異譚38 炎の化身
限界を迎えてその場に倒れ込むケイティと美子。マッチも全力で自身の治療を行っている。とはいえ、出来る事と言えば止血が精々だ。早く治療してあげなければこのままでは死んでしまうだろう。
まだほんの少し余力のあったブラックローズは治療をすべくマッチの元へと向かおうとしたその時、違和感を覚える。
「なんでまだ空が晴れないの……?」
いつまで経っても異譚を覆う暗幕が晴れないのだ。
異譚支配者の消滅も確認した。塵となって崩れた。流石にそこから再生するのは不可能だ。その証拠に風は止んだ。恐ろしい程にぴたりと止んだ。
異譚はもう終わったはずだ。
ブラックローズが警戒を強めた直後、直ぐ傍で魔力の高まりを察知する。
瞬時に視線をそちらに向けた直後、衝撃が全身を襲った。
意識は、一瞬でブラックアウトした。
白奈の手を繋いで歩き続けるアリス。もうそろそろで異譚の端に到着しそうになったその時、高い魔力の消滅を感知した。同時に、あれだけ吹いていた風がぴたりと止む。
流石に気付いたのか、白奈も周囲を見渡す。
「……終わったの?」
「多分」
アリスは初めての異譚だ。恐らく終わったと思われるけれど、確証は無い。
「キヒヒ。異譚支配者は消滅したね」
「そう……。じゃあ、もう大丈夫なんだ……」
「キヒヒ。そうだとも。まぁでも、まだ空に残ってる――」
突然、チェシャ猫は言葉を止める。
そしてぶわっと毛を逆立てながら、首を回して背後を見る。
「チェシャ猫……?」
「アリス!! 防御だ!! 今すぐに!!」
声を荒げて指示を出すチェシャ猫に、何が何だか分からずもアリスはチェシャ猫が見る方向に盾を生成する。
「そんなんじゃ足りない!! この子も護る必要が在るんだ!! 全方向を護れるようにして!!」
「わ、分かった」
チェシャ猫の指示に従って、全方向に幾つもの盾を出現させて隙間無く展開する。
一つ一つが堅牢を誇る盾だ。それが隙間なく展開されている。
わざわざ此処までしなければいけない理由が分からないアリスと、そもそも事態を把握していない白奈はきょとんとしている。
けれど、準備が整ったその直後にアリスはチェシャ猫の言葉の意味を知る。
「――っ」
ぞわぞわと背筋が凍る程の悪寒。
遠くに居ても分かる程の圧倒的なまでの魔力量。先程の異譚支配者とは比べ物にならない。
理解では無く本能で、アリスは足りないと察知し盾の数を増やす。
大きさ、質、角度、位置、その全てを上方修正して無数に生成する。
その直後、強烈な衝撃波と熱が三人を襲う。
アリスの生成した盾が数秒ももたずに蒸発する。
アリスは盾が蒸発した直後に新しい盾を生成する。
盾越しに伝わる熱はアリスには耐えられるものだけれど、ただの人間である白奈は耐えられない。少し浴びただけで身体中のたんぱく質が固まり、再生不可能な火傷を負う。いや、下手をすれば肉体が形を保てずに溶けるだろう。
アリスは白奈の周囲に氷の盾を生成する事で熱から護る。常に身も凍えるような冷気を発する盾だけれど、それでも周囲の熱をぎりぎり相殺できるくらいだ。
少しでも気を抜けばアリスの盾は突破されてしまう。
「ぅ……ぅぅうう……っ!!」
両手を前に出し、必死に盾を生成し続けるアリス。
衝撃波と熱波は十数秒ほどの出来事。けれど、その十数秒が永遠に感じる程の破壊力だった。
衝撃波が止むと、アリスは直ぐに生成していた盾を消滅させる。
「はぁ……はぁ……っ」
突然の熱波と衝撃波を何とかしのぎ切る事が出来たアリス。だが、多量に魔力を消耗してしまった。
背後を見やれば、白奈は突然の事に驚きながらも何処も怪我をしている様子は無かった。その事に安堵するアリス。
だが、その安堵も束の間。アリスの目前には新たな問題が立ち塞がっていた。
「キヒヒ……。厄介だね、これは……」
遠くの方。異譚の中心。そこには、ひとつの恒星が在った。
赤く、赤く、何よりも赤く燃え上がる炎の塊。炎のうねりは動物的であり、まるで炎が生きているようでもあった。
炎の塊が蠢動するたびに熱を伴った衝撃波が起こり、周囲に熱風を巻き起こしている。
アリスは直感で理解する。
アレは、あの炎の塊は、異譚支配者であると。
風の異譚支配者が消滅をしたのに異譚が消滅しなかったのは、最初から異譚支配者が二体存在していたからだ。
片方しか倒していないのであれば、異譚は消滅しない。なにせ、もう一体が残っているのだから。
あれだけの巨大な存在が今までいったいどこに隠れていたのかは分からないけれど、出現した瞬間に全てを燃やし尽くし、全てを溶かしてしまった。
辛うじて残っていた家々は最早全て瓦礫と化しており所々から火の手が上がっている。アリスの周囲も例外では無く、直ぐ傍で常に炎が燃え盛っていた。
炎の異譚支配者が出現した場所は衝撃によって巨大なクレーターになっており、近くに在った全てを燃やし尽くしたであろうことは想像に難くない。
目の前の存在にはきっと異譚という領域など関係無いのだ。異譚など無くとも、ただそこに存在するだけで世界を壊す事が出来る。
ただ炎が少し蠢動しただけで熱を伴った衝撃波がうまれる。それは常人に耐えられるレベルを超えている。
あれが炎を放ったとあれば、きっと世界は瞬く間に炎に包まれる。水も、空気も、何もかも関係無く燃やされる。
そんな相手に、果たして勝つ事が出来るのだろうか。
「なに……これ……。そんな……っ、全部、全部無くなってる……」
白奈が周囲を見渡して唖然とする。
「お母さん……お母さんは!? お母さんはどこ!? ねぇ、何処に居るの!?」
白奈はアリスに詰め寄るけれど、アリスにはブラックローズの居場所など分からない。
「分からない……でも、異譚支配者の直ぐ傍に居たから……」
明確に言葉には出さない。けれど、口籠る事こそ答えになってしまう。
「嘘……嘘嘘嘘っ!! 嘘よっ!!」
涙を流しながら、白奈はアリスの服を掴む。
「ねぇ、お母さんを助けて!! お願い、私の大事なお母さんなの!! きっと、ううん、絶対に何処かで生きてるから!! だから探して!! お願い!!」
生きていない。生きているはずがない。
あれだけの熱量。魔法少女ですら防御を怠れば死滅する絶死の熱だ。風の異譚支配者との戦闘直後によって消耗した身体、かつ、あの近距離で炎を浴びれば死は必然。絶対に、助かる事は無い。
答えは分かっている。それでも、アリスは口には出せなかった。
白奈の懇願をただただ黙って聞いている事しか出来なかった。
「お願いだから……お母さんを助けてよぉ……っ!! 大好きな、お母さんなのぉ……っ!!」
アリスの服を掴みながら、その場に膝をつく白奈。
「私、酷い事言っちゃった……っ!! まだ、謝れてないの!! お母さんに、ごめんなさいって、言えてないの!! だから……お願いだから……お母さんを、助けてぇ……っ!!」
涙と鼻水でぐじゅぐじゅになりながら、必死にアリスに懇願する白奈。
頭では白奈も分かっている。この炎の地獄の中、アリスが必死に自分を護ってくれて、きっとアリスでなければ護れなかった事も分かっている。この場に居ない者は全て燃やし尽くされたであろうことも分かっている。それほどまでに希望の無い地獄と化したのだ。
それでも懇願するのは、どうしようもないくらいに母親を愛しているからだ。死んで欲しくない。ずっと一緒に居たい。そんな気持ちが止めどなく溢れ出るから、こんな言葉を口にしてしまうのだ。
「……」
泣きじゃくる白奈の姿を見て、アリスの心がちくりと痛んだ。罪悪感とは別種の痛み。アリスに必要な心の痛みが、今アリスの目の前にある。
リメイク作ですが
『道明寺雪緒ノ怪異蒐集録 -新訳-』を投稿し始めました。
https://ncode.syosetu.com/n8754ih/
現代ファンタジーの怪異系の話になります。よろしければご一読いただければと。




