異譚17 絶望の味
うじゃうじゃうじゃうじゃと、攻撃を逸らす能力を持つ魚の様な蛙――後に公的記録として魚蛙と命名される――が水槽から現れる。
「なにアイツらキモッ!?」
「異譚生命体なら仕方無いわよ」
「自分が行くッス!!」
ヴォルフが瞳孔を開かせながら、獣の速度で迫る。
ヴォルフの鋭い鉤爪が魚蛙を捉え――る事は無く、不自然に逸らされる。
「なっ!? 遠距離だけじゃないんッスか!?」
驚き、隙だらけになったヴォルフに魚蛙がぎょろりとした目を向ける。
げこりと鳴き袋が広がる。直感的にまずいと覚ったその瞬間、魚蛙の口からまるで高圧洗浄機のように鋭く水が飛ばされる。
「お馬鹿ッ!!」
ロデスコはヴォルフの首根っこを引っ付かんで、高圧力の水鉄砲の射線からヴォルフを回避させる。
ヴォルフを退避させながら、魚蛙に蹴りを放つ。
が、魚蛙に当たる前に蹴りは逸れ――
「それも魔法でしょ!! なら……強い方が勝つのよッ!!」
――そうになる脚を無理矢理振り抜き、魚蛙の首を蹴り切る。
「馬鹿力……」
「何ですってぇッ!?」
「スマートじゃないって言ってるの」
言いながら、スノーホワイトが魚蛙に氷の礫を飛ばす。
しかし、礫は魚蛙に直撃する事無く不自然に逸れる。
「ぷふっ。アンタのそのしょっぼい氷じゃ倒せないみたいね~」
笑いながら、ロデスコはヴォルフを魚蛙以外の敵へとぶん投げる。
「おわぁっ!?」
ヴォルフは慌てながらも空中で体勢を整え蟇蛙の異譚生命体を蹴り飛ばし、くるりと回転しながら迫る原始獣人を鉤爪で斬り裂く。
「分かってるわ。そもそも、当てるつもり無かったから」
スノーホワイトの言葉の直後、魚蛙達がゲコゲコと騒ぎ始める。
見やれば、数体の魚蛙達は動けずにその場に縫い留められていた。
その理由は魚蛙の足元を見れば一目瞭然であった。
魚蛙達の足元には分厚い氷が張っており、その氷が魚蛙達の足を地面に縫い付けていた。
「こっちの方がスマートよ。マジカル馬鹿力」
「誰がマジカル馬鹿力よ!! 陰険女!!」
「アリス。正面以外の方向、あるいは意識の外から攻撃すれば良いと思うわ」
「聞けや!!」
スノーホワイトが分析をしている間にも、魚蛙は完全に氷漬けになり、最後にはバラバラに砕け散る。
「もしくは、逸らせる物量と威力には限界があると言ったところね」
「なるほど」
一つ頷いて、アリスは大量の巨大な飴玉を生み出す。
数百を優に超える超巨大な飴玉をアリスは魚蛙達に向けて放つ。
四方八方から囲むように迫る飴玉は、魚蛙の持つ魔法の力で対象から外れそうになるけれど、ほんの少しずれる結果に終わった。
四方八方から巨大な飴玉に囲まれ、逃げる事も出来ずに飴玉に押し潰される魚蛙。
圧倒的物量に圧殺される魚蛙達。
「つまり、力押しでどうとでもなる」
本来であれば、魚蛙はかなり強力な相手に成り得るだろう。実際、ヴォルフでは手も足も出ない可能性が高い。
けれど、この場には歴戦の魔法少女が居る。
「アイツの方が脳筋でしょ!!」
「アリスは無数の選択肢から力で勝負する事を選んだだけよ。貴女みたいに力しかない脳筋女とは違うわ」
「アイツもごりっごりの脳筋女だと思うけど!?」
ともあれ、これで魚蛙の脅威は無いものとして扱える。
「まとめて畳んであげる」
言って、アリスは飴玉を人型へと殺到させようとする。
「……消えた?」
が、人型の姿がどこにも見当たらない。
「サンベリーナ」
「お、追ってみたけど、逸らされてる!! ど、どこに居るのか分からないよぉ!!」
「厄介……」
逃げた可能性も在るが、何らかの工作のためにいったん離脱した可能性も在る。
「けど逃げたのは事実なんでしょ? なら、手早く行きましょ!」
「そうね。異譚を消せばそれで終わり。何かしようとしてるなら、何かされる前に終わらせてしまいましょう」
感知に優れるサンベリーナが追えないとなると、この場に居る誰も追う事が出来ないだろう。追跡に時間を割くよりも、速攻で核を倒した方が効率が良い。
「了解。核の撃破に専念する」
人型の方に気を割かないで済むのであれば、アリスは異譚支配者の方に専念できる。
うようよと湧いて出る異譚生命体を相手取りながら、アリスは異譚支配者を見やる。
相も変わらず戦う気が無いのか、汚い咀嚼音を立てて蛙頭を食べる異譚支配者。
アリスが攻撃に移ろうとしたその時、ちらりと異譚支配者の眼がアリスを捉える。
その瞬間、ばちっと電気が走るような感覚と共に、アリスの身に覚えのない光景がアリスの頭に流れた。
それは、周囲に醜いと言われた男の物語だった。
男は世間一般で不細工と言われる部類の人間だった。少なくとも、周りの人間は男をそう言って馬鹿にした。ぎょろりとした目に、大きな口を持つ男を見て『蛙人間』だと言って蔑んだ。
けれど、家族は男を愛してくれていたし、一緒に酒を飲み交わす友人も居た。
男は優しい性格だった。度が過ぎると友人に呆れられる程に、優しい人間だった。
男をいじめる相手を友人がビデオカメラで証拠を抑え、それを警察に届けて進学と就職を邪魔してやろうと言った時にも、男は黙って首を振るだけだった。
相手の御両親に申し訳が立たない。この間街中で見たけれど、仲の良い家族だったのだ。と、男は静かな声音で言った。
それを優しさと捉えるか甘さと捉えるかは人に寄るだろうけれど、友人はそれを優しさだと捉えた。
優しい、心底優しい男だったのだ。
男は食べる事が好きだった。自分でも料理をしたし、誰かの料理を食べるのも好きだった。そのため、食べ歩きも良くしたし、食堂のメニューを全部制覇するといった事を友人としていた。
そんなおり、男の食べっぷりを好きだと言ってくれた女が現れた。
よく通う食堂の娘であり、歳は男よりも少し下だった。
色恋になんて興味は無かった。食べる事が生きがいであり、それだけで十分とさえ思っていた。
けれどそれは、多くの者に認めて貰えない事への代償行為だったのかもしれない。
妙に気になり、男は女のいる食堂へ足しげく通った。こんな見た目の自分が、行きつけとはいえ足しげく通う事を気味悪がらないだろうか。
そんな事を心配しながら、気にしていなかった見た目にも気を遣うようになった。
よく食べ、よく話し、よく笑い合った。
下手なりに良く話したと、友人に笑われたのを憶えている。
そうして、男と女は結ばれた。結婚して、幸せな家庭を築き、子供も産まれた。幸せな家庭を築いた。
産まれた子供を見て、友人がふざけて鳶が鷹を生んだなと言ったが、自分でもそう思うくらいに自分の子供はとても可愛いと思えた。親馬鹿だと友人に笑われたけれど、否定が出来なかった。
男は幸せだった。男は満たされていた。
けれど、男は不幸だった。
不幸にも男には別の才覚が在ったのだ。
自身が望まぬ才覚。人を不幸にしか出来ない才覚。
闇が男を包み込み、意識は深い深い闇に飲まれていく。
気付いた時には男は何者かに侵されていた。それが何かは分からない。酷くやる気のない相手だというのは分かるけれど、それ以外の事は分からない。
唯一分かる事は、薄っすらとある意識の中で知覚できる一つの絶望。
血生臭さが口内に広がる。
それが何であるかを知覚したくはなかった。けれど、薄っすらとしかない意識であるにもかかわらず、それを明確に理解する。
男が愛したモノの味が口内に広がる。
絶望を知るには、それだけで十分だった。




