白奈の怒りの矛先も、国民の責め苦も、全て背負うと言ったのだ。
アリスという側面だけを見れば、確かにアリスは立派に英雄だった。記者会見の時の堂々たる姿を見れば、誰だってそう思うはずだ。
けれど、白奈は知っている。アリスの影に隠れた、春花という年相応の少年が居る事を。
多くを背負うには、あまりに弱々しい少年の事を。
黒奈の過去を、白奈はある程度は知っている。その黒奈と同じ過去を持つ春花の心が強くは無い事を、白奈は知っている。
英雄と少年の側面がある事を知ってなお、白奈の心はまだ決まらない。
そんなに簡単に割り切れるものではない。それだけ大好きな母親だったのだ。
どんな事があっても、大好きだったのだ。
黒奈の死を引きずっている間は、きっと答えなんて出せないだろう。
ああ、けれど。これで春花を突き放してしまえば、きっと春花は独りぼっちになってしまう。
それはなんだか、嫌だった。
悩み、迷い、考え、辿り着いた答えは、見守るという何とも中途半端なものだった。
あの異譚から暫く経って、白奈にも魔法少女の資格がある事が分かった。
その頃には朱里も居て、アリスは独りぼっちでは無かったけれど、朱里はアリスの事を何も知らない様子だった。
優越感などは無い。ただ、やはりアリスの事情を分かっている誰かが必要なのだと再確認した。
自分の気持ちを押し殺すつもりは無い。まだ消化できていない感情もある。
けれど、アリスを独りにしてはいけない。そんな事を、黒奈は望んでいないだろうから。
黒奈は春花を家族にしたいと言っていた。その言葉を、その願いを、黒奈はもう叶える事が出来ないけれど、白奈が後を引き継ぐ事は出来る。
母親は居ないけれど、姉は傍にいてあげられる。
だから、白奈は魔法少女になった。春花を独りにしないために。春花と家族になるために。
白奈を見て、黒奈の娘だと気付いていない様子のアリスを見て、少しがっかりはしたけれど、それで良いとも思った。
だって、黒奈の娘だと分かれば、アリスはきっとあの時のように護ろうとする。白奈は護られるために魔法少女になった訳では無い。
姉として春花を護るために魔法少女になったのだ。
だから、複雑な心の内を凍らせて、白奈は笑みを浮かべる。
「初めまして。姫雪白奈です。今日からお世話になります。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」
いつかこの氷が解ける日が来る事を願う。自分も、春花も、いつか心を凍らせずに生きられる日が来る事を、切に願っている。




